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エッセイ)そこそこ不自由、まぁまぁ幸せ
自由は明るい。
自由は幸せ。
不自由は暗い。
不自由は不幸。
これが一般的なイメージだと思う。
本当にそうなのだろうか…。
私は今、不幸ではない。寧ろ幸せだと思う。
有り余る金も地位も名誉もない。
全てにおいて自由だと言える様な生活は送っていない。限られたお金と時間。仕事にも沢山の不満があり、いい出したらキリはない。お金や時間意外に人間関係等にも不自由だと感じる事は多々ある。
若い頃、アメリカに住みたいと思っていた。
大した理由ではない。唯、“アメリカは自由の国”このフレーズに憧れていただけだ。
若い頃の自分は、“何故、高校にいかなくてはいけないのか?”“毎日、好きな様に遊んでいてはいけないのか?”と周りの人が当たり前に取る選択を自分も、はみ出さずに選択しなければならない事を不自由だと思っていた。
不自由だと思いつつも、同調圧力や世間体に負けて無難な選択をしていた。
不自由だと思うほどに、用意されている選択肢が気に入らないのであれば、自ら新たな選択肢を用意する事はできただろう。
高校に通わずにバイトをしながら、大検を受ける事も出来た筈だ。
人と違う選択をして、自ら責任を被る事を恐れた。恐れはしても不満が消える事も、現状を飲み込み消化する事も出来ずに、『日本は不自由の多い国で、アメリカなら何かと選択肢も多くて自由だったのに…』と絶対に選択しない行動を最後の言い訳と言うか、希望というか、現実逃避の手段にしていた。
単にアメリカの抱える問題だとか、契約社会の浸透している性格だとかをわかっておらず、自分勝手に都合よくイメージしたアメリカ像をユートピアにしていたに過ぎない…。
アメリカがベトナムと戦争をしていた頃、1人のアスリートが戦争に反対し徴兵を拒否した。彼は、戦争を止める事に尽力し、当時手に入れていた地位も名誉も金も全てを失った。
このアスリートは、元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリだ。
彼は、徴兵を拒否し、戦争を批判した事で国民から目の敵にされ、国家を相手に裁判をする事となった。
当時のアメリカで徴兵を拒否し、戦争を批判する事は許されなかったのだ。そのせいでボクシングのライセンスは剥奪され、職を失い、チャンピオンという地位や名声も地に落ちてしまった。
本来であれば、アスリートとして1番脂の乗っていた25〜27歳の時期を完全に棒に振ってしまったのだ。こんな事がなければ、どれだけの防衛を重ね、どれ程の金を稼ぎ出していたのだろう…。
彼は、自分の言葉で真摯に反戦を訴えた。そして、その言葉は、いつしか国民の気持ちを動かした。ベトナム戦争終結において、彼の功績は大きい。誰もが戦争とアメリカの偉大さに酔いしれる中、数多くの意見を跳ね除け、彼は自らの意思を貫き通した。
戦争に反対していた人間も沢山いたはずだが、
同調圧力に負けて、自分の思いを自由に述べる事が出来ない中で、彼は自らの意思を貫き自由を勝ちとったのだ。
その後、彼は3年以上のブランクを得て、再び世界チャンピオンに返り咲いた。
しかし、本来、得られる筈だったアスリートとしての記録や金を犠牲にした事を思うと、果たして自由を勝ち取った事に対しての対価は、等しかったと言えるのだろうか…。
周りがいくら称賛を与える行為だったとしても、答えは本人しかわからない。
自由とは、自らの責任で新たな選択肢を作り出し、それを実現させる事だと思う。
しかし、自由を手にしたとしても、払う犠牲が大きれば、必ずしも幸せだとは言い切れない。
自由は幸せで、不自由は不幸というのは、あくまでイメージであって、現実には自由な不幸や不自由な幸せが、充分にありえる。
私は不自由もあるが、幸せだ。
私の抱える不自由は、我慢のできる範囲なので、不自由でも不幸ではない。
もし、貴方がどうしようもなく不自由で不幸で耐えられないと思うなら、新しい自由を作り出せばいい。
しかし、それには責任を背負う覚悟が必要だ。覚悟もなしに、不自由を訴えるのは愚痴や文句に過ぎない。
覚悟を背負い自由を探すか、不自由の中で文句を言いながら生きるかのどちらが幸せなのかは、動いてみないとわからない。
本来、不自由な人間などはいない。
自由か不自由かは、常に選択出来る。
どんなに不自由に感じるシュチュエーションにあっても、それを続けるのか、新たな選択肢を作り出すのかの判断は自由に出来るのだから。
今の所、私は“そこそこ不自由で、まぁまぁ幸せ”な現状に満足しているので、しょうもない愚痴を漏らす事があるとしても、何か思い切った行動を起こす予定はない。
終わり
この記事は“静 霧一”さんの下記の記事に触発されて書いた記事です。静さん面白い記事を読ませて頂いてありがとうございます。↓
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