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<SS>いいこと帳:友だちの良いところを見つける物語

大輔は実家の押し入れを整理していたとき、たくさんのダンボール箱が出てきた。中を開けると、子どものころの思い出の品々がたくさん詰まっていた。「懐かしいな」と思い、昔の日々を振り返った。

そこで『いいこと帳』と名付けられたノートが目に入った。

「これ、何だろう?」と思い、ノートを開いて読み始めた。日記のように毎日書かれた内容は、友だちを褒めることばかり。文章の隣には赤いペンで花マルが描かれていた。

「あ~、そういえば、こんなことがあったな~。思い出してきたよ」


     *  *  *  *  

沢田ひろみ先生は小学4年生の新しい担任になった。教師歴は3年で、最初の2年は1年生と2年生を教えていた。通常なら3年〜4年生の担当が一般的だが、この年は学校の都合でクラスの再編が行われたため、4年の担当になったのだ。

彼女は希望に満ち溢れていた。「私がみんなを立派な人に育てる手助けをしたい」と思っていた。1年生と2年生を教えた経験から、すでに成功を感じていた。「この調子で4年生もしっかりサポートしたい」と、自信を持っていた。

     *  

新学期が始まって、ひろみ先生は思っていた以上に大変な現実に直面した。

子どもたちは元気でいたずら好き、それ自体はいいことだけど、問題は友だちをけなしてばかりいること。確かに冗談もあるけれど、それで傷ついている子もいた。

1年生や2年生のような純粋さはなく、友だちと競り合ってどちらが上かを見せようとする「マウント取り」が始まっていた。誰かに弱点が見つかれば、他の子たちはすぐにその弱点をついてきた。だから、みんなも他の子の弱点を見つけて先に攻めるようになっていた。子ども同士のいざこざはよくあるけれど、今回のはちょっとひどいと感じられた。

特に問題だったのは、友だちを否定するような行動。これがひろみ先生にとって、一番厳しい現実だった。

     *

ひろみ先生は、子どもたちが服や持ち物を批判しているのを見て困っていた。例えば、「その筆箱、ダサくない?」とか言って。友だちもけなされたくないから、先に他の子をけなすようになる。あるいは、自分がけなされる前に、自分自身をけなしてしまう。

体育の時間にも、ボールをミスした子に「なにやってんだよー!」って責めたりする。それで気の強い子は責め返すけど、気の弱い子はどんどん自信をなくしていく。

ひろみ先生が注意しても、子どもたちは聞く耳を持っていない。もしかしたら、若い女性の先生だから、子どもたちは甘く見てるのかもしれない。

授業が始まっても、クラスはうるさいまま。先生が「みんな静かにして!」と大きな声で言っても、全く効果がない。

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ひろみ先生は、どうしたらいいのか悩んでいた。「私、優しすぎるのかな?他の先生は怖いけど、それで子どもたちが言うことを聞いているみたい。もしかして、私も怖くないとダメなの?」

そんなとき、休日に図書館で見つけた一冊の本が彼女の心に火をつけた。

本にはこんな言葉が書いてあった。

「友だちを褒めるって、その人の良いところを見つけるってこと。褒められると嬉しいよね。その嬉しさが心に残って、褒めた人も次は他の人を褒めるようになる。人を褒めることは素晴らしいけど、それで人の良いところを見つけられるようになるのが、もっとすごいことなんだ」

「これだ!」と、ひろみ先生は気づいた。「怖い先生になるんじゃなくて、子どもたちがお互いの良いところを見つけられるようにガイドしてあげるんだ。それが本当の教育だわ!」

この瞬間から、ひろみ先生の教え方に新しい風が吹き始めた。

     *

「友だち同士を褒め合うことを提案しよう。そうだ『いいこと帳』というのはどうだろう」

次の日から早速、『いいこと帳』の実践を開始した。

「ねえ、みんな、新しい活動を始めよう。各自のノートがここにあるよ。このノートは『いいこと帳』って名前にするね。毎日、みんなには友だちの良いところを探して書いてもらいたい。何でもいいから、友だちが良い行動をしたとか、『A君がC子ちゃんに鉛筆を貸した』みたいなこともOK。何か良い点が見つかったら書いて、次の日に提出してね。しっかり読むから」

