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異性に対する決めつけ。

「女ってのはみんな〇〇」
「男ってのはみんな〇〇」
という記事をちらほら見かける。
傾向としてこういうものがある・感じる、という書き方ではなく、断定するように公然の事実であるかのように書く。

そうじゃない女性も男性も私の周りには結構いるなと感じることが多い。

このような記事を書く人はそういう男女を知らないのかなと思ってしまう。
おそらくいたとしても、彼らの既存の「男」「女」枠から外れているためにカウントされないのだろう、きっと。
そうやってカウントしていない数が、実はカウントしている人数より多かったりするのかもしれない。

「男/女ってのはみんな〇〇」というのはその人のいわば世界観だ。
その枠組みがその人の世界の一部あるいは多くを形作っている。
自分の住んでる世界が壊れていくのは嫌だろう。
彼らにとって、そのような世界観が崩れるのは、住んでいる家が壊れるくらいの脅威に感じられるのかもしれない。
とにかく世界観が変わっていくことをよしとしない。

枠組みから外れたものはカウントしないことで、自身の世界を守ることができる。
そんな悲壮感漂う枠組みを保ってもなんの得もないでしょう、と指摘される方がおられるかもしれない。
それが「悲しい」枠組みだったとしても、それでも保ちたい、彼らにはその理由も得もある。

きっと彼らの過去に何かがあったのだろう。
自身の育った環境では、その価値観が全世界だったのだろう。その価値観が「家(home)」のように感じられたのだろう。

自身の生き様を正当化するために、その価値観が大事なのかもしれない。
あるいは、自身が責任を取らなくて済むようにするためかもしれない。つまり異性のみにその概念を押し込めることで、自身はそこから外れた存在でいられる。罪を外部化して自分は無罪放免でいられる。

「男/女ってのはみんな〇〇」を保ち続けることで、彼らの何かしらの願望が満たされている。

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