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ほんとのことが知りたくて、嘘っぱちのなか旅に出る。(杉真理さんや大森靖子さんのことなど)
美しげな言葉に詐欺られた。若者、青春、恋愛、勉強、努力、就職、人生…にあらかじめ立ちはだかる、うそっぱち熟語たち。そして文章、も。
そんな経年劣化した流行語(多分)のせいで、劣等生(オレ)の思考は停止、自由な発想や努力の意味に、たどり着くのを邪魔された。人生ヘタすりゃ台無しにされる、うそっぱち概念のパワー(ところで言葉ってなんだ?)
春のセンバツで健大高崎が優勝し、ご当地の友人におめでとうLINEした。ここやX(旧ツイッター)で、わたしがよく話題にする ザ・メイベルズやロリポップ・ソニックを見た 34年前の、ちょうどあの頃を最後に会えなくなっていた、昔の友人。
結婚を控え、今の高崎に行く直前、彼氏の家にお呼ばれして『北の国から』('87 初恋)を一緒に観ながら(尾崎豊が好きなわたしにと)じゃがいもだったか玉ねぎだったかニンジンだったか、野菜がドンと真ん中にある、男のカレーをご馳走になった。
ビートルズが好きで、どこかポール・マッカートニーの面影(可愛らしさ)に、昭和の良き家庭で育まれた(であろう)賢さが同居した彼女。
当時、杉真理さんの中野サンプラザに、何度か誘ってくれたりもした。
https://youtu.be/pWg6UdYvm60?si=HYPOJkLf9CLu-6RY
松尾清憲さん達とやってたBOXも教えて貰った。最高だったよね♪
ビートリー♪
https://youtu.be/rIaMXqfcFGU?si=WOlM8SL0KJe028my
真心ブラザーズと似た、いや似て非なる意味でビートルズを聴かないわたしに(代表曲と『ノルウェイの森』だけで知った気になってた)彼女は全曲聴け ! と教えてくれた。
彼女はテンプテーションガール。
浮わついたノリや流行語ギライのせいで、わたしに青春は無かったわ。とんねるずは好きだけど、とんねるずのマネするやつ、とか。
汚ない、恥ずい、言葉全般がダメだった。
あと生理的な話。とくに口臭のはなし !
歯科に行って「糖尿病で一年ぶりです」と伝えると「一日5回歯を磨いてください」と即ハミガキ指導に。起きてすぐ、朝 昼 晩、そして寝る前の5回。一つの歯に10秒かけてね !
細菌が体を回っちゃうんだって。
次のとき「認知症の原因にも?週刊誌に」って聞いてみたら「そう、心臓病も」。
全身に関係するからなんだって。
思い当たる。自分がまだ若い頃に糖尿病だったオジサンたち。歯周病を歯槽膿漏と言った時代の、まだ口腔ケアも言われておらず、知らずに寿命を縮めたであろう先輩たち。
そんな文字通りクサイ話も、兄弟で集まったときに、健康情報として濁さず話せてしまった(いつしかデリカシーの無いオッサンになってしまった)
ニキビ、も。わたし若いとき酷くて。
ひとりウッチャンナンチャンとか言われてた(ウッチャンみたいな顔立ちで、ナンチャンみたいなデコボコ肌になってて)
いつも言葉にビクビクしていた。
オレのこと言われてる、って。
自分が汚ないものであることが嫌だった。
なのにいつの間に?こういうの書いてる。
汚ったね~話、やだ。
でもやっぱ、うそっぱちはキライ。
何でまた?口臭の話なんかするかっていうと、東浩紀さん。あずまんさんってどんな人なのかずうっと気になっていて。
頭いい人らしいのに、前の選挙のとき、統一教会の問題の件で福島瑞穂さんが言ったことに対して…
これは大変な発言ですよ””ちょっとこれ大変な事だなあ””これとんでもない話だなこれ”
って言ったんですよ。うわダメだ ! 無理。
それで実際どんな方なんだろって、無料のアーカイブを見てみたのです(近ごろは無料配信してんのね)
