間違っていると言い切れないから
今回は職業キャリアについての話となります。
noteにも、キャリアコンサルタントの資格保有者や新卒者や中途者のキャリアの相談窓口に勤めている方、採用や定着の支援をされている方がいらっしゃいますよね。
私も資格取得のための養成講座に在籍していた時点では、業務経験がなく、テキストを鵜呑みにすることもありましたが、実際に誰かの人生の転換点をともに歩む立場になって感じることがあります。
人に天職など存在しない、ということです。
大切なのは、どの会社に入るか・どんな職に就くか・どんな人生を送りたいのか…といった目標設定でも、そのための手段でもないということです。
キャリアコンサルタントのようなキャリア系の職業は、どうしてもテクニカルな面や目標達成支援などの変化が見えやすい部分に重点を置いてしまいます。
職業としてキャリア支援を行うには、成果が出なければ報酬を得にくいという面があるからだと私は思っていますが、それは支援する側の視点であって、クライアントの職業人生の支援ではなく管理に近い概念なのではないでしょうか?
ということで、こうして問題を提起すると敵対心を抱く方もいるかもしれませんが、こんなことを考えている人間もいるのだと、寛容な心で読み進めていただけると助かります。
最後までお付き合いくださいませ。
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私たちは、目に見えることが正しいと判断しがちです。
過去の偉人や成功者たちは、明確な意思や転機があって名誉と実績を残し、多くの示唆に富んだエピソードも存在します。
そして、多くの研究者が「成功者の共通点」を洗い出し、私たちの前に示します。
「成功者になりたければ、ここに書いてあることをすればよい」、と。
さて、あなたに伺いたいのですが、あなたにとっての成功とは何ですか?
そして、その成功がなければ、あなたの人生は輝くこともなく、つまらない一生だったと嘆くものになるのでしょうか?
私の勘違いだとしたら申し訳ありませんが、多くの人が求めているモノは成功ではなく安定だと思うのです。
後世に名を遺す成功者ではないが、自らの人生をしっかりと歩まれた方もいるはずですし、そのような人生からも私たちは多くを学べるはずなのです。
しかし、突出した成果もなく人生を全うした人の歴史など、誰も書籍化やドラマ化などしません。
当たり前のことを当たり前にすることが難しいと知ってはいても、その当たり前の基準を量ろうともしないのは何故でしょう?
それは、当たり前の基準が人によって違う、という前提を疑うことなく「そういうものだ」と自己完結しているからなのではないでしょうか?
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今ではかなり認知されている言葉に「自己理解」があります。
「私は○○です」といったワークを行った経験のある方もいるのではないでしょうか?
自分で自身の性格や得手不得手を把握することは、職業とのアンマッチを防ぐという面では大切な工程ですが、見落としやすい事実が隠れています。
それは、人は合理的で持続的な思考だけを持ち合わせているワケではない、ということです。
仕事内容については自己理解によってある程度マッチしていても、それだけでは職場環境に適合しているとは言えません。
企業には多くの人が存在しているからです。
作業内容に不満がなく、給与面にも恵まれている人が、人間関係によって転退職をすることは誰でも想像のつく話です。
また、人は一つの目標だけを追い求めるわけではありません。
適職だと感じていた職場で新たな転機があれば、どれほど時間や労力を投資していたとしても、次のステップに進むこともあります。
さらに、職業には盛衰がありますから、あなたにとって適職でもニーズがなければ社会そのものから消えてしまいますし、逆に今はない職業も明日には登場することがあり、それがあなたの特性とマッチする仕事かもしれません。
社会とは偶然が折り重なって、変幻自在に形を変えるものです。
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それでは職業人生で必要な要素は何でしょうか?
それは「理念」です。
あなたが社会とどのように接するのか?
そこに軸足を置けば、なぜ天職が存在しないかが分かります。
天職とは、職業が存在することを前提にした概念です。
先ほど述べたように、今存在しない職業に、あなたの適性がマッチしている可能性もあるのです。
「職」とは「仕事」であり、天職とは「天から授かった自分の特性に合った仕事」だとされていますが、私は視点が逆ではないかと考えています。
自らの社会的意義(=つとめとしての「職」)を天に誓うこと。
どう在るべきかという意志を固めれば、どんな職業も天職と成り得るのです。
…このように書くと、何か特別な想いが必要だと感じるかもしれませんが、そんなことはありません。
あなたに「なりたい姿」がなければ「なりたくない姿」にならなければいいのです。
「楽しくない人生は嫌だ」と思うなら、楽しくなる人生を目指すことを理念にすればいいのです。
おもしろきこともなき世を面白く
すみなしものは心なりけり
高杉晋作の言葉とされているこの句は「面白くもない世の中を面白くするのは心である」という「理念」に通ずるものでしょう。
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私たちは社会を知らない状態で「職業理解」という知識だけを取り込み、社会人としての人生をスタートさせます。
そこには当然に、知識だけでは知ることのなかった世界が待っています。
私たちは未成熟な状態で「自己理解」というかりそめの自分像を創り上げ、社会人としての人生をスタートさせます。
その後、何度も自己変容していくというのに…。
「どう在りたいか?」という理念が大切だと説きましたが、それすらも経験を重ねることで変わっていくのに「天職」などあるのでしょうか?
とは言え、世の中には一つの職に就き、あるがままの自分を受け容れ職業人生を終えられる方も一定数います。
決して名を馳せた成功者ではない彼らの共通点は「自己受容」です。
一つの職を全うすることも、転職を繰り返すことも、結果的には自分を受け容れ、どう在りたいかを模索する人間の社会性の成せる業です。
安定とは、積み重ねた経験の数です。
どんな生き方をしても経験は積まれ、やがて安定します。
ただし、どのように安定するかは、あなた次第です。
さて、私の考え方は稚拙で中途半端で曖昧なモノではありますが、どう感じ、どう捉えるのかもあなた次第…ということで、今回の投稿は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。