ダミアン・シャゼルの文法―条件法、空想の過去への誘い、『バビロン』を見て
計算されたバーレスク
最近の流行りなのか、上映が始まっても監督名、配役が出ず、さらに映画の題もなかなか表示されない中スクリーン上ではタイトルにふさわしい放埓なバーレスクなシーンが続くので上映されているのはダミアン・シャゼル(Damien Chazelle)*の『バビロン』”Babylon”(2022)であることを確信する。ただし瞳を凝らしてよく見てみるとそのバーレスクはあまりにも計算され過ぎているような気がして、まるで最新のミュージカルの様―1920年代で不埒なことをいたす女性の三角筋があんなに発達していただろうか。したがってバーレスクにあるべきカオスは見受けられず、そのためこちらもこれは何か別の企みの前奏、prétexteつまり口実なのではないか、と勘ぐってしまう。それはとてつもなくな贅沢な口実なのだが。
もちろん過去のミュージカル映画に対するオマージュと言っていい―カナダのフランス語圏ケベックでの題はPour l'amour d'Hollywood(ハリウッドへの愛のため)となっている―『ラ、ラ、ランド』"La La Land"(2016)を見ていればシャゼルは映画史に通暁していることは容易にわかるが、もはや様式美が見てとれるほど入念に演出された『バビロン』の最初の「狂乱」の場面を目の当たりにするとこの映画は繁栄のroaring twentiesから大恐慌のdirty thirtiesに起きたサイレントからトーキーに移ったという映画の歴史における大きな出来事それ自体を描きたいのではなく―映画に対する愛情が画面に溢れていて、シャゼルが映画の黎明期におけるこの大事件を疎かにすることはないが―映画そのものへのオマージュに乗っかって実はもっと個人の内面的なものを描きたかったのではないか、と思えてしまうのだ。
内面と条件法
(シャゼルが描きたい)個人的な内面とは何か。それは英雄、ヒロインが世界史的出来事の中で運命を自らの手で切り開いた結果手に入れる成功とかまたはそのため陥る悲劇ではなく、人とのちょっとした齟齬から拡がっていく愛情の行き違いに対するごくごく個人的な後悔、「あの時、別のことをしていたら(別のところにいたら)…」有りえたその後―ようは現在を、つまり内面で別の運命をほろ苦くあたかも回想するように想像の過去を「条件法」で描いているのではないか。
復習しよう。条件法とはフランス語において英語で言う仮定法のこと ; Si j’avais été là, j’aurais pu être avec toi (If I had been there, I could have been with you); 「もしあそこにいたならば、あなたと一緒にいられただろうに」。つまり過去の事実に反する条件を仮定し、そのもとで起こりえたかもしれない非現実の可能世界を表現してみせるのが条件法(仮定法)なのだ。高校の古文でやった助動詞「まし」が表す反実仮想と言ったら分かりやすい人もいるかもしれない。あったかもしれない「想像の過去」をシャゼルは映像と音響の力によってみごとに現前せしめる。
後悔先に立たず
彼の映画を順に追ってその条件法の変奏を見ていってみよう。彼の長編デビュー作『セッション』"Whiplash"(2015)では主人公マイルスは優しいが気弱な父が心配し舞台から降りることを勧めることを断り、暴君だが音楽の深奥へ導いてくれる師匠フレッチャーと舞台上で対峙することを選んでしまう。フロイトの父親殺しの教科書版のようだということはひとまずおいて、おとなの門をくぐったばかりのマイルスには乱暴に言ってしまえば条件法によって想起する、あったであろう過去などまだ存在しない。これから彼にとって嫌になるぐらい条件法によって想起する想像の過去が出てくるだろう(たとえば疎遠とまで言わないがコンサートの舞台の事件以来いささかよそよそしくなっただろう父親との関係を顧み「あの時父を振り切らなければ、父と今でも仲良く映画に行っていたであろう」、と思うのではなかろうか)。
本格化する条件法
