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川越さんぽ!雪塚稲荷神社と仙波東照宮

嫁さまが車で出掛ける時に
お調子よく便乗して😝テヘ
今日はここからSTART

川越さんぽ!

和菓子屋 芋十

埼玉県道15号  川越日高線を
松江町交差点 付近で降ろしてもらい
県道51号 川越上尾線をちっと歩く
【芋十】の角を左折

立門前商栄会の通り
蓮馨寺へ向かいます

いつもの大野屋洋品店の交差点

右は大正浪漫夢通り

左は連雀町繁栄会の通り

立門前通り

直進して蓮馨寺を目指す!

蓮馨寺 山門

県道39号 
川越坂戸毛呂山線を渡れば
蓮馨寺

蓮馨寺 呑龍堂

呑龍堂に 一週間分の感謝を伝え
手を合わせる🙏

その後は当然のように
境内を北に向かう

途中 左に見えるクレーンタワーの下
何か建物が出来てきましたね

2022年9月25日の同所

街は生きていますよ!

コメダ珈琲川越仲町店

どん突きのコメダ珈琲でモーニング

モーニング 480円

ローブパンにマーガリン
コメダ特製おぐらあん
ブレンドコーヒー

ごちそうさまでした

食後は・・・

仲町交差点から

一番街通り蔵造りの町並み商店街

陶舗やまわ

今日もやります

観察的撮影【観撮かんさつ】です

歩いて来た 仲町交差点方向も観撮かんさつ

正面は長喜院

そんな陶舗やまわの横道は
長喜院への門前通り

曹洞宗 冷月山 長喜院

長喜院山門の手前を右へ向かうと

雪塚稲荷神社

雪塚稲荷略縁起

当社は城下町川越の十ヶ町の一つ
南町の氏神として崇拝されてきた
南町は 江戸から明治にかけて
六十軒あまりの町であったが
江戸店を構える大商人を多く生み出し
明治十一年(1878)には
県下初の国立銀行を開業させるなど
十ヶ町の中でも中心的な商業地であった

神社の創始は 口碑に
江戸の昔 ある大雪の夜 
南町の通りに一匹の白狐が迷いあらわれた
これを見た若い衆数人が白狐を追い回して
ついに打ち殺し
挙句の果てに その肉を食したところ
たちまち熱病にかかり
更に毎夜大きな火の玉が街に現れるようになった
町内の者はこれを
白狐の祟りだとして恐れおののき
近くの長喜院の境内に社をたて
白狐の皮と骨を埋めて塚を築き
雪の日の できごとであったことにちなんで
雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した
」という

明治二十六年の川越大火によって本殿 拝殿焼失
同三十年四月二十八日に再営した
その際 土中のご神体を改めたところ
白狐の毛が逆立つのを認め驚いて
再び埋納したという

また 昭和五十五年社殿の修理中 床下中央部から石板が発見され
雪塚稲荷神社遺躰文政六年二月十二日御霊昇天 
同年三月十二日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称す

との銘文があった
文政六年(1813)以来 
とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ
町内のみならず 
遠隔地の講中や近隣末社の人々の
不断の信仰に支えられてきた神社である

(境内石碑より)

白狐伝説実話だった!😱

左は【三峰神社】右が【雪塚稲荷神社】

雪塚稲荷神社の隣には
幸町自治会館も併設

境内には手押しポンプ井戸があります!

手水舎

境内には
かつて 置かれていたであろう
【境界石】が安置されています

門前通りを戻ります

やまわ蔵部 陶芸教室

蔵の扉が凄いでしょ?

鐘つき堂=時の鐘

鐘つき通りから見る鐘つき堂

鐘つきどぉアーップ

桝屋酒店前から【観撮】
菓匠右門 時の鐘店

ムム!おかしいなぁ?
まだ甘酒が無いなんて
今日も【いも恋】は お預けだ!

川越商工会議所

ワレ大正浪漫夢通り進 入シンニュウ

大正浪漫夢通り

ちょっと振り向いて見ただけの浪漫通り♬

連雀町繁栄会の通り

再び県道15号を渡り
クレアモール方向へ

だんごの【かなめや】

【かなめや】さんの交差点を左折して

出世稲荷神社

いちょうくぼ

黄葉【観撮】

たかが緑色 されど緑色!そのまま家路!

西小仙波の会所跡もすっかり無くなり

喜多院公園を過ぎて

どろぼう橋を渡り
喜多院境内へ

【小江戸川越菊まつり】
主催:川越菊花会 後援:川越市観光協会
11月23日まで開催中!

紹介しきれない美しい菊花乱舞!

昨年の【小江戸川越菊まつり】記事はコチラ

是非!喜多院へ来てくださいたま🙇

喜多院 慈恵堂

観光される方や参拝される方で賑やかな境内

喜多院 多宝塔

今日はいつもの逆で喜多院から
仙波東照宮へ向かいます

仙波東照宮

仙波東照宮  御祭神は徳川家康公
元和2年(1616年)に薨去した祭神の法要は
久能山から日光山に改葬される際の
元和3年(1617年)に、江戸幕府
黒衣の宰相」と称された天台宗の僧侶
天海によって喜多院で行われ
後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され
同年にその地に天海によって創建された
1638年寛永15年)の川越大火で焼失するが
徳川家光によって川越藩主で老中堀田正盛
造営奉行に命ぜられ
幕府によって再建された
江戸時代を通じ社殿や神器等全て
江戸幕府直営であった
本殿には木像の家康公像が祀られている
鳥居寛永15年(1638年)に
堀田正盛が奉納したもの
本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した
石灯籠が並ぶ
拝殿にある三十六歌仙絵額は
岩佐又兵衛筆で知られ国の重要文化財
岩槻藩主の阿部重次が奉納した
「鷹絵額十二面」は狩野探幽作で知られる
童謡あんたがたどこさ』発祥の地と言われる

Wikipediaより

拝観料500円を納めて石段を上り
はじめて御神体を拝めました🙇

御神体東照大権現徳川家康公像】
本殿に安置されている宮殿(円形厨子)は
高さ2尺5寸ほど この中に
御神体が祀られており
製作は寛永時代と云われている 
木造で目に玉眼ぎょくがん嵌入かんにゅう
全身が極彩色である 
甲冑姿で葦毛あしげの馬に乗り 
勝軍地蔵に似た姿をしている

警備員に護られた社殿内は撮影禁止!

年末年始以来のテント設営
ここで拝観料の受付をしています

仙波東照宮 随身門

こちら側から見る随身門も珍しいよね

さぁ!帰宅しますん💖(完)

noteから嬉しいお知らせ

まさか1111日まで連投できた㊗️

文化の日!でしたね

  • いつも見て!読んで!スキを押して頂き
    🌟感謝✨感激✨松井秀喜🌟
    ゴジラ!ホームランを打つ
    これからもよろしくお願いします🙇

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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