裸眼で過ごしてみる
海外という非日常の環境も何ヶ月か生活していくと日常に変わっていきます。
僕はジョージアに来て2ヶ月が経ちました。滞在しているトビリシは首都ながら小さな街で、バスや地下鉄を使って簡単に端から端まで移動できてしまうし、3日もいれば誰でもこの街の全貌を把握できるでしょう。
そんな街での生活を続けていくと、来た当初に感じていた新鮮さは徐々に失われていきます。
安心感を覚えることではありますが、どこか寂しい気持ちも感じてしまいます。
嬉しい気持ちと悲しい気持ちのせめぎ合いが起きています。
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僕は視力があまり良くありません。
小学生の頃から塾に通って勉強していた環境的なことや父が極度の近視という遺伝的なことが理由としてあり、小学生の高学年のころからメガネをかけての生活をしていました。
その頃は生きていくためにメガネが必要だったし、周囲にも同じ状況の人がたくさんいたため、特に疑問を持たずにメガネをかけていました。
しかし、大学生になってコンタクトレンズの生活を始めてから状況は一変しました。メガネというフレームのない世界がいかに素晴らしいか気づくことになったのです。
夏場に汗でメガネがずれなかったり、そのまま顔を洗えたりといったメリットはあります。ただ極端に言うと、世界が開けたような感覚を抱き、同じ対象物を見ているのにどこか爽快感を覚えていました。
しかし、メガネと比べてコンタクトレンズは費用がかさむし、定期的に購入しにいく必要があります。
だから社会人になってからはコンタクトレンズも使いつつ、再びメガネを使う回数が増えていきました。
IT企業でエンジニアとして働き、一日中パソコンのモニターを眺める日々が続いていたため、眼精疲労が続いていました。実際目が乾くことも多く、コンタクトレンズを使いづらい状況でもありした。
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僕は今年の1月から仕事のためフィリピンで生活していました。
フィリピンではコンタクトレンズがあまり一般的ではないという話を聞いており、日本で大量に購入してから向かいました。
結果的にフィリピンでの生活は半年間になってしまいましたが、その間コンタクトレンズはほとんど使用しませんでした。
購入しづらいという事情から使うことをためらってしまったことがありますが、加えてリモートワークでずっとひとりで部屋にこもっていたことから使う必要を感じていませんでした。
その後、日本に帰らずにジョージアへやって来ました。
ジョージアでの最初の1ヶ月間は毎日のように人と会っていたため、再びコンタクトレンズの生活をしていました。
徐々に自分ひとりでこもるようになりメガネの生活を始めると、コンタクトレンズのあの爽快感が懐かしくなってしまいました。
今でもスーツケースの中にはいくつか未使用のコンタクトレンズが入っているため、ただ使えばいいだけです。しかしこの長旅をいつまで続けるかわからなく、使いすぎたくないからためらってしまう気持ちがあります。
だから結局メガネをかけて生活してしまいます。
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トビリシの生活に慣れてきて、どこに何があるかを概ね把握できるようになってきました。
そんな時、ふとメガネを外して生活してみました。
すると、ぼんやりした風景が今までとは異なる世界に見えたのです。パラレルワールドにさまよった気分になり、楽しくなりました。
もちろん外では交通事故などの危険があるし、裸眼の生活は推奨されることではありません。
しかし、かろうじて文字が読めたり、信号の色も的確に判断できるため、僕の視力では裸眼で生活することが可能であることがわかりました。メガネをかけ始めて18年間、全く気づかなかった新事実です。
裸眼の生活は、僕に新たな世界を教えてくれただけでなく、今までメガネかコンタクトレンズという二択しかなかった自分に新たな選択肢を与えてくれました。
視力が悪くて良いことはありません。
でも自分なりに楽しめたら、それも悪くないと思えるようになりました。
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サムネイルの撮影場所はSaarbrucken橋(トビリシ)