川越さんぽ!仙波東照宮から喜多院
川越さんぽ!
中院からの続きです
中院から南院と歩き 更に北上し仙波東照宮へ向かいます
仙波東照宮
仙波東照宮随身門
ここの赤い門は赤門とは呼ばない
堀田正盛奉納の石鳥居
詳しい事は下記WEBでお願いします🙇♂️
約50段の石の階段を上ります
上った先の門には有名な徳川 葵の御紋
さすが!主祭神は徳川家康 公!
至るところに葵の御紋!
拝殿にある三十六歌仙絵額は岩佐又兵衛筆で知られ国の重要文化財
岩槻藩主 阿部重次が奉納した「鷹絵額十二面」は
狩野探幽 作で知られる。
歴代の川越藩主が奉納した石灯篭は26基
仙波東照宮のお山こそ 童謡(あんたがたどこさ)の舞台
再び石階段を下ります!
開運だんご!が有名な売店と
社務所の横を通り喜多院へ
明治元年(1868)3月
神道の国教化政策を行うため 神社から仏教的な要素を排除しようとした
これが「神仏分離」政策
その為
仙波東照宮も喜多院の所管から離れましたが
元から同じ敷地な訳で
それは今でも簡単に行き来ができます
仙波東照宮 北側の階段
この階段は門が閉ざされ使用してませんね
葵庭園
川越葵ライオンズクラブが平成15年から毎年6月末
ホタル鑑賞会「ホタル祭り」を実施しています
同クラブ結成30周年記念事業として
この庭園をホタルの自生地となるよう願いを込め
庭園のシンボルである池の護岸整備、八ツ橋造営
清流を保つポンプの設置を実施したそうです
厳島神社が祀られています
仙波東照宮から喜多院に来ると最初にあるのが
慈眼堂
慈眼堂古墳
喜多院境内にある 墳頂に慈眼堂 その裏に
墓地がつくられ 墳丘は大きく変形している
現状で径36メートルほどの円墳のような
外観をしているが
前方後円墳である可能性がある
近くは喜多院 歴代住職の墓所
慈眼堂から眼下に広がる喜多院境内
詳しくは下記WEBを見てくだ埼玉!ヨネチャンニオコラレル
慈眼堂から慈恵堂を見る!
鐘楼門!
本当に美しい鐘楼門です!
隠れたお話もいつか記事にしたいです
一旦!境内の外に出て見る鐘楼門!綺麗だね
喜多院 山門!
この山門に立ちしょん!をしたモノは
ひん曲がると言われますから やらないようにね
喜多院 全体はこちらのWEBもご参照ください
太子堂と木遣塚
太子堂は言わずとも聖徳太子をお祀りしている
六角形のお堂です。
木遣塚は昔 大木を川等で運搬する際に
力を合わすタイミングをはかる合図の掛け声が
木遣歌に至り!それは木材業や鳶職の人達に
受け継がれて今に至ります
五百羅漢
五百らかん は有料で入れます高校時代 当時彼女だった嫁と
五百らかんのお地蔵さまの中からお互いに似た
お地蔵さまを選ぶとか やってましたねぇ(笑)
慈恵堂
毎年1月3日は【初大師】として
埼玉県下最大 40万人の参拝者で賑わいます
中院の次に建てられたのが北院(後の喜多院)です
多宝塔
喜多院のランドマーク的な存在で
参拝する多くの方々が写真を撮ります
客殿 書院・社務所
江戸城から移設した
客殿は徳川家光誕生の間 書院は春日局化粧の間になります
大黒天
大黒さまはウチの台所でもお祀りしています
さて!境内を北から南へ横断します
(昔は噴水がここにありました)
松平大和守家廟所
川越藩主 松平大和守家の7代5人のお墓がある廟所です
どろぼうばし
この橋を渡って帰るのがウチに戻る近道です
渡り切り 振り返り見る【どろぼうばし】
山門外の日枝神社や斎霊殿 奥の稲荷神社等
まだまだ見所?があるので また いつか!
いつまでも小江戸川越を護っていてくれる!徳川幕府所縁の寺院
それが喜多院です
ここまで読んでいただきありがとうございました。