以前チラッと見かけた時と違ってワイルド ! 痩せたからかな。そんで無防備にご自分をさらけ出し、ワインあおり続ける様子には好感を持ったものの…
最後は「口臭」で終わって。なんだかなぁ…ってなった(というわけ。まだ観れた)
わかり過ぎるくらい、わかるけどさぁ。
あと小山田さん問題に対する認識とかも、わたしなんかより5コくらい下の世代ってこんな感じ(ズレがある)なんだよなぁって改めてわかった。
「私たちの問題としてロハス的な健康とセックスの関わり、という視点があると思います。村上春樹の小説の重要なモチーフとして、少年時代の純粋な無垢さ、すべてのものの輪郭がくっきり見えて光が溢れている頃の清明さ、というものがあると思うのです。ヒトはそれを大切に生きたいと願うのに徐々に私たちは損なわれ、失われていく。なぜか。それは自分自身の中を性的なものが占拠していくから(中略)坂本さんは、性的には極めて奔放 ? に生きてこられたというような印象を受けますが、ずばりセックスについてはどういう風に考えておられますか」
(福岡伸一『ロハスの思考』ソトコト新書より引用)
福岡伸一さんの問題提起、坂本龍一さんとの対談からだけど、当時52歳(多分)の教授、わたしが覚醒すら覚えた福岡さんの前段の問いかけには反応せず…
「昨今、これだけ食に関して喧しいのに、生存のもう一つの目的である性に関しては未だにおおっぴらに語られないのは不公平ですね」
として、種の保存(リプロダクション)すなわち生殖や、「エロいエコ本」(その後たしか『エロコト』ってムック出したよね)を作りたいという性の話に終始してしまった。
そこ応答しないんか ! ってガッカリしたけど、逆に坂本龍一ってそういう人なんだって。つまり失われるものより持続していくもへの興味、がつよい。の、かなと。
性や口臭(他者)が無い子供時代は、たしかに世界がクリアに見えた。
それが今、食欲も無くなって。
先週、暑くなった日に、シャンソン流して右折する瞬間、夏の甘さがよぎった。
糖尿病になり、治療(食事療法)に取り組んだことで、世界がクリアになってきた。性どころか、食への執着も弱まって、世界の輪郭を取り戻しつつある。
短大に入る直前、東京、神保町。岩波ブックセンターに並ぶセロファンカバーのキルケゴールやニーチェ、サルトル、知の歴史、これから学ぶ世界の、吸い込む空気。
入学後、昼間のバイトを終えて夕闇を歩き、地下鉄に乗り込む途中に寄り道した板橋書店の古本の、いつかの学生たちが手放した、若いたましいが、パッケージされた、薫り。
五感ファーストの、感覚由来の甘美さと、それとは微妙に回路を異にしつつ、最終的には混ざりあい立ち上ってくる「脳内甘美」がある(青春ってそれのことじゃないかなぁ)
雑誌『Number』で阪神タイガース特集をやっていたので、年下の上司に買ったかどうか訊ねると「棚に戻した。若い頃なら迷わず買ってたのに」。
半ば予想してたが寂しい。
(それもまた、甘い。)
性が何かを損なうように、知(識や経験)も「脳内甘美」の降臨を、なぜか邪魔するようになる(知識や経験が浅い時代の、あの感覚。若いころ特有の産物なんだろうか)
エントロピーにさからって。
こういうの青春で、片付けたくはない。
甘やかさ、なかなかやってこなくなった。
(つまらんオッサンのたわごと、ゴメンね)
椹木野衣さんが毎日新聞の書評(3/30)の中で、
「(ツイッター 現 X の利用を休止して)やめてから『心の声』という最大の個人情報を無防備に拡散し続けていたことに恐怖を感じ、同時に大きな解放感を得た。とはいえ…」
(『メディアエコロジー』桂 英史 『ラブレターの書き方』布施 琳太郎 書評より引用)
ということを書かれていて(社会のなかにネットがあるのではなく、社会そのものがネットに呑み込まれつつあると)ドキッとするわけだが…椹木野衣さんだし、わたしごときだし。
ぼくらはただのヒューマン。
でもヒューマンは…
これからの「善」に向けて !