条件法が本格するのを描いたのが『ラ・ラ・ランド』だ。主人公の二人は最初出会った頃はお互いstruggling artistsであったが嬉々と恋人同士としてロサンゼルスの街を闊歩しそこで―ミュージカルなので―縦横無尽に歌い、踊る。やがて一方の商業的成功と他方のその停滞のためか、お互いから言ってはいけない言葉が飛び交い、関係は暗礁に乗り上げてしまう。その後幾星霜を経てそれぞれが女優、ジャズピアニスト兼バー経営者として成功したことが画面からわかり、女優がそのおそらく夫であるパートナーとそのかつて歌い、踊った相手が経営するジャズバーに偶然入ってしまう。二人はお互いに気づくが、ジャズピアニストはピアノを弾き始める。そこで画面で展開されるのは彼らは成功の盛夏の真っ只中にいるにも関わらず、すでに「もし一緒にいたならば、こうであったかもしれない彼女と彼と一緒にいる幸せの過去と現在」を露出過多のイメージ、デフォルメされたリアリズムから離れたおとぎ話のようなそして甘酸っぱい映像なのだ。すなわち条件法を用い仮想過去を想起している。しかし演奏が終わり現実に二人は戻され、女優が店を出る時ジャズピアニストとわずかだが充分の時間見つめあい、あたかもお互いが二人が一緒にいて家族を作って幸福だったかもしれない想像の過去を演奏中に想起し、しかしそれが条件法に過ぎず現実の今は別にあることを確認するが如く二人で淡い笑顔を浮かべ邂逅のシーンが終わる。
内面とブレスレット
静謐という言葉しか思い浮かばない次の『ファースト・マン』"First Man "(2018) においては趣向を変え、『ラ・ラ・ランド』のRyan Goslingが演じる主人公の宇宙飛行士ニール·アームストロングの内面は描かれず、私たちが画面で見えるのは行動する彼だけだ。言ってみれば彼の「外面」だけだ。私たちは戦後のアメリカの国家事業であった宇宙計画を『ライトスタッフ』"The Right Stuff"(1983)や『アポロ13』"Apollo 13"(1995)で知っている。これらの映画では宇宙飛行という困難な使命に立ち向かう英雄たちの果敢な挑戦が描かれていて、これらの作品はbiopicという2000年ぐらいから用いられ始めた単なる映画のジャンルを示す単語を超え、現代の叙事詩と言っても決して大げさではない。
ところがシャゼルの『ファースト・マン』では確かに宇宙計画の危うさは描かれているが、NASAの宇宙計画は行き当たりばったりのやっつけ仕事のように描かれ、よってそこにおける危険は無謀さによるものであり、前掲した二つの映画のように偉大なものへ身を委ね、大きな困難に挑むという物々しさがなく、そこがこの映画を普通の英雄譚になるのを救っているが、それと同時に冒険ものの分かりやすさがないので見ているものはいささか戸惑ってしまう。
だがそれが伏線というか別の主題の前奏なんだと後半になって分かってくる。ようやく月に着陸し、そこを探査して―その際も音楽はおろかほとんど音がなく、なにしろ静謐なのだ―ふとアームストロング一人になりクレーターに直面すると、早逝しもはやこの世にいない娘のブレスレットをそこに放ち、画面は切り替えしで涙をためている顔を映す。それと入れ替わり亡くなった娘とピクニックしている露出過多のいかにも家庭用八ミリで撮った―『ラ・ラ・ランド』と同じ手法だがここでは反実仮想ではなく―たぶん実際の過去としての映像を交差して写すことによって、もはやこの世にはいない娘のブレスレットによって娘がいかにアームストロングにとって大切で、その死を後悔しているか、ということが画面を見ている私たちは初めて了解できる(なにしろ内面がそれまで一切描かれてないのだから)。
強引に画面を読み込んでしまえば、この人類初の月面歩行という偉業はprétexteつまり口実であって、アームストロング個人にとってアポロ計画は内面の回復、すなわち宇宙計画で忙しく病気の娘とまともに会えず、あまつさえ充分に治療を施すことが出来なかったかもしれないという後悔からくる娘への償いであったではなかったのか。確かに『ファースト・マン』には想像の過去を思い浮かべ感傷に浸る甘酸っぱさはないが、月に持っていった装身具による回顧によって失った娘を想起することによって条件法より深く内面に入り込み、その救済をシャゼルは描きたかったのでは、と深見をしてしまうのである。
