【1話 はじめまして】
Ⅰ. はじめに
はじめまして、現在法人営業の会社で部長/株式会社Own Wayの代表を務めてますKentaと申します。ご観覧ありがとうございます。
このノートでは主に「共有」と「記録」を目的に発信します。
Ⅱ. 自己紹介
*1991/02/14/.........現在29歳
*地方4年制大学卒業後、上場企業の営業会社で5年勤務
*営業成績TOPで入社2年で九州営業所の拠点長へ
*年収1000万超えで海外旅行三昧✈︎
*その後、組織運営がうまくいかず年収600万へ転落モード
*マネジメント力の向上により年収700〜800万を彷徨いモード
*2018年に転職し現在法人営業のベンチャー企業で部長職(年俸制)
*2020年、サラリーマンしながら副業で起業(営業コンサル)
ざっと纏めるとこの通り、営業一筋で7年経つところです。笑
Ⅲ. 営業未経験からのヒストリー
僕は実のところ、入社1年目の営業成績は常にビリで全く売れない社員でした。当日は気合い!根性!深夜までピンポンしまくってその日の最終報告で0だったら2人の上司から激詰めをくらう、、そんな日々を送り・・・
営業会社アルアルの「飛ぶ」を実行した張本人でもあります。
当時の上司は着信拒否にして、スターバックスで転職サイト物色真っ最中に1本の知らない番号から電話が来ました。それは、他部署の部長からで「お前、飛んだんだって?笑 俺、今度法人の事業新しくやるからそっちこいよ!」というお誘いでした。僕は「????」てな感じでしたが、内心こんな自分でも必要としてくれている人がいるんだ!とメンヘラ彼女バリに喜んでいる自分がいて二言目には「行きます!」と言っていたのをつい昨日のように感じます。
実はその他部署の部長とは面識があり(本人は記憶にあまりないそう)当時、コンシューマー向けの飛び込み営業では1日に3契約したら胴上げものでしたが、その部長は1人で7契約上げる強者だと知っていて、陰ながら「バケモノ」と思っていた人物でした。笑
そう、この部長(メンター)との出会いが僕の営業人生の中で1つ目の分岐点になります。
その法人事業の部署には立上げということもあり既存事業のオフィスフロアの片隅の倉庫みたいなところで簡易テーブルとパイプ椅子で数名から始りました。
「0を1にする」この作業が如何に困難か、役職は無休で駆けずり回り、僕ら一般社員は兎に角アポ(主権者に時間をとってもらう)をつくる為に必死にテレアポしまくってました。3ヶ月程経過し、まだ軌道に乗るまでとはいかなくとも形になってきたところから、僕はその上司の指導の元で毎月成績が上がるようになっていきました。
誰も売ったことのない商材でおそらく、誰もが直ぐに潰れるであろうと予測していた事業が、後にあらゆる事業を吸収するまでのマンモス事業になろうとはこの時点ではグループ全体が予想してなかったことでしょう。
メキメキと頭角を現してきた僕は、事業部で見事No.1を半年連続で達成していきました。ここから先は拠点展開により拠点長職へと階級が上がったのでプレーヤーとして、ではなく組織として運営にチャレンジすることもできるようになりました。
当然、収入もこの時には年収1000万以上あったので念願のハワイ旅行にも彼女と行けて、タワーマンションにも住んで、値段を気にせずに好きなモノ食べて🐽
これぞ、順風満帆!
てな生活は長くは続きませんでした。。。
そう、営業力とマネジメント力の違いがわからなかった僕は組織運営という未知の領域で破壊力抜群のパワーマネジメントをやってのけてクラッシャーの異名まで危うくつく?そんな、マネージャーへと変貌を遂げましツァ!
その後はメキメキと年収が下がり、組織の予算は上がってゆく現象にこれはもはや現代の日本経済とよく似た構造だな🤔と思ったのと同時に、麻生さんの「老後2千万問題」発言を聞いた時バリに危機感を覚えたのは今でも鮮明に記憶しております。
Ⅲ. メンターと独立への道へ
失敗をガッツリ経験したことで、自分にとっての企業の在り方みたいなものができました。それは「実験施設」みたいなとこなんです笑
トライアンドエラーでどこまでがダメで、どこからが結果につながるかみたいなことをひたっすらにやってましたね。
でもね、ネックだったのはいくらやっても給料上がらなかったんです......
上場企業のIRとは恐ろしいもので利益をつくるには従業員を切っては給料も条件をどんどん厳しくしていく末路......てことで、辞めました。
その後、僕はその当時の上司(メンター)が立ち上げた(またかよ笑)ベンチャー企業で再出発をしたのが2018年でございます。
2020年、今では社員数約30名弱のベンチャー企業の統括部長を務めさせていただいております。
今期の着地は年商6億、利益で3〜4千万程でございます。
因みに年俸は1200万でございます。
Ⅲ. 個性の追求とビジョンの描き方
最後に、僕の直近での目標は完全独立です。なぜ、独立にこだわるかと言うと「挑戦しまくって、成功してモテたいから」です。(半分本気です)
真面目な話、僕の父親はIT系の企業の経営者でした。僕が中学生の時に癌ですでに他界してますが、今でも父は僕の中で一番偉大な存在です。
断言することは、僕は父を確実に超えにいきます。
死んだらお金は「あの世」に持ってくことはできませんが、後に残すことはできて、残したモノは意思となって継がれてく(どんなカタチであれ)と思ってます。(僕の意思のように)
将来、自分が親となり子供が成長していく過程で
「選択肢を与えられる大人でありたい」これが起業のスタートです。
子供の頃に、毎日が楽しくてワクワクしていたあの幼少期の頃のように
夢中になりすぎて門限を忘れて秘密基地作りに没頭したあの時の興奮は、社会に出てから何度経験した?もはや皆無で、人間は20歳を迎えたと同時に人生の折り返しに入ってくと言われてます。(時間軸というものは経験したことを繰り返すことによって短縮されていくということです)世の中思考停止させるモノで溢れかえっていて、社会ってレールに乗せて気付いたら年金足りねえだの雇用守れだの他責にして今までの自分がどれほど甘く能天気だったかを高齢者になって知ることになるって話です。
少なくとも僕はそんな一生はいやなので僕の周りにいる家族や仲間、巻き込まれた人たちとは勝ちにいきます。
「明日も会社に行くのが楽しみすぎる!」って思える会社と組織。
そんな会社と仲間をこれから僕は創ります。
後世へ渡り継がれる、文化と価値を創る。
そんな想いで株式会社Own Wayを立ち上げました。
営業コンサルから、新人教育まで多岐にわたり事業を成長させていきます。
よろしくお願いします!!!!!!!!!!!!!!!!!