元監理団体(技能実習)職員 行政書士K

元監理団体(技能実習)職員で、行政書士です。 組合の立ち上げ(中央会)、監理団体許可申…

元監理団体(技能実習)職員 行政書士K

元監理団体(技能実習)職員で、行政書士です。 組合の立ち上げ(中央会)、監理団体許可申請(外国人技能実習機構) 適正管理計画認定申請(建設就労)等、技能実習制度全般から、建設就労まで 携わってきました。現在、組合職員さんとして勤務している方の、相談役に なれればよいと思いました。

マガジン

  • 言の葉

    温故知新(故きを温ねて新しきを知る)という言葉は、 故きを温ねて新しきを知れば以って人の師となるべし。 現代は、すさまじい速さで技術革新が起き、時代のスピードが速いと言えるが、その中で、人間はどのように生きればよいかを考えた時の参考になれば 良いと思い、文章を綴りました。

  • 七つの習慣(まとめ)

    七つの習慣をまとめた内容です。 私も、実践しているのですが、継続することが難しい。 この本をまとめたのは、自分のためでもありますが、もし 私と同じように、現状を変えたいと思っている方がおられれば、 私と一緒に現状を変えていきたいと思い、まとめました。

最近の記事

敢えて後れたるに非ず、馬進まざるなり

功績を誇らず、謙遜した言葉である。 魯の国の大夫、孟子側という人物は、武勇に優れた人物であったが、人格も良くできて、謙遜なふるまいが多かった。 ある戦闘で、味方は苦戦を強いられたため退却することになった。殿は、軍隊の列の最後にある部隊のことだが、 攻撃の時の先陣を務めるよりも、退却の時の部隊の責任を果たすことのほうが、大変難しく、犠牲も大きいと言われている。 織田信長が、浅井、朝倉連合軍との戦闘に敗れたとき、秀吉が殿をみごとに果たしたことは有名である。 孟之側は、こ

    • 愛、屋鳥に及ぶ(あい、おくうにおよぶ)

      人を愛することが、慕ってくると、その人の住んでいる家の屋根にとまっている鳥を愛するようになってしまう。 周公の語った言葉として伝わるが、後世にも、いろいろ同意義のことわざがみられる。 もっとも極端な例としては「怒りは水中の蟹にも移り、愛は屋上の鳥にも及ぶ」など、まったく関係ない事物に、自分の感情をぶつけてしまうことにも注意しているのである。 また、憎しみをぶつけることざわとして、我が国固有のものに、「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」などの例がある。 人事考課は、公平に行わ

      • 哀哀たる父母、我を生みて匃労せり(あいあいたるふぼ、われをうみてくろうせり)

        両親は、自分を生んでくれてしかも苦労して育てているのに、なにも親孝行ができなかった。 中国の故事には、親孝行についてのものが非常に多くみられる。 孝子の行為を讃えるものであり、また親の愛情の深いことを謡ったものもある。 ビジネスの社会で献身的に頑張った世代に「親孝行できなかった」という悔恨の情にかられている人々は少なくないだろう。 故郷をはなれて勤務している人々も少ないし、ましてや最近は、海外勤務が長期化し老齢の両親を実家に訪ねることも難しい時代になってしまった。

        • 雁書(がんしょ)

          手紙のことであるが、とくに遠隔の地から来信した貴重な便りのこと 使いとして、匃奴の国に赴いた漢の蘇武は両国が交戦状態になってしまったため、囚われの身になって、幽閉されていた。 匃奴と漢との和睦が成立したとき、天子は、彼の生命を心配して返すように求めた。 ところが、匃奴の王である単宇(ぜんう)は、蘇武は死んでしまったと偽りの連絡をよこした。 ところが、漢の天子は、御苑で狩りをして雁を射おとしたところ、足に文字のかかれた布が結ばれていて、それには 「蘇武らは無事に招沢の

        敢えて後れたるに非ず、馬進まざるなり

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        • 言の葉
          23本
        • 七つの習慣(まとめ)
          2本

        記事

          九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)

          高い山を築いていくときに、最後の一籠の土を盛らないために、あと一歩というところで失敗することがある。 この句は、「書経」の中で、王者の治政の難しさを述べたものである。 いわば「為政者の嘆き」といったものが聞こえてくるようなたとえである。曰く、 「君主は朝早いから、夜は遅くまで、政治の事、天下の民のことを心配して努力し勤めなければならない。 もし、些細なことでも、一点でもおろそかにするようなことや慎重さを欠くようなことをすれば、 せっかくの積み重ねた実績も一度に崩れ去

          九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)

          窮すれば濫す

          人格者や、出来た人間も、困難に遭遇することがあるがそのようなときも正当な行動ができるところが違う。 「窮すれば鈍する」とか「貧すれば鈍す」というように、小人や、未熟者は、失敗したり、貧乏になったりしたときに、力を出すことができず、 慌てて混乱したり、さらに失敗を大きくするようなことを起こしやすい。 孔子の一行が、楚の国へ赴く途中、誤解を受けて、陳という国の軍隊に包囲されたことがあった。 食料にもことかいて、困窮の状態になったとき、弟子の子路が、 「君子と言われるよう

