「2種類」の読書
最近、読んだ本の感想をnoteで書いてないなーって思いました。
ただ、読んでいる本のペースはそんなに変わってないので、じゃあなにが変わったのでしょうか。
しばらく考えていたんですが、「あっ、読んでいる本の種類が変わっんだ!」と気づきました。
結論からいうと、本を読んで得られるものって、大きく分けると「知識」か「視点」だと思っていて。
(ぼく基本的に小説やエッセイは読まず、ビジネス書や新書を読むことが多いので、そういう「なにかを得よう!」というたぐいの本を読むならという前提の話です...!)
最近のぼくは「知識」を得るために読んでいる本のほうが多かったから、noteに書くことが少なかったんだなと思いました。
以前、人気ブロガーのちきりんさんが「私にとっての良い本とは、たくさんの知識を得られる本ではなくて、たくさんの考えるきっかけを得られる本」的なことを言っていた記憶があるんですが(ものすごくザックリな記憶)、いまになってようやくその意味がわかった気がします。
「知識」を得られる本って、読んで「へ〜」とはなるけど、仮にその「へ〜」となった内容をnoteに書こうと思うと、引用文ばっかりになっちゃうんですよね。
そうなるとそれは感想や考察ではなくて単なるコピペだし、単に知識が羅列されているだけの文章だったらウィキペディアで良いということになって、わざわざ改めてぼくがnoteに書き記す意味がありません。
せっかく新しくこのインターネットという名の大海に、新たな知を投げかけるのなら、単なるウィキペディアの下位互換ではなくて、その本を読んだことによって生まれたじぶんなりの「新たな視点」だったり「新たな考え方」だったりのほうが、価値があります。
まあ最悪、その視点や考え方すらもどこかの二番煎じって可能性は無きにしもあらずですが、ひらめいた時点では「これは世界の新発見だ!」と思ったのだから、わざわざ文章として書き残しても大丈夫です。
ただ、じゃあ「知識」を得るための本が悪いのかと言ったら、そんなことはまったくなくて、それは単なる読み手の段階の問題。
「視点」や「考え方」を持つためには、その土台になる「知識」が必要だからです。
つまり、最近のぼくは新しい分野の勉強をしようと思って「知識」の獲得に比重を置いた本の読み方をしていたから、note上では読んだ本の感想を書いていないのだなと思いました。
ぼくの感覚では、「知識」を得るための本は、ぼくの知を「広げて」いって、「視点」を得るための本は、知を「深めて」いくってイメージでしょうか。
たとえば、きのうツイートした内容は、完全に「知識」をまとめたものです。
言い方はあんまり良くないかもしれないですけど、これはわざわざnoteに書くことはない(というかできない)なと思って、ツイートに得た知識をまとめる形で、一旦この本の役目は終えました。
だから、ぼく的にはどっちの本の読み方や種類が良いとか悪いとかってよりは、単に目的と段階の違いだなって思います。
ということで、ここ1ヶ月くらいはどっちかと言えば知を広げる寄りの本の読み方をしていたので、あんまりnoteに本の感想noteがあがっていないのですが、最近読み始めた本のなかには、視点を得る系の本だなと思っているものもあるので、来月くらいには読んだ本の感想noteも書いていきます!
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