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スマホ入力によって漢字が書けなくなることは『退化』なのだろうか?

人間はそうそう進歩しません。
というか、どんどんレベルが下がっていきます。

ユーチュバーが消滅する未来』という本を読んだんですが、その序章にこの言葉が書かれてありました。

著者は岡田 斗司夫(おかだ としお)さんという社会評論家の方で、本の副題は『2028年の世界を見抜く』です。

なので、タイトルは『ユーチュバーが消滅する未来』となってますが、別にユーチュバーのことばっかりを書いてるわけではありません。

それは1つの具体的な現象として取り上げられているだけで、あくまでもメインテーマは『未来』です。

岡田斗司夫さんが未来予測をするにあたり、序章で『人工知能の発達』について軽く触れてるんですが、その文脈で出てきたのが今日のnoteの冒頭にある言葉です。

補足として、そのすこし後にある文章も引用します。

僕にしても、もうスマホなしだと簡単な漢字すら書くことができません。
「今後、AIはどれくらい自然言語を解釈できるようになるのだろう?」という問いは、「今後、僕らはどれくらい漢字が書けなくなるのだろう?」という問いとセットになっている。

※太字はぼくによるものです

ぼくは昨日のnote『テクノロジーは技術を民主化する』ということをチラッと書いたんですが、テクノロジーは他にも『テクノロジーは人間の生活を豊かにする』とか『テクノロジーは人間の能力を拡張する』とか、いろんな言い方がされています。

でもこれらは全部『テクノロジーは人間の生活を楽にする』と言い方もできて、そして見方を変えれば『テクノロジーは(生身の)人間の能力を下げる』と言うこともできます。

たしかに、車や飛行機が発明されたことによって、ぼくたちは遠くに行くときも歩かなくてよくなったし、スピーカーが発明されたことによって、ぼくたちは遠くまで声を届けたいときも、そんなに全力で叫ぶ必要がなくなりました。

これらはもしかしたら、『人間の能力の減退』にあたるのかもしれません。

ただ、『本当に人間はショボくなっているのか??』と疑ってしまう自分もいます。

ということで、すんごい前置きが長くなりましたが、今日は『人間のレベルは本当に下がっているのか?はたまたそうではないのか??』について書いていきます。


求められる能力が時代によって違うだけ

結論から言うと、ぼくは『人間は衰えてるっていうより、時代によって求められう能力が違うだけじゃないの??』というスタンスです。

ただこれは正直に言ってしまうと、ぼく発ではなくちきりんさんのブログからの受け売りです。

ぼくは冒頭の『人間はどんどんレベルが下がっています』という言葉を見たとき、真っ先にちきりんさんのこのブログを思い出しました。

ブログのタイトルは『いつだって2割の人は生きていけない』で、ぼくがさっき結論として書いた内容について分かりやすく書かれています。

(ここからは、ちきりんさんのブログを踏まえたぼくの解釈を書くので、ちきりんさんの本意とはズレてる可能性もあります)

『時代によって求められる能力が違う』というのは、例えば車によってぼくたちが移動するようになったことを、『人間の歩く能力が下がった』ではなく『車を運転する能力が必要になった』という風に考えるといった具合です。

そして、”たまたま”時代に適応した能力をもっていた人が生き残っていきます。

これはまさに、ダーウィンの『進化論』ですね。

(ちなみに、生物学の『進化』は『進歩』ではなく単なる『変化』を指しますが、『衰退』の話をしているのに『進化』という単語が出てくるのは、なんか面白いです。.............面白いですよね??)


人間はそんな簡単に進化も衰退もしない

あと、ぼくが『人間は衰退していない』というスタンスを取るのは、単純に考えて、そんな時間を経るごとに衰退していく種が、何千年何万年も生き残れるのか??と思うからです。

そんなポンコツな種だったら、こんなに繁栄しないはずです。

それに、いま、というかずっと心理学が世間でもてはやされるのは、『人間の脳はずっと同じだから』です。

人間の脳や認知の仕組みは狩猟採集時代からずっと変わらないのに、社会の仕組みは比較にならないくらい高速で変化しているので、そこにバグが生じます。

本屋さんに並んでいるコミュニケーション関連の本は、大抵『そのバグをうまく活用していこう!』ということが書かれています。

なので、脳や認知の仕組みは変わらないのに、潜在的な身体能力だけそんなすぐに時代に適応するというのは考えづらいです。


個人と社会、それぞれの対応策

それで『人間の能力が仮にそんなんに変わってないとして、だからどうなんだ』っていう話なんですが、最後にそれを踏まえた個人と社会、それぞれの対応策について書きます。

まず、個人としては『時代が求めている能力』にアンテナを立てることが大事です。

『何日間も歩き続ける根気と脚力』ではなく、『運転免許証』を獲得したほうが、いまの時代は生きやすいです。

『徳川家の歴代大名を全員フルネームで言える記憶力』よりも、『欲しい情報が載っているサイトにたどり着くための正しいワードを、検索窓に打ち込めるセンス』のほうが、いまの時代は役に立ちます。

こんな感じで、『いまの時代が求めている能力はなんなのか?』を考えることによって、生きやすさが高まります。

次に、社会がすべきことは『セーフティネットの用意』です。

『時代に必要な能力』と『自分ができること』が、どうしても合致しない人だっています。

そういった人たちを『無能だ!』と切り捨てるのではなく、『たまたま時代の求める能力を持っていなかっただけ』と、尊重と救済をする必要があります。

ここで社会政策くらいの大きな話になると、『ベーシックインカム』の議論なんかも出てくるでしょう。

参考:昔すんごいベーシックインカム傾倒してたときに、いろいろ調べまくって書いたブログ

そんな規模の大きい話は一朝一夕でなにかが変わるわけではないですが、『たまたまできない人の尊重』は、いまからでもすぐにできます。


ということで、今日ぼくが言いたかったことは『テクノロジーは別に人間を弱体化させてるわけではない』と『情報収集は大切』と『みんなお互いに尊重しあおう!』でした。

今日取り上げた本は、他にもいろいろと考えさせられる箇所が多くて面白かったので、明日以降もなんか書いていきます。


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