哀哀たる父母、我を生みて匃労せり(あいあいたるふぼ、われをうみてくろうせり)
両親は、自分を生んでくれてしかも苦労して育てているのに、なにも親孝行ができなかった。
中国の故事には、親孝行についてのものが非常に多くみられる。
孝子の行為を讃えるものであり、また親の愛情の深いことを謡ったものもある。
ビジネスの社会で献身的に頑張った世代に「親孝行できなかった」という悔恨の情にかられている人々は少なくないだろう。
故郷をはなれて勤務している人々も少ないし、ましてや最近は、海外勤務が長期化し老齢の両親を実家に訪ねることも難しい時代になってしまった。
この言葉は、しみじみと親不孝を考えさせる響きを持っている。
哀哀は、かなしみ嘆く様子であるが、ここでは子を慈しむ姿を示す。匃労は、病気で苦しむ意もあるが、心を砕いて育てるさまを表す。