生徒たちは、なんだかよくわからない表情をしていた。そして次の日、その『いいこと帳』を提出してきた。

生徒たちの書いた内容は、やはり戸惑っている様子だった。「S君が笑った」「F君が転んだ」「K子ちゃんは面白い」など。褒めているのかどうか、ちょっとはっきりしない。

そこで、ひろみ先生は生徒たちのノートに赤ペンでアドバイスを書き足した。例えば、「S君が笑ったって、何が良かったの?」や「F君が転んだけど、それは良いことをしようとしたから?」、「K子ちゃんが面白いって、どんな素晴らしい点があったの?」などと。

それを日々繰り返していくと、生徒たちはだんだん本質をつくようになってきた。本当に友だちの良いところや良い行動を見つけるようになってきたのだ。生徒たちにしてみれば「あ、あいつの良いとこみっけたー」みたいに宝探しができた感覚になってきたのだ。見つけることができると嬉しいもの。生徒たちはそれも自信になる。

それに準じて『いいこと帳』の内容も変わってきた。もっと具体的な出来事や、その出来事がなぜ「いい」のかを考えて書くようになった。

「Y君が落ちていたゴミを拾って、きれいにしていた。それを見て、きれいな学校っていいなって思った」

「Nちゃんが図書館で迷っていた1年生に道を教えていた。優しいなって思った」

「U君が問題を解くのが早くて、誰も解けない問題を教えてくれた。すごいなと思った」

この新しい活動によって、生徒たちはお互いの良い点に目を向けるようになった。そして、その良い点を褒めることで、クラス全体の雰囲気も良くなっていった。

     *

ひろみ先生は、毎日生徒から提出される『いいこと帳』に、初期のように細々とコメントをしなくても、生徒たちはだんだんわかるようになってきた。そして、彼女は、生徒たちから提出された『いいこと帳』に今度は、マル、二重マル、そして特に良い内容には花マルの評価をつけた。しかし、多くの評価は二重マルや花マルで、これは先生が生徒のやる気を引き出したかったからだ。加えて「〇〇が良かったですね」と、生徒が喜ぶような簡単なコメントも添えた。

褒められるのは嬉しいもの。生徒たちはその花マルを目指し、友だちの良いところを毎日積極的に探し、活気に満ちた日々を送るようになったいった。

教室には友だちを否定するような空気はだいぶ減った。また、体育の時間でもボール遊びで誰かがミスをしても責めることはなくなり、励ますようになっていった。生徒たちお互いがお互いを応援するスタイルが自然と出来上がってきたのだ。
     
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大輔は今、自分が書いた『いいこと帳』を読んでいる。

E君はH君をからかっていた。ちょっとしつこかった。そこへT君がきて「もうやめろよ」と言ってやめさせた。T君の行動は素晴らしいと思った。

「俺、こんなこと書いてたんだ(笑)。へぇ~。懐かしい。でもこの『いいこと帳』ってなんかいいな。あの頃をだんだん思い出してきたよ。俺の小学校生活で一番前向きな一年だったな。ひろみ先生、今どうしているんだろ。俺、ひろみ先生にビンタくらったことあったっけな。その時は俺は友だちとふざけていて、先生に散々注意されてもやめなかったんだ。それでビンタされた。そして「ガ~ン」となって頭が冷えたのを思い出す。ひろみ先生は優しくて素敵な先生だったからね。その先生を怒らすなんて『俺、悪いことしたんだな』と思ったもんな」

大輔は、沢田ひろみ先生のおかげで学び、成長したあの日々を思い出し、心が温かくなった。先生が教えてくれた『いいこと帳』の習慣は、ただの学校のプロジェクト以上の意味があったんだ。

今でも、友だちや家族、仕事の仲間を褒めることで、周りの人たちとの関係が良くなる。そして、自分自身もポジティブな気持ちになる。

「先生、ありがとう。あなたが教えてくれたことは、今も僕の宝物です」と、心の中で感謝の言葉を送る。

そう思いながら、大輔は未来に向かって新たな一歩を踏み出すのだった。


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この物語は、以前アップした記事 『「よくできました」という言葉の魔法 』をネタにして短編小説にしました📚



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