作品はつねに裏切る
そして『バビロン』。映画の作りはもっと複雑というかより重層性を帯びてきている。条件法による想起をしてしまうとあまりにも後悔が押し寄せて来るのを恐れてか、ピストルによって自殺をすることによってそれを断念したもの(Brad Pitt)、薄幸により想起する権利を失われたもの(Margot Robbie)、寿命を全うし他人の想起の中に宿ることになったもの(Jean Smart演じる芸能レポーター)、と条件法による想起はより多様化する。
主人公マニーにいたってはまさしくシャゼルの映画のそれにふさわしく、映画の始まりにおいては無名の青年で運と機転そしてがんばりによって映画界で活躍していくが、女優である好きな女性(Margot Robbie)がしでかした事件に巻き込まれ、輝かしい未来があったにもかかわらず、断念・選択をしハリウッドから去ることになる。その後『ラ・ラ・ランド』よろしくまた幾星霜経ち、ニューヨークでラジオ店の店主として地味に暮らしてきたことを奥さん、娘とかつて勤めていた映画製作所を観光と思われる形で1952年に戻って訪ねるシーンで私たち観客は知る。夫が思い出に浸りたい、と察したのか、奥さんは気を利かして娘とその場を去る。一人になった彼は近所を散策し、映画館をみつけ、そこでは『雨に唄えば』(Singin' in the Rain)”1952”がやっている。ここで散漫な注意力しか持たない観客でもマニーが1952年にハリウッドに戻ってきたように設定されているのが偶然ではないことにきづく(シャゼルの計算、企みの証左)。誰もが知っているように『雨に唄えば』はサイレントからトーキーに移行したハリウッド時代を1952年から遡及して描いたミュージカル映画で、しかもトーキーになって発覚してしまった女優の声質の悪さがテーマになっている。これこそがシャゼルが本歌取りをした映画で『バビロン』を作ったのである。
マニーは満員の観客とともにかつて自分が直面したことがスクリーンで演じられていることを目の当たりにして涙する。まさしくプルーストのマドレーヌが忘れ去られていた過去を現前に甦らせたように、面前の画像は彼の内面を一挙に過去の思い出でいっぱいにしたのであろう。これはもうちょっとウンチクを続けさせてもらえば、プルーストが影響を受けたと言われているベルクソンがいう持続の体験であり、つまり時間とは―ベルクソンは持続という言葉を使うが―人の外に存在し過去から未来へ経過を記録する単なる指標ではなく、したがって現在もその指標軸の単なる通過点としてあるのではなく、現在とは身体・感覚により生きられる持続する体験であり、マドレーヌのかけらが口蓋に触れた瞬間、ベルクソンの潜在していた過去、プルーストの言う無意志的記憶が今・ここに現れて内面を充実させたのである。潜在的にあった過去が現在においてあるきっかけ―プルーストのマドレーヌ、マニーの『雨に唄えば』―を通して顕在化し、内面を充満し、現在という時間が単に人の外にある状況ではなく生きられる時間として捉えるのがベルクソンの持続体験である。
『バビロン』に戻ろう。マニーは1952年の映画館で『雨に歌えば』を面前にして、それこそプルーストの『失われた時を求めて』における言葉を借りれば、身震いをしながらうっとりするような喜びに満たされ、人生の苦難も気にならなくなり、それはちょうど恋愛によって本当に大切なことによって自分が満たされるというか、むしろ大切なことは外からやってくるのではなく自分そのものである、という持続体験をしたのである。
両親を大学教授にもち、自身もハーヴァードを出ていて、あとなにしろフランス人でもある秀才のシャゼルであるから、プルーストはもちろん―映画冒頭のバーレスクのシーンで、誰かがプルーストに会ったことがあると言っていたことを思い出そう―ベルクソンの内面化された時間(純粋持続)を知らないはずはなく、さらに歴史的射程を持ち、思い出というものが重要な要素となっている作品において当然意識していたに違いない。
