エッセイ「思考を突き詰めすぎると行き詰まる。休息を。」
思考を詰める。
これは度がすぎると良くない。
休みの日も作らなくてはいけない。
それも一時的な休息ではなく、長めの休息だ。
これも賢崇式行動デザインだ。
思考してばかりだと、頭の中で糸が絡まって解けなくなっているように、どうしようもない状態になる。
執筆活動も思考の究極形態の一種である。
また、執筆活動にこだわりすぎると形式的に言語を生み出すchatGPTのような中身のないただの時間潰しになってしまう。
その上、形式的にだとしても言語を組み立てる必要があるので、思考力を使い、考えを行き詰まらせる。
僕は読書と執筆が生き甲斐だが、たまには休まないと思考でがんじがらめになってしまって、辛い思いをして、読書も執筆も嫌いになって辞めてしまいかねない。
要するに何事も度がすぎるといけず、休息が必要なのである。
そこで、今日1日はTwitterで呟く程度にして、思考に休息を与え、読書と執筆を休もうと思う。
部屋の片付けをしたり、明日の診察のレポートを書いたり、大事な人と話そうと思う。
今日は一週間に一回の恋人との電話だから、とても楽しみにもしている。
そう言う時間が、次の読書と執筆のエネルギーになるからだ。
こうやって行動をデザインしていくと、新しい発見ができる。
休息を取り入れることも賢崇式行動デザインからでたアイデアだ。
休息という行動で脳の疲れを癒す。
では、また明日お会いしましょう。
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