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中二病のあなたに伝えたい‼普通じゃないと悟るのは普通だったと気づくより絶望感は大きい。
珍しく長いタイトルにしてみました。
本文も3,000文字を超える長文となってしまいました( ̄▽ ̄;)。
まずは「中二病」についての解説引用を掲載します。
【中二病(厨二病)】とは
思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄(やゆ)する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどを指す。名称は、その年代の子供が抱きがちな心理状態であることから、一過性の病気に見立てたもの。
(デジタル大辞泉より)
あなたは中二病ですか?
私は重度の中二病でした(笑)。
ということで、今回は「中二病と現実」について書いてみようと思います。
あなたは、あなたの人生というストーリーの主人公ですから、ずっと中二病ではいられません。
どこかで現実世界と向き合わなければなりません。
ですが、現実世界とは必ずしも「普通」にまみれたつまらないものではなく、ときにあなたを空想世界よりもイラショナル(不合理)な状況に突き落とす可能性もあるのです。
あなたの中二病は、本当に一過性のコンプレックスですか?
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日本には、マンガやアニメの文化があることから、登場人物の人物背景や感情などと自分の意識をリンクさせる行為を、誰もが大なり小なり、幼少期から思春期にかけて経験されていると思います。
これはマンガやアニメのみならず、日本独特の、言葉に隠れた相手の意思を感じ取ろうとする「ハイコンテキスト文化」が大きく影響しています。
【ハイコンテキスト文化】
文化人類学者のE・H・ホールの理論における文化の区分の一つで、コミュニケーションに際して共有されている体験や感覚、価値観などが多く、「以心伝心」で意思伝達が行われる傾向が強い文化のこと。一般的に、日本の文化は「空気を読む」ことや「状況を察する」ことが重視されることから、ハイコンテクスト文化であるといわれる。
(実用日本語表現辞典より)
「ハイコンテキスト文化」と「中二病」は循環しており、状況を察する能力があるからこそ、日本のサブカルチャー(マンガやアニメなど)には大人も魅了する要素があり、サブカルチャー自体が、ハイコンテキスト文化の素養を築いているとも言えるでしょう。
このことから、中二病は日本人独特の感覚なのかもしれませんね。
しかし、世界的に考えると「自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み」を抱くのは日本人だけではありません。
「特別な存在である」と考えることを「自己肯定感」に置き換えると理解しやすいと思います。
【自己肯定感】
「自己肯定感」とは、自分自身を受け入れ、尊重し、ポジティブに捉えることができる感情のことをいいます。他者と比較して何ができるか、何を持っているかなどで優劣を決めるのではなく、評価や成果の有無にかかわらず自分軸を持ち、そのままの自分を受け入れます。
(人事労務用語辞典より抜粋)
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日本人は、この「自己肯定感」が低いと言われています。
諸説あるでしょうが、今回の引用文を参照に推察すると、日本人は自らを特別な存在と思う時期はあっても、他者との比較による自己評価をつけてしまう特性があり、それが「自信がない」という状況を生み出していると考えることができると思います。
「評価や成果の有無にかかわらず自分軸を持つ」
これが肝要であり、多くの人に不足している要素なのですが、ここにも「ハイコンテキスト文化」が影響を与えていることは推し測ることができるでしょう。
ジレンマ、ですよね。
幼少期より、根付いている文化とともに成長しているのですから、成長する過程で、突然に「自信を持て」や「自分を信じろ」と言われてもムリなのです。
また、これは個人的な意見ですが、ハイコンテキスト文化で育つと「社会的正解」という概念に縛られるのではないかと考えています。
あなたの周りにも「言葉と行動が伴わない」という方がいるのではないでしょうか?
正論は述べるのだけれど、自身の行動は省みない…。
もしこのような人物が自身の親であったとしたら?
たびたび国内では教育について論争が起こりますが、なによりもまず最初に取り組むべきなのは、子どもへの教育訓練ではなく親世代の教育だと考えています。
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さて、中二病を取り巻く背景について述べてきましたが、本題と参りましょう。
そもそも、普通とは何でしょう?
【普通】
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
(デジタル大辞泉より抜粋)
社会生活においての「普通」には「平均的な」という意味も含まれています。
【平均】
1 大小・多少などの差が少なく、そろっていること。また、そうすること。ならすこと。
2 いくつかの数や量の中間的な値を求めること。また、その数値。
(デジタル大辞泉より抜粋)
つまり、要約するならば「普通」とは、他者と比較して自身の優れている部分が見出せず、特段の評価や成果もない状態が継続することで感じる心理的階級制度の下位に存すると錯覚すること、だと私は考えます。
このコンプレックスがトリガーとなり、中二病という本来であればアイデンティティを獲得すべき年齢から成人した後も自己劣等感を抱える状態が続いていると捉えられます。
「自分は取るに足らない存在だ…」
そうではないと信じたい心理とバランスを取るように、中二病は慢性化するのでしょう。
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普通とは、絶望的な状態なのでしょうか?
中二病の方に、この質問は残酷かもしれません。
しかし、改めて考えてもらいたいのは、もし仮に、あなたの社会的能力が特別なものであったら?という視点なのです。
他者と比較して、稀有な能力があなたに備わっていた場合、あなたが感じるのは優越感ではなく孤独感です。
私は生まれもって特殊な能力があったわけではありません。
だからこそ、中二病だったワケです。
上記の過去記事でも触れていますが、天才と呼ばれる人との時間が私にとっては大きな転機でした。
天才とは孤独です。
彼ら彼女らの世界観と真正面から対峙し、コミュニケーションを繰り返すことで、私の物事の捉え方は変化していきました。
また、今でもたまに聞く「自分の周りに尊敬できる人間だけを置く」環境を実際に構築すると、天才ではなくとも、そこにはある種の特異な人間だけのコミュニティが出来上がります。
「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますが、井戸だと思っていた世界が大海だったというパラドックスが生じます。
大海では普通であっても、井戸というコミュニティに飛び込むと、立場は変容します。
「この人は自分たちとは違う世界の住人だ」
そんな目で見られるのです。
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普通とは幻想です。
それは、あなたが固定された世界にいるからこそ感じる錯覚に過ぎないのです。
もし、自分を本当に特別な存在として確かめたいのなら、出来る限り、今までの自分とは関わりのない世界に飛び込んでみてください。
そして、孤独感を味わってみてください。
あれだけ拒絶していた「普通」が、自分にとっての安住の地であったのではないかと思うでしょう。
ですが、後戻りはできません。
あなたが普通ではない世界こそが、あなたというストーリーの真の舞台なのですから…。
人生とは、いつだって孤独感や虚無感、絶望感から幕を開けることをお伝えして、今回の投稿を終えたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。