けだしシャゼルはプルースティアン(Proustian)、もしくはベルクソニアン(Bergsonian)なのであろう。ただ暗闇の中で映写機が放つ光が作るスクリーンの映像に瞳を凝らし、フィルムに刻印されている音声が映画館で響くのに耳を澄ますと、どうもこのような知的な分類からこぼれ落ちるものが見え、聞こえてくるのである。そう、作品とはしばしば作者の意図を裏切るのである。確かに『バビロン』の主人公マニーは『雨に歌えば』をきっかけに『失われた時を求めて』の(名前のない)主人公と同じようにうっとりするような喜びに満たされるが、小説の主人公は自らの過去が面前に蘇ってくるのに対して、実は映画には微妙なだが本質的なズレがあり、私たちが目にしている映像は『雨に唄えば』だけではなく、それ以前の映画から1952年よりあとのマニーがその時見ることができない例えばフランス映画などの映像が繰り広げられるのである。マニーの過去―想像の過去も含めて―ではないのだ。
集合的条件法
そうなんだ、映画史を網羅するようにちりばめられた映像たちはマニーにではなく、私たちに対しての映像であり、それらを見て「身震いをしながらうっとりするような喜びに満たされ、人生の苦難も気にならなくなり、本当に大切なことが自分自身であるによって自分が満たされるというか、むしろ大切なことは外からやってくるのではなく自分そのものである」ことを自覚するのは実は私たちなのである。マドレーヌを口をした『失われた時を求めて』の主人公はコンブレーの思い出に満たされるが、それを読んでいる私たちはそれらを体験しているわけではないので類似の体験を思い浮かべ共感するだけだが、『バビロン』ではマニーの『雨に唄えば』体験からスクリーン上の映像が映画史の断片に移ることによって、私たちが急に映画史に召喚され、私たちがそこであたかもその過去を想起し、身震いするのだ。『バビロン』はマニーによる過去の想起と私たちが過去の映画に呼び戻される二重性によって『失われた時を求めて』では得られない「今」の充実が得られるのだ。
ところで二重性を英語に訳すとき敢えて恣意的に訳せばduplicity、二枚舌つまり虚偽を含んだ二重性と訳せる(普通はtwofold characterとか硬い言葉で言えばdualityとか)。そう、『バビロン』のこの二重性には虚偽が入っており、つまり私たちが喜びに震えている過去の映画は実際は私たちの過去ではない。私たちは実際に見たことない映画によって感動しているのだ。もちろん監督のシャゼルのように画面に次々に繰り広がる過去の映画(の断片)を(たぶん)全て見ていているシネフィルもいるので、私たちの過去ではないと言い切れないが、強弁させてもらえば、よしんばその人たちにしたって全ての映画を封切り時に見ているわけではなく、映画鑑賞で重要なその映画にまつわる思い出というものは『バビロン』で繰り広げられる全ての断片を伴ってないはずだ。
『バビロン』は登場人物たちにだけではなく、まさしく私たち見ているものに対しても体験しなかった想像の過去を想起させ、つまり集団的に条件法を使わせ、その無かった過去を懐かしくさせるのである。条件法を登場人物だけではなく観賞している私たちも用い、体験していない過去を追想する二重性(duplicity)。
ついでに言えばこれこそが実はノスタルジアの本質ではなかろうか。ノスタルジアとは古代ギリシア語でnostos(帰郷)、algia(痛み)、つまり失われたかつていたところに帰れない痛みのことである。これを精神分析のように深読みして次のように言うことはできないだろうか。自分の体験したことない過去はその虚偽性と言っては言い過ぎかもしれないが、自分の過去ではない、つまりその定義からして決して帰ることができない、だからこそそこに帰れないことを―半ば安心して—心を痛め悩むことができるのがノスタルジアなのではないか、と。ダイナーでコカ・コーラとミルクシェイクを飲みながらジュークボックスからロックンロールを聴く、あるいは三輪トラックがまだ舗装されていない道を通る夕日が沈む三丁目...
ダミアン・シャゼルの映画は突き放していってしまえば、例えば『ラ・ラ・ランド』のように現実には起こらなかったゆえに戻れない過去の可能性ー条件法―を紙芝居のように演出し、それらが一杯の画面を通して私たち観客の内面は、その他人のあったかもしれない過去で一杯になり、ノスタルジアに浸るのだ。
内面の時代の再来?
