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しっとりした手紙を書く方法
『恋文の技術』(森見登美彦)を読んだら手紙を書いてみたくなりました。
それも「拝啓」で始まるしっとりしたやつを。実は「拝啓」で手紙を書き出せば、どんな内容でもしっとりした雰囲気になるのかと思っていたのですが、どうやら大間違いだったようです。
主人公の守田は森見登美彦さんの小説によく出てくるヘタレ学生。
理屈っぽくてプライド高くて小心者。一言でいうとめんどくさいやつなんですがどこか憎めない。
もう、ほれぼれするぐらいしょーもない男です。
彼の目標は、いかなる女性も手紙一本で籠絡できる技術を身につけること。
そのくせ、好意を持ってる女性には手紙を書かず、文通武者修行と称して身近な人と文通をしまくる。
本書はいわゆる書簡体小説です。「失敗書簡集」という章では、守田が恋文として書いたものの投函できなかった手紙に対して反省点を述べてます。
これが凄まじい。
恋文とは思えないほどうさんくさかったり、卑屈だったり。文語体で書いてみたらこんな出だし。
平素は御無沙汰に打ち過ぎ申し訳なく候。
時代錯誤なので、親しみやすい、くだけた文章で書こうとすると
やぷー。こんちは。守田一郎だよ。
反省点をこう述べてます。
最大の問題点は、読んでるうちに書いた人間を絞め殺したくなることだと思う。むかつく。心底むかつく。最後まで書き遂げてしまった自分が許せない。
という感じでことごとく失敗。この男はまともな恋文なんて書けないだろうと思っていたら、最後の最後に良い手紙を書きます。
伝えなければいけない用件なんか何も書いてない。ただなんとなく、相手とつながりたがってる言葉だけが、ポツンと空に浮いている。この世で一番美しい手紙というのは、そういうものではなかろうかと考えたのです。
恋文を書こうとすることをやめたら、恋文が書けたという逆説。さんざん遠回りした末にたどり着いた境地ですね。
なるほど、と思いました。
そういえば、旅行作家のブルース・チャトウィンが劇作家のノエル・カワードからこんなアドバイスを受けたとエッセイで語ってました。
「けっして芸術的であろうとするな」
風情のある文章を書こうとか、しっとりした文章を書こうとか、そういう余計なことを考えないほうが良いということですね。意識しつつ意識するなって禅問答か!と思いました。
とりあえず、これからも気楽な姿勢でなにか書きます。
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