しかしさぁ、還暦が近づく歳なのに、こんな中二みたいなこと言ってるオッサンいねぇよな。しかも『新・プロジェクトX 』(東京スカイツリー)なんて観てしまった日にゃ…
鳶職の森川哲治さん、カッコよかったな。
ほんとゴメン ! もうちょっとだけね。
おとといスカイツリーの近くまで行ったし、新・プロジェクトX 観てよかった。
それでも観ずに、他のことやった方が良かったかもしれない(それが本当は本当のことなんだ)
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木曜日、大槻ケンヂさんと大森靖子さんのツーマンライブに行ってきた。平日で月初で、普段なら断念していた。でもやっぱり行ってなかったら、何かが失われた日だった。
早めに行き、会場となる浅草の花劇場のあたりをフラフラしていた。浅草寺、花やしき。いいところだなぁと思いながらハイボールを飲み、ロカボ飯を食べて開演を待った。
ライブは初めて、でも大槻ケンヂさんのことはかなり昔から知ってるっていう。高木ブー、印度化計画、グミチョコパイン…同い年で(誕生日が5日しか違わない)ケラさん(有頂天♪)のナゴム出身の、サブカルど真ん中っていう…そういう親近感ある人物で。オーケンさん優しくてホントいいよね。いい曲を、いい声で歌ってた。
その日のオーケンはある意味オレ。大森さんへの絶賛っぷりも含めて、感情移入もしやすくて、とても楽しかった(そう話芸の人でもあるしね ! )
大森さんに、この世で最強に信頼してしまうのは、あの世の名声をバッサリ切るし、ここ(ライブ)に来ることが一番偉いと言い、それでもここ(X旧ツイッター)の声にも確実に応答してんですよ。歌も踊りも今を歌ってんですよ。オーケンさんもカッコつけないカッコ良さで最高✨#大森靖子#大槻ケンヂ
— kenzi(sirius) (@tenkist) April 4, 2024
音楽が、ライブが好きになったのは、他では得られない強烈な感動、あるいは猛毒な衝動がダイレクトに伝わるからなんだけど、これまでに見たどんなに好きなアーティストのライブでも、かならず「退屈な時間」が存在していて、それが許容されてるのが不満だった(そこだけ人より欲張りみたいで)
大森靖子にはそれがない !
んですよ。1分1秒たりとも。これ強いて言えば、わたしにとっては1984年に見た尾崎豊以来のことだった(大森さんに初めて接触できたときそう伝えた)
野球ファンにとっての大谷翔平みたいなもので(ショーヘイは打てないときあっからそれ以上かも ! )
なので「一生大森靖子」って本心なわけ。
大森さんは、死んだ後での評価の無意味さ?と同時に「よくここに来れなかった人の分まで、とか、心はここにあるから」的な話のうそっぱちを一蹴して(好きだ~)、実際にここにいること、来たことの、大変さ、凄さ偉さのみを認めていたけれど(だってそれしかわかることができないんですよ)
そしてそれだけのものを与えてくれる。
その1分1秒は、大森さんが「うそっぱちじゃないもの」を、徹底して排除できる努力をされているからなんだ(もう自分の踊りを踊ってる)
行ったわたしですら、残念な失策をしてとても後悔してて。運を逃した。そもそも毎回(のようにじゃない、毎回)行ってる人が得ているものを、どんだけ失っているのか。
それはいいとして、とにかく大森靖子のライブがあったらぜひ行ってみてほしい。
うそっぱちを引っ剥がそうぜ、
これからの、大人たち。ダメ人間たち。
22分ノーカットのツアー映像載せてみる pic.twitter.com/6Bvksupl54
— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) April 6, 2024
今回も、ありがとうございました。
(長々とスミマセンでした🐱)