ところで前世紀、ちょうどトーキー映画が本格化した頃、哲学においてフッサールが提唱し始めた現象学では、デカルトのいう「我思う故に我あり」のような意識に対する意識ではなくその意識を―例えば美味しいラーメンのような―外部の事物に向かわせる「志向性」という概念に出会ったサルトルはこのようなことを言っている。「今やわれわれは、[志向性という考えかたによって]プルーストから解放された。同時に〈内的生活〉からも解放された」、と。果たしてサルトルが言うように「志向性」という概念のもと現象学によって哲学が外に向かったかどうかは分からないが、前世紀は確かに人間は内面での自己満足に留まらず積極的に外の世界に出てゆき、ヒト・モノに働きかけた。ヒトとの関係は集団同士が時には友好的、しばしば敵対的関係を持ち、とにかく無関係でいられなくなり、また人間はモノを取り込みそしてあらたなモノを創出し、それらで生活を充満させ、新たな世界を作り出した。しかしそれと同時にヒト・モノをかつてない規模で戦争、(環境開発によって)破壊してきた。
そのサルトルのもの言いから約一世紀経った今21世紀初頭から見て前世紀を「志向性」の全面化した世紀とまとめることは哲学徒の針小棒大な言いふらし、大言壮語と一笑に付されるだけだが、少なくともそこにおける人間の営為を叙事詩のように歌うことは憚れるはずである。ところが叙事詩は聞かないが、おろそかな争いが20世紀の劣化コピーよろしく繰り返されているどころか、激化しているありさま。
ボーヴォワールとの契約結婚なんてのを高々と宣言するような良くも悪くも典型的な20世紀人であったサルトルが毛嫌いした内面にあたかも戻ることを示唆しているともいえるシャゼルの20世紀初頭の映画界を描いた映画は黙示録ともいえる、というのは大袈裟なのだろうか。
敢えて大袈裟と言い切りたくないのは同じようにいくつか今年2023年のアカデミー賞候補になっていて、別の形ではあるが映画のことを自己言及するが如く讃歌する作品の『エンパイア・オヴ・ライト』”Empire of Light”(2022)で主人公の女性(Olivia Colman)があのふざけたピンクパンサーシリーズのPeter Sellersの最後の作品でそのいぶし銀のような演技が見られる『チャンス』”Being There” (1979)を見るシーンがあり、そこでlife is a state of mind(人生は気分の持ちよう)と言っているのが聞こえる。20世紀は外界に働きかけヒト・モノの破壊を続けた時代と先ほど言ったが、そこで人生を文字通り破壊された人々を前にして人生は気分の持ちようなどと言うのは噴飯ものを超え侮辱であるが、この映画が公開された1979年は20世紀の人間の営為の中心にいた合衆国においてその疲弊が最も顕著であった時期であった。おそらくそれまでの向う見ずな外界への攻撃的な働きかけへの反省から出た言葉なのかもしれない。
ダミアン・シャゼル同様秀才のオックスフォード出身の監督サム・メンデス(Sam Mendes)も敏感に21世紀の第三のdecadeの私たちも疲弊し、内面の時代に入っていく兆候を読み取っているのかもしれない。それはあり得たかもしれない想像の過去の可能性と戯れる条件法に惑溺する反動に陥るだけかもしれないけど。
*Damien Chazelleはアメリカで英語の映画を作っている人なので、日本語表記では「デイミアン・チャゼル」とするのが慣例だが、父親同様フランスとアメリカ合衆国の二重国籍の持ち主でフランス語を話すので―とはいえ同じ合衆国の映画人のジョディ・フォスターのフランス語にはかなわないが―このように「ダミアン・シャゼル」とフランス語発音を踏襲した日本語表記にしました。
※これを書くのにプルーストに関しての記述は鈴木道彦著、『プルーストを読む』、集英社新書、2002年、を、内面に対してのサルトルに関しての記述は木田元著、『現象学』、岩波新書、1970年、を参考にしました。