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修二会(お水取り)の事前隔離

 修二会の事前隔離について記したい。

 私は昨年から修二会に参籠衆として籠もらせていただいている。昨年は仲間として、今年は小院士として参籠させていただいた。いずれもCOVID-19感染対策のため事前隔離が行われた。

 本来、修二会は2月20日から別火に入り、3月1日から本行に入るという流れ(新入がある場合は2月15日から別火)だが、昨年は2週間の事前隔離、今年は10日間の事前隔離であった。遠方から参籠する場合や自宅隔離が厳しい場合は、ホテルで隔離生活に入る。私は遠方からの参籠ということで、奈良市内のホテルにて隔離生活に入った。事前隔離で滞在させていただいたホテルには、大変お世話になった。あらためて厚く御礼申し上げたい。

 2週間もホテルで過ごすと聞くと、どれだけリッチな生活をしてるんだと想像される方もいるだろう。実際、ホテル側の多大な尽力のおかげで、生活における不便というものは一切なく、物理的な面では本当に快適に過ごさせていただいた。本当にありがたいことである。

 しかし、どれだけ物理的に恵まれていても、ストレスは感じるものである。2週間もの間、誰かと一緒に食事をとったりすることができないのだ。こんな隔離されるという経験は初めてだったため、昨年は本当に辛かった。ほぼ毎日、北京オリンピックを見て過ごした覚えがある。特にカーリングの試合には釘付けになっていた。このようにテレビもあり、食事もホテル側が毎日3食用意してくださり部屋まで運んでくださるという状況で、一体、何が辛いのか、ということであるが、やはり物質面では何も辛くないのである。物質面では一般社会で生活されている方々よりも恵まれていた。ほぼ完璧なニートである。ただ、誰かと一緒に時間を過ごすことなく、2週間も生活するのは、かなり酷なことであった。

 しかし、今年の隔離生活では、そういった精神的なストレスがほぼ感じられなかった。これは昨年の四度加行によって孤独でいることに慣れたからであろうか。決してそうではない。四度加行に比べて、はるかに、昨年の2週間のホテル隔離の方が精神的には辛かったのだ。四度加行は約半年間もの間、ニュース等の情報や連絡を全て遮断して、一人で籠って密教の行を行うというものであった。誰がどう見ても、2週間のホテル隔離より、この四度加行の方がよっぽど辛いはずである。だが、実際は違う。ただ、今年のホテル隔離でストレスがほぼ感じられなかったのは、四度加行によって、あることに気づいたからである。

 まず一つ目は、SNSである。昨年のホテル隔離では、テレビもSNSも見れるため、常に見ていた。SNSを見ることにより、より孤独感が増していたのである。SNSを見ることで、自分が社会から隔離されていることを常に実感するのである。しかし、四度加行の時は、一切見ることもできない。そのおかげか、四度加行では、”自分だけ”が孤独であるかのように感じることは、ほぼなかった。

 隔離されて物理的にも孤独な状態で、SNSを見ることにより、あたかも”自分だけ”が孤独であるかのような錯覚を起こすのである。本来、人は皆、孤独なものであるのに。

 一遍上人(1239~1289)の言葉にこのようなものがある。

生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。

されば人と共に住するも独りなり、そいはつべき人なき故なり。

 意味はそのままの通りで、生まれる時も独りであり、死ぬときも独りである。たとえ誰かと一緒に住んでも結局は独りである、だから添い果たすような人などいないのだ。という意味である。

 私はこの言葉の意味が、四度加行によって理解できた。孤独については、また別の機会で書きたい。

 SNSによって、”自分だけ”が孤独であるかのように感じるのであれば、SNSに触れる時間というものを減らせばいいのである。しかも、SNSは無駄な情報が多い。そこで、私は四度加行が終わってから、iPhoneでSNSを閲覧できる時間に制限をかけた。iPhoneでは、「設定」の「スクリーンタイム」からアプリに時間制限をかけることができる。


写真のように、

  • Facebook: 10分

  • Twitter: 15分

  • Youtube: 10分

  • FireFox: 1時間30分

  • Instagram: 15分

 としている。(FireFoxは、SafariやGoogleと同じブラウザであるが、調べたりする際に必要なので1時間半と、制限時間は長めに設定している。)

 四度加行によって最も強く実感したのは、今まで一日の時間の多くをSNSなどに費やしてしまっていたなということであった。こうすることで、SNSを見ることに費やしていた時間を別のことに使える。SNSに時間を奪われずに済むのである。

 さらに、もう一つはニュースを見ないこと。四度加行の時は、ニュースに一切触れていない。ニュースに触れずとも、なんら問題なく半年間生活できた。別にニュースに触れなくとも、生活には特に支障をきたさないのである。今年のホテル隔離においても、10日間、ほぼテレビをつけなかった。たとえつけたとしても、CNNのニュースを作業BGMとして、ただ流すだけにしていたくらいである。基本的にPCに向かって作業するか、本を読んで過ごしていた。実際、10日間のホテル隔離で5冊は読破できた。
 
 ニュースは、基本的にネガティブな情報が多いものである。そして、ネガティブな情報というのは、受動ストレスを与えるもの。見なくて済むのであれば、見ない方が絶対にいいのだ。そして、見る必要があるニュースというのは決して多くはない。金融業界にいらっしゃる方などであれば、マーケット情報など気にしなくてはならないだろうが、それ以外の芸能人の情報など要らないはずだ。私のような僧侶には、必要なニュースなどほとんどない。そうであるなら、受動ストレスを与えるニュースを見なければいいのである。実際、ホテル隔離に入って、それまで購読していたWall Street Journalも解約した。さらに私はニュースアプリも全て削除している。

 このように、SNSを閲覧する時間を減らす、ニュースに触れないようにすれば、ほぼ全くストレスを感じずに生活できたのだ。ちなみに、最も観てはならないのは、ワイドショーである。あれほど酷いものはない。むやみに受動ストレスを与えるためにできたようなコンテンツとしか思えないほどである。

 ちょっとテレビ的なものが欲しくなったときは、映画などをNetflixやPrime Videoで観るようにしていた。私は夜のルーティンとして、9話で終わる(隔離期間が10日間だったため)Netflixの『First Love 初恋』を隔離2日目の夜から毎晩、1話ずつ観ていた。

 ニュースやSNSに使っていた時間を本や映画に使うことで、ストレスも感じず、非常に豊かな時間を過ごすことができるのである。これを、私は四度加行によって学んだ。ぜひ、皆さんも試していただきたい。そして、皆さんがストレスフリーな生活をおくることを願っている。

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