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前に立たずとも…
突然ですが、皆さんは「メンター」って言葉を知っていますか?
かんたんに言ってしまえば「気づきを与える人」のこと。
企業によっては、メンター制度という名前で人材育成に力を入れているところもあるようですね。
では、「メンターからメンタリングを受ける人」を何と呼ぶでしょうか?
…もしかして、つい最近まで私は知らなかったのですが、結構フツーに知ってるものなんですか?
答えは「メンティー」若しくは「プロテジェ」です。
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人間は、ある程度の年齢になると、誰でも他人に気を配り、成長を促す「メンター願望」ともいうべき感情が生まれるそうです。
もっとも、ヒトとして一定水準の経験をしてきた方に限るそうですが。
40代、50代になっても自己利益しか求められない方もいるようですが、そういった方は、少し寂しいですね。
自己理解(自分がどんな人間か知ろうとすること)と自己一致(自分の状態を俯瞰して視ること)は、人生の経験値が高いほど精度が上がると、私は考えています。
「自信」というとニュアンス的に、「自分にはない」と思ってしまう方もいるかもしれませんが、「他者を思いやる気持ち」があるということは、「自分と他人を別の存在だと認識」していることと同義だと思うのです。
これがあるということは、「自分の存在を確信している=自信がある」ということだと思うのですが…んー、賛同者は少なそうですね(笑)。
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私も40代なので、「メンター願望」といえる感情はあります。
あ、今書きながら思いついたので書いてしまいますが、「メンターになりたい人」って2種類いると思うんです。
「自分自身が好きな人」と「他人を含めて人が好きな人」です。
「自分自身が好きな人」は、人を導くうえで、ヒトの上に立ったり、人の前を進んだりする傾向があると思います。(個人的な意見です)
一方の「他人を含めて人が好きな人」は、自分が主役になろうとはしません。そっと誰かの背中を押してあげる人、だと思います(こちらも個人的な意見です)。
そもそも「メンター」は「助言及び指導をする人」なので、どちらも「メンター」であることには違いないと思うのですが、私は後者になりたいと思っています。
以前読んだ本に「一兆ドルコーチ」というビジネス書があります。この本に登場する「ビル・キャンベル」は一つの目標のカタチだったりします。
…間違っても「一兆ドル」の部分が目標ではないですよ?(;'∀')
こんなことを言っている段階で、鋭い方はお気づきだと思いますが、今の私は「自分自身が好きな人」なんだと思っています(自己理解)。
だからこそ、自分ではない人のために全身全霊を捧げられる方に憧れます。
前に立たずとも、その存在を感じるだけで安心する。そんな人間に私はなりたい。な~( *´艸`)。
そのためにも、日々、自己研鑽です。
ということで、今回の投稿は以上です。