酒吞童子を描いた歴史小説!『童の神』を読みました。
第160回直木賞候補作であり、
第10回山田風太郎賞候補作であり、
第10回角川春樹小説賞受賞作の『童の神』を読みました。
昔話『桃太郎』の鬼側の物語を読んだ気分になりました。
理不尽に攻撃され、蔑称を付けられて、抗う人々が描かれています。
「鬼の目にも涙」と片付けてしまっていいのか、思うところがあったので、感想を綴ります。
あらすじ
「世を、人の心を変えるのだ」「人をあきらめない。それが我々の戦いだ」―平安時代「童」と呼ばれる者たちがいた。彼らは鬼、土蜘蛛…などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。そして遂に桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが―。差別なき世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りの詩。第一〇回角川春樹小説賞(北方謙三、今野敏、角川春樹選考委員大激賞)受賞作にして、第一六〇回直木賞候補作。(BOOKデータベースより)
生まれる前からスタート!一人の男の人生が描かれる!
主人公の桜暁丸(のちの酒吞童子)は太陽が欠け、凶事とされた日に生まれました。さらに、特徴的な見た目を持っており、幼少の頃から、忌み嫌われる対象として描かれています。
そして、越後の父と師匠のもとで、強くなったと思うと、
朝廷の軍に襲われ、賊になります。
その後、「袴垂」と呼ばれる別の「賊」に感化され、
恵まれない人のために、力を使い始めます。
このあたりの、エピソードがリズムよく、人の出会いによって、
変わっていく主人公にとても人間味を感じました。
同時に、強くなければ生き残れなかったと思います。
ヒーローが悩むポイントである、「特別に強い力を何に使うのか」という問いに、主人公は、シンプルに答えているように思います。
最初は、自らが生きるために。
「袴垂」と出会ってからは、恵まれない人の生活のために。
「童」のリーダになってからは、仲間と家族の命を守るために。
本当に「鬼」なのか?
「鬼」、「土蜘蛛」などと京人から、蔑まれて山に生きる人々と合流します。そして、朝廷と敵対し、何度も戦うシーンがあります。
その中で、印象的なシーンがありました。
馬に揺られ、天を仰ぎ見た。澄み渡る冬空は、今の心境を表しているようであった。金時は身分の高い者、低い者、出自が京人である者、童と呼ばれた者、多種多様な人材を配下に抱えていた。これは金時が望んだことであり、他の軍に比べても混成ぶりは群を抜いている。それが軽口1つでどっと沸く。同じものを見て笑い、同じものを見て泣く、人としての違いなどは感じられなかった。(p347)
「金時」は朝廷側の人で、主人公とは敵同士になります。朝廷側の人も、理解のある人はいました。
ここがこの物語を、おもしろくしているところだと思いました。
白か、黒か、で分けず、グラデーションしているところも
しっかり描かれており、勧善懲悪の型にあてはめきれないから、
奥深いと思ったのです。
では、なぜ、鬼が「鬼」となりえたのでしょうか。
変化をもたらしたのは憎しみから
以下のような記述がありました。
もう一つ最大の理由があった。京人は夷、土蜘蛛、鬼などという蔑称で呼ぶ。屈した者には童と名付けて奴婢として扱う。さらに、穂鳥のように戦わぬ者にまで危害を及ぼす。それは桜暁丸だけではなく、皆に大きな変化をもたらした。己らの営みを守るだけではなく、この世の全ての童を救うという目標が暗黙の内に皆の心に宿ったのである。(p327)
もしもですが、
昔話「桃太郎」で、桃太郎が生まれる前の話があったとするなら、
鬼たちは、「鬼」ではなく、普通の人だったと思います。
そして、「普通」が、何か大きな力によって、奪われ、
「島」という住みづらい場所に追いやられ、飢餓と隣り合わせの生活をしていたのだと思います。
桃太郎に成敗された鬼は、その後どうなったのでしょうか。
別の場所で、再度、「鬼」になったのだと思います。
そして、別の「桃太郎」に成敗される運命なのでしょう。
主人公が最後にいった「鬼に横道なきものを」という言葉が
とても、ささりました。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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