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天才の証明
↑上記の金ときさんの記事を読んで自分も書きたくなった。記事の内容は多分、誰しもが思う事だ。
にも関わらず書きたくなったのは金ときさんの
記事が心に響いたからだ。
「天才ってなんですか」との問題提起から文書は始まる。そしていい学校を出てそれなりのコミュニケーション能力があれば社会でうまくやっていけると思っていた自分の考え方が間違っていたのではないか。
受験の為に知識を詰め込んで得た頭の良さは実は意味がなく、意味がない事に自分はどれ程の努力をして来たのか?今までの努力は無駄だったのではないか?誰か教えて下さい。と言った記事だった。自分の要約よりも実際に記事を読んで頂きたい。この記事には訴えかけてくるものがある。
この問題提起に対して彼女よりも倍の年数を
生きている自分は、なんとか彼女に納得してもらえる回答を出したかった。
しかし、書き出してみてすぐにそれは無理だと分かった。自分の今までの生き方が無駄だったかどうかの答えは本人にしかわからない。
仮に今は無駄だと思っても何年かすれば、意味があったと思う時が来るかもしれない。そもそも、そんな事を思った事すらも忘れてしまうかもしれない。だから今は、どれだけ他人が言葉を尽くしても、無駄だったのか有益だったのかの答えは導き出せない。
そう思ったので自分が思う事を書く事にした。
①“天才”とは?
天才とはただの言葉だ。
何ができたから天才で、できなければ天才ではないという証明はできない。自分の理解を超えた存在を表現するのに、凄く凄いとか信じられない位凄いと言う代わりに天才と言う言葉を使うのだ。
最近、亡くなられたマラドーナも天才だと言う
人は多い。彼の全ての人を魅了するプレーを
彼の努力や苦悩を考える事もなく天才の一言で
括り付けてしまったのだ。
金ときさんの記事の中では0から1を生み出す人が天才と教えられたとあったが、そもそも0とはなんなのだろうか?
初めて何かをした人が0から1を生み出したというのなら、全ての人がその作業を意識もせずに行っている。つまり全ての人が天才だ。
人の生涯は生きてから死ぬ迄だ。
どんな偉人も殺人鬼でさえそれは全て等しい。
その道のりが他人から見て素晴らしいか軽蔑されるものか、そんな事に関わらず誰かの人生は
その誰かにしか歩めなかったものだからだ。そういう意味では、私も天才の1人だし貴方もそうだ。唯、天才が0から1を生み出して更に誰かの尊敬を集めなくてはいけないと言われると、それは限られた存在となり、もっとも天才だった人はキリストとかブッタという事になるだろう。
天才なんてものは誰かが、その存在を自分の持ち得る言葉で形容出来なかった為に生み出した言葉に過ぎない。だから、そんな言葉に惑わされてはいけない。
②受験の為に蓄えた知識とその努力が無駄だったかどうかについて
無駄ではない。
受験戦争に勝って、いい大学に行けたのであれば、就職などの局面で行けなかったものよりもアドバンテージを得ている。努力をした者はしていない者よりも努力をしたという自信が得られたはずだ。だから無駄ではない。
もし無駄と思ったのなら無駄であった事を知れた分、知らなかったよりも良かった筈だ。
それだけの為だと払った犠牲と割に合わないと思うかもしれないが、そんな事は日常茶飯事だと思って諦めるか、諦められないならなんとか活かす方法を考えてほしい。
高い服を買ったのに太って入らなくなったら、その服は無駄になるが無駄にしたくないなら痩せればいい。
知識に関して、例えば微分や積分、軌跡など
受験の為に数学Ⅱ迄受講していた自分は、間違いなく授業でそれを習い、テストに出て解けていたはずなのだがそれをやったという記憶すら今は全くない。
数学が苦手で文系の大学。しかも頭が悪かったのでFランクの大学しか出ていない自分にとって、数学Ⅱの知識はその時のテストをクリアーする為だけにインプットして、アウトプットと共に消えた知識だ。しかし、この文面上に微分や積分と書けただけでやった意味があったと思う。
全く知らなければここで書く事すらできなかったのだから。
それは高校で習う知識全般に言える。
当時必死で覚えた内容で社会人になってから凄く役にたったと思えた知識など数える程しかない。
それでもちょっとした会話の中で出てきたり、
旅行先で、「あっ!この場所は歴史で習ったな」とか程度には出てきている。
それで充分やった意味はあったと思っている。
無駄だったと言う人も多いが、その知識を詰め込む為に使った時間を他の事で有意義に使えたとしたら、変わりに何かをやれたと具体的に言える人は少ない筈だ。それこそ無駄に時間を浪費してしまう位なら知識を詰め込んでいて良かったと言えるのではないだろうか?
③今は不幸せに感じていても
今、彼女は19年間の過去を振り返り、その全てを否定されてこれから先の事を見えなくなっていると思う。それは誰にでも訪れる時間だ。
自分にもあったし、ここまで読んで頂いている人にもあった筈だ。又は今がその状態だと思う。
でも、それは誰にでもある事だから大丈夫だし、悩んでる時はしっかりと悩んで欲しい。
ここで人生を終わりにしないのであれば、その状態は過去の事になる。そして、乗り越えられた貴重な経験となる。人は良くも悪くも忘れてしまう生き物だ。だから、本気で悩んでいた事もいつのまにか忘れてしまう。または受け入れてしまう。受け入れる事が強さだとは言い切れないし、鈍くなっただけかもしれない。
それでも、受け入れた経験は蓄積される。
忘れてしまったのであれば忘れてしまう程度の事だったのだから、それはそれで良しとしよう。
今の金ときさんの状態を可哀想だと思うと同時に羨ましく思う。今後の人生何があるかはわからない。いつ何時、自分も彼女と似たような悩みを抱えるかも知れない。しかしながら、今の彼女程、純粋に自分について問いただす事はできないだろう。若いつもりでいたが、いつの間にやら来年は厄年の自分にとって彼女の悩みは、等身大で考えられる事ではなく、過去の経験の一つとなってしまった。
④結局…
ダラダラと書いてしまったが、結局、悩む時はしっかり悩んで、何もやりたくないならやらなくてもいい。それが許されるタイムリミットは環境条件によって異なると思うが、何もやらなければ、逆にその内に何かやりたくなる。
腹も減れば退屈にもなる。
そうすれば、飯も用意するし暇つぶしも探すだろう。そうこうしているうちに、今の悩みも忘れてしまうか、受け入れて行く事になるはずだ。
だから大丈夫。
きっと大丈夫…。
…なんの根拠もないけど…。
終わり