noteで学ぶメタ認知
メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。(Wikipediaより引用)
noteへの投稿で、自分にとってプラスになる作用というのは、自分の考えや主張を記録することができ、自分がなぜそのような考えに至ったのか、その経路を確かめることができるということだと思います。
人は思った以上に、自分のことを知ろうはしませんし、知ろうとしない割に、根拠もなく「自分の事は誰よりも自分が一番良く知っている」と考えてしまうものです。
ということで、今回は「noteとメタ認知」について書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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noteは、記事をひと通り書き終わった段階で読み返す作業をすると思うのですが、書いてすぐ感じる印象と、一晩以上置いてから読み返した時の印象というのは、違うのではないでしょうか?
これは、そのほんのわずかな時間にも、あなた自身が成長しているという証なのではないでしょうか?
「初志貫徹」という言葉がありますが、これは人として曲げられない理念や信念について適用される言葉だと思うのですが、ちょっとした価値観や考え方について、この「初志貫徹」という言葉を引用するのは危険だと思っています。
価値観や考え方が変化するというのは、どんな形であれ、その人の成長の形なんだと思います。
その人が何の行動もせず、日々を過ごしているのであれば、そのような変化は訪れないと思うからです。
noteでの投稿活動は、人によっては、誰かの役に立つために書いているかもしれませんし、収益を上げるために書いているかもしれません。
ですが、どんな記事であれ、それを支えている自分自身の考えを、客観的に知ることができるツールだと思っています。
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私の記事は、ジャンルにこだわらず、思ったことを思ったまま書くようにしています。
ですから、読み返すと結構な頻度で論理破綻していたりするのですが(笑)、それはそれで、論理破綻していると気づいた段階で、自分に多少なりとも成長があったのだと思うようにしています。
私にとって、noteを書くというのは、自分との戦いという側面もあります。
noteは、自分の素直な気持ちを書くようにしていますが、誰かに見られることも前提で書いています。
例えば、自分の素直な状態のままに、ネガティブな発言をしてもいいということではなく、自分を鼓舞する意味でも、何かしら前向きな言葉を意図的に綴るようにしています。
それは逆説的ではありますが、自分がネガティブな感情に傾きやすいということを証明している部分でもあります。
でなければ、こんな例えは出ませんから(笑)。
これについては、書くことで気づいたことでもなく、そもそも自分の中で認知している感覚なのですが、それがどのようなときに強く出るのかというのは、こうして文章にしてみるとよく分かったりします。
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また、自分の一瞬一瞬感じたこと・考えたことを残すというのは、未来の自分への贈り物でもあると私は思っています。
ですから、毎日投稿する必要はないかもしれませんが、定期的に記事を書くことで、自分が認知しているものを認知し、変化を認め、成長を感じる…そんな使い方をしてみるのも良いのではないでしょうか?
多くの記事を書けば書くほど、個人的には恥ずかしい文章というのも残ってしまうのですが、いつの日か、そういう記事も好きになれる、そんな自分になりたいと思います。
あなたも定期的に、自分の過去の記事を読み返してみる機会を持ってみてはいかがでしょうか?
何か成長や変化を感じることがあるかもしれません。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。