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絵本探求ゼミ第4期 第二回講座宿題を決めるまで
絵本探求ゼミでは、宿題があります。
今回の宿題は、テーマの翻訳された絵本。
5冊考えたが、結局資料がそろったのは3冊。
その中から、下記をを選んだ。
『あおくんときいろちゃん』
作: レオ・レオーニ
訳: 藤田 圭雄
出版社: 至光社
最初に日本語と英語の本がそろった本
最初に思い付いたのは、絵本探求ゼミ第3期で出てきた
2013年コルデコット賞、2014年ケイト・グリーナウェイ賞受賞
『どこいったん』
作: ジョン・クラッセン
訳: 長谷川 義史
出版社: クレヨンハウス
大阪弁の訳。英語に大阪弁の指定はないはず。
ジョン・クラッセンの英語も独特のリズムがあるのか?
知りたいが、他の方が選ぶかもしれないので、
帽子シリーズ絵本 完結
『みつけてん』
作: ジョン・クラッセン
訳: 長谷川 義史
出版社: クレヨンハウス
こちらを調べてみる。
『We Found a Hat』
作:Jon Klassen
出版社:Candlewick Press
原作を入手しみてみる。
英語が苦手な私ですが、単純に比較してみます。
文字の書き方、絵などは違いはありません。
さて、内容を比較していきます。
その前に、この絵本。内容は
二匹が一つの帽子を見つけて、どっちも似合う、誰のものにする。
最後が心温まる。
絵を見ていると、カメの表情がいいです。
(うちに石亀が二匹いるので、家のカメが会話してるみたいで、
普段、目の玉だけ動かす所もまたそっくり。)
カメの目の動きだけで、カメの心のうごきがわかる気がする。
翻訳について自分なりに考えてみる。
大阪弁になることによって、軽快さが出てくる気がする。
カメが帽子を欲しい。カメが言い合いしなかったのは、
絵の軽快さからなのかもしれない。
日本語も大阪弁になることによって、冗談ね。と気楽に
いえるのではないかな?
日本語は、主語がないまま会話をする。英文を標準語訳すれば、
丁寧な印象になるが、それでは、ジョンクラッセンが表現したい
ことにならないのではないだろうか。(タイトルだけでも違う)
長谷川は下記のように言っている。
───翻訳をする上での発見や大変だったことはありますか?
作るときに気にしたのは、直訳にしないこと。原文からより離れた文章にしたいけれど、あまり意訳しすぎると本の面白さが分かりにくくなるので、意味が伝わるギリギリの距離感をどう保つのか…、そこが一番大変で、面白い作業でした。
https://www.ehonnavi.net/specialcontents/contents_old.asp?id=42&pg=2
ジョンクラッセンがこの帽子シリーズを作った理由を
調べたいと思う。もう少し深堀したい。
次に見つけた本
『あおくんときいろちゃん』
作: レオ・レオーニ
訳: 藤田 圭雄
出版社: 至光社
『Little Blue and Little Yellow』
作・絵:Leo Lionni
出版社:Econo-Clad Books
こちらは、一回目のリフレクションでたかたかさんが、
性別について書かれていた。
この絵本は最初から3の部分について疑問に思っていた。
これをきっかけに、疑問点をまとめてみる。
1.性別は書かれている?書かれてない?
2.緑になるところ。なんで緑になるのか、文では理解できない。
推測:あおくんときいろちゃんは、年長さんから低学年と
想像して読んでいた。さみしくてお互いが抱き合って、
色が混ざり合うくらい?ありえないのでは?
3.おうちに帰ったとき、親は拒絶する。
推測:なんでわからないのか?拒絶するものなのか?
原書を読んで、確認し、理解力していけたらと思う。
原書を読んで、許諾をとっていないので、本文の掲載ができないので、
私の勝手な訳と感想を書きます。
1.性別は・・・himという文が出てきた。あおくんは、彼なんだと思う。
きいろちゃんについては、解らなかった。
2.英文でも、ハグしていたら緑色になった。
英語版の裏表紙に心の融合と書かれていた。
きいろとあおが混ざるほど、共感する。
互いの色が完全に混ざり合うまでの共感であれば、
最初に考えていた年齢の概念が間違っていそう。
泣いたら元に戻る。これは、心が一回り成長し、元の色に戻るのか?
大泣きもできて、互いに共感ができるのは、10歳ぐらいの年齢に
なるのか。しかし、泣いたら元の色に戻るとき、心の融合後の
変化(という表現でいいのか)はしているのか?
3.を考えるとき、2の心の融合を前提として考える。
我が子だとわからないくらい、変化しているのか?
それとも、変化を受け入れられないのか。
自分の感覚では、難しい。10歳くらいの子どもは手は離しても、
目は離さない。年頃。うちの子じゃない。って言える??
原書を読んでも解決しない。
解説してある本を探して読もう。調べる一冊。
最後に、講義の2日前に入手した本
『ぼくにげちゃうよ』
作: マーガレット・ワイズ・ブラウン
絵: クレメント・ハード
訳: 岩田 みみ
出版社: ほるぷ出版
『The Runaway Bunny』
作: Margaret Wise Brown
絵: Clement Hurd
出版社: ほるぷ出版
家にある本で原書が手に入るものを探して見つけた一冊。
あらすじ
うさぎの子どもがお母さんに、「ぼくにげちゃうよ」
お母さんは、「母さんは追いかけますよ。」の繰り返し。
最後、子ウサギはどんなことを思うのかな?
こちらの比較。
原書でも 子ウサギが「If you become ・・・」お母さんは「Iwill be・・・」
と掛け合いがある。とても微笑ましい展開だと感じる。
しかし、最後子ウサギが「shucks,」日本語では「ふうん。」少し違うイメージがした。
この絵本は小さな子どもが安心できる場所から、外に行きたいような怖いような。そんな時、母がついてくるという安心感を求めている本かと感じていた。日本語の訳のほうが私の感情に近いと思う。
ふと、思春期以降の子どもが初めてこの絵本に出会ったら、なんて言うんだろう。ちょっとゾッとした。読む年齢を考えるとちょっと怖い本になりますね。
翻訳本、ざっとですが見比べてみました。
私が今回見比べた本には、原書と同じ形、同じ絵、英語と日本語が違うだけ。という絵本でした。
単純に、英語表現と、日本語表現の違いを見ることができました。
しかし、『あおくんときいろちゃん』のように文化的背景を知らないと
私には難しかった。
ミッキー先生が前回の講義でおっしゃってた、
子どものために翻訳するこということ
絵と最小限の言葉があってこその絵本。翻訳本でも一緒だと思う。
子どもも大人も長い間楽しめる、素敵な絵本に出会いたいと思う。
翻訳者の皆様。ありがとうございます。素敵な絵本、本に出合うことができるのは、翻訳者の努力の賜物なのですね。