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シャングリラへゆく④麗江で夢を掴んだ人に会いに

理想郷のことを人はシャングリラと呼ぶ

雲南の香りに魅せられて僕は旅をした
冒険家が探し求めたシャングリラに想いをよせ
奥へ奥へ雲南省の秘境を旅した記録

麗江で夢を掴んだ人に会いに

再び訪れる事になった麗江古城
麗