          石に立つ矢

          必死になってやれば、いかなることも不可能ではない。 このたとえは、中国人の好むもので、いろいろな物語となって伝えられている。 韓詩外伝の物語るところは、次のようなものである。 「昔、蘇の国の熊渠子という武将が、閨夜に歩いてると、大きな虎が伏してこちらを窺っているのに気付いた。 熊渠子は、一心をこらして、ねらいを定め、渾身の力で矢を放ったところ、見事、その虎をしとめたように見えた。 しかし、近づいて良く見ると、それは虎ではなく、虎に似た岩石であった。 しかも矢じりだ

          邯鄲の歩み

          自分の本文を忘れて、やたらに人のまねばかりしていると、中途半端で何も身につかなくなること。 この例は、田舎の若者が、都会の浮薄な流行におわれていたため、自分の身につくものがないままに終わったというものである。この物語のあらましは、 「かつて、寿陵という田舎からでてきた若者が、趙の都である邯鄲で歩き方を学んだ。ところが、都会でのスマートな歩き方が身に着かぬうちに、 自分の本来の歩き方も忘れてしまい、ついには、歩くことができなくなって、はらばいになって故郷に帰って行った」と

          管鮑の交わり

          利害を超えて良く理解し合い、相互に助け合う親友のこと。 ここでは、管仲と鮑叔という二人の友情関係が綴られる。そして、管仲は鮑叔の人となりや、ビジネスの進め方を礼賛しているのである。曰く、 「私が、商売の上で成功できず、苦しんでいるとき、鮑叔と商売をしたことがあり、そのとき利益を自分の方に多く与え、彼はすくない分けまえに甘んじてくれた。 それは、鮑叔が私にまだ財力がないことを知っていたからである。また、ある時、私は鮑叔のためになると考え、仕事を計画して失敗し、はなはだ、困

          木に縁って魚を求む

          木に登って魚をとろうとしても、目的と違った手段をとっているのだから、可能性がない、という意味。 梁王は、たいへん野望の大きい人で、孟子に自分の抱負を語り、希望をのべた。 孟子は、王の意図しているところを自分の方から描いて見せ、現在の状況では全然可能性がないと判断したのであった。 曰く、「王のお考えは、まず領土を広げ、秦や楚のような強国を従えて、来朝させ、さらには天下の諸侯の上に立って四方の蛮族を帰順させる。 そして、天下に号令し、人民を治める・・・このようなものでしょ

          うれしい、たのしい、だいすき

          最近、暗いニュースが多い! 会社へ行くため、車に乗り、黄色いランプが点滅し、赤いランプが点灯 あごに手をあて、さすりながら、車の中から窓のそとを見ると 友達と一緒に、自転車を力いっぱい漕いでいる子供たち 屈託のない笑顔・・・ 子供の時は、何もかもがなぜか、楽しかった!! おばあちゃんからもらったお金で、お菓子を買える嬉しい!! あっそうだ、ドリカムの「うれしい、たのしい、だいすき」を聞こう!!

          うれしい、たのしい、だいすき

          個性主義と人格主義

          ベンジャミン・フランクリンの自叙伝には、特定の原則と習慣を深く内面化させる努力を続けた一人の人間の姿が描かれている。それは、まさに、「誠意」「謙虚」「誠実」「勇気」など人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。これをすなわち人格主義という。 人格主義に対して、成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれるという考えを個性主義という。 例えば、親の言うことを聞かない子どもや勉強が嫌いな子どもは、

          牛耳(ぎゅうじ)を執る

          主導権をとって、同盟や団体の行動を導くこと。 原文と、現在使われている用法とが、変わってしまっているという例である。 この故事は、晋という大国に、衛という小国の人が、「牛耳を執らせてもらいたい」と依頼したという史実によっている。つまり、盟約の盟主に推されているのは晋であるが、衛がこの盟約を結ぶ儀式のときに、牛の耳をさき、同盟諸侯にその血を捧げる・・・という役割をしたいと申し出たことを、記したのであった。 しかし、この時の晋の返事は、「衛は、晋国内の諸侯の一つである温や原

          漁夫の利

          二者が互いに利害を争っている間に、第三者が苦労しないで利益を横取りすること。 中国の戦国時代に、燕の国で重用されていた蘇代という遊説家の説いた寓話で、その内容は、 「昔、あるところに、大きなカラス貝がくちを開けてひなたぼっこをしていた。そこへくちばしの鋭い鷸(しぎ)がとんできて、貝の肉をつついた。すると貝は、口を急にとじてしまった。鷸は、「このまま雨が降らないとお前は、干からびてしまうぞ」とおどかした。 すると貝も、負けずに、「くちばしが、俺に挟まれたままだと、飢え死に

          春がきた!

          今日は、朝は寒かったですが、昼は暖かいですね。 私は、昼寝が大好きで、このような暖かい日の下でお昼寝するのが、好きです!! 忙しい毎日の合間に、ちょっとゆったりした時間を過ごすのが、大好きです😁

          月下氷人(げっかひょうじん)

          男女の間を縁を結ぶ人。結婚の時の仲人役。 まず「月下老」であるが、次のような故事による。 「唐の韋固(いこ)という人が、宋城というところに旅をしたところ、月の光で読書をしている老人に出会った。この老人は赤い縄の入った袋を持っていて、韋固はなんのための縄かと聞いてみた。 すると老人は、「夫婦となる人の足をつなぐもので、敵でも他国のものでも、この縄を結び合えば、その契りは不変である」と答えたという。 一方、「氷上人」の方は、晋の時代の故事が出典である。 「昔、索紞という

          月下氷人(げっかひょうじん)