なぜ「日本一周」することは「自分探し」になるのか?
人間、誰しもが一度は考えたことがあるであろう「世界一周・日本一周」というプラン。
知らない土地で、どんな人と出会い、どんな思い出を胸に刻み、どんな成長を遂げるのか…?
今回は、「日本一周」というプランが、どうして「自分探し」となるのか?
その理由について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
ちなみに、実は私も来月あたりから挑戦しようと思っていたのですが、どうやら、「日本一周」というより「全県旅行」に変更を余儀なくされそうです( ̄▽ ̄;)。
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人が「旅」に求めるモノ
「誰かに会いに行く旅」を除けば、おおよそ「非日常体験」を求めて、人は旅に出るのだと思います。
美味しい料理、豪奢な施設、美しい景色…
昨日の記事に「楽しいことを楽しいと感じるためには苦しいと感じる出来事が必要」といった内容を書きました。
「旅の目的」も同じで、日常の物足りなさを埋めてくれるモノとして、人はあらゆる土地に、自分の心の隙間を埋めてくれるモノを求めて彷徨います。
まるで「幸せの青い鳥」を探すかのように…。
少し余談ですが、人が旅をするにあたって、意外と忘れがちだけども大切な要素は「帰る場所があるコト」だと、個人的には考えています。
「帰る場所=日常」があるからこそ、非日常体験を楽しめるのであり、非日常体験が「非日常」であるからこそ、日常を愛おしく感じるのではないでしょうか?
「やっぱり我が家が一番落ち着くな‼(・∀・)」なんて、言ったりしませんか?(笑)。
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「自分の物語」という錯覚を覚える
非日常体験というのは、私たちを物語の主人公のような感覚に誘ってくれます。
日常では、なぜか自分の存在を「脇役」に感じてしまう人もいるでしょう。
それは、学校であったり会社であったり、常に誰かと比べられる「競争社会」に身を置いているからに他なりません。
多くの人は、自分を「平均以上の存在」だと考えつつも、「平均を抜きんでた存在」だとは考えないでしょう。
「ダニング・クルーガー効果」も考えられますが、「note」の世界にいる方は、能力の高い方が多いので、自己評価が驚くほど高い人もいないでしょう。
ダニング=クルーガー効果とは、能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識することができないことによって生じる。(Wikipediaより)
…話を戻しますが、旅をすることによって得る非日常体験は、私たちを競争社会から解き放ち、一人の人間としての尊厳を取り戻させてくれると思うのです。
そうすることで、私たちは自分が「自分の物語の主人公」であると感じることができ、ゆえに自分を客観的に見直すことに繋がると、私は考えています。
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「世界一周=異世界観」&「日本一周=既視感」
旅をすることで、非日常体験は「自分の物語」の1ページとして綴られます。
つまり、旅の日程が長くなる程に物語は深みを増していきます。
さて、突然ですが「世界一周」と「日本一周」の違いとは何でしょうか?
私は、「世界一周」というのは、自分の日常との乖離が大きく、まさに「異なる世界」にいる感覚に浸れるのだと思います。
ゆえに、さまざまな異文化をも取り込むので、旅から戻ると、以前の日常ではいられなくなるのではないでしょうか?
極論ですが、「自分の価値観に、異文化が付与された状態」になるので、元の世界観に戻ることが困難であるということです。
一方、「日本一周」は、日本という文化圏から離れることはないので、どこに行っても、日常と重なるモノがあるのではないでしょうか?
特にこれといった特徴がなくとも、「既視感(デジャヴ)」を感じるため、日常とのつながりを忘れることがない、と思うのです。
「世界一周」に比べたら、変化は少ないのかもしれませんが、日常とのつながりがあることで、「日常の自分」から逸脱することもないので、自分を見つめ直すには、「日本一周」が適しているのだと、私は思っています。
このことから、「日本一周=自分探し」という公式が成立するのではないかと思うのですが、あなたはどう感じるでしょうか?
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私が考えていた「日本一周」プラン
さて最後に、私が日本一周するなら、どのように周ろう?と考えていたかを公開してみようと思います。
ところで、あなたは「トーチング」というモノをご存知でしょうか?
上記は参考資料ですが、去年の終わりごろ、知人からのお誘いもあって、私は「トーチング」のグループセッションに参加する機会を頂きました。
つくづく自分は恵まれていると思ったのですが、普通に生活していたら絶対にお会いすることのできない方と、セッション後の懇親会も含めて、6時間もの間、大切なお時間を頂戴することとなりました。
その中で、私が「日本一周しようと思っています」という発言をし、真っ先に返された言葉が、「自分探しなら止めなさい」でした。
「自分探し」をしたければ、わざわざ時間もお金もかけて「日本一周」しなくても、いくらでも方法はあるし、ハッキリ言って、その時間とお金を別のことに費やすことが、あなたには必要なのでは?という言葉をいただきました。
これは、私に大きなヒントを与えてくださった言葉でもあります。
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「自分探し」じゃない「日本一周」
上記の記事は、最近メディアでも取り上げられている「桜前線とともに北上して日本中の桜をドローン撮影する」というプロジェクトです。
このように、「日本一周」に近い形のビジネスも存在しているということです。
私は、現在の「在宅リモート生活」が日常化してきた中、「リアルな人との接点」というモノが希少性を増すと考えていました。
ですから、noteやTwitterを中心に、SNSで集客して、さまざまな職業の方とのセッション(対談)をYouTube配信する計画を考えていました。
さいわい、私はフルオンライン大学に在籍もしているので、全国に私を知る人間がいる環境は最低限ですが整っています。
また、「キャリアコンサルタント」という資格保有者でもあるので、対人コンサルは希望者のみ配信(希望されない方は守秘義務厳守)し、職業紹介として、企業へのインタビューをメイン配信に据える計画を立てていました。
当初は二輪免許の取得から企画していたのですが、実際に実行することを考えると、車のほうが融通が利くし、ステッカーなどで告知も可能では?と考え直し、マイカー購入も検討したりしていました。
ですが…「予定は未定」と言いますか、さまざまな予想外の進展があり、当初の計画は破綻しかけています( ̄▽ ̄;)アハハ。
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行動を起こした結果…
キャリア理論に「積極的偶発性理論」というものがあります。
これは、「キャリアの8割は偶然によって決まる」というモノ。
一見すると、無茶苦茶な理論に聞こえるかもしれませんが、この理論の肝は「予期せぬ出来事がキャリアを左右することもあるが、積極的な行動や努力がフレキシブルな対応を可能にする」ということです。
私は、ほぼ無計画(笑)に、企業に属さない働き方がしたいと思って行動していました。
ですが、結果として、この行動によって新たな事業をスタートする方との接点ができ、一人で働くために培ったスキルを評価してもらい、非常に面白そうな仕事(役職)へのオファーを受けるに至りました。
これにより、のんびり気ままな「日本一周」は、どうやらすぐには叶わない状況となってしまいました。
私が方向転換したきっかけは、先に述べた「トーチング」でのセッションや、フルオンライン大学での友人との出会いや語らい、「キャリアコンサルタント」を始めとする資格取得まで、数多くの行動の結果だと思うのです。
変更を余儀なくされはしましたが、やらないワケではないので、今後もし、どこかでお会いすることがありましたら、優しく笑顔で出迎えてくださると嬉しく思います(笑)。
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ということで、「日本一周」が、なぜ「自分探し」と括られてしまうのかという話から、私の考えていた「日本一周」プランまで、長文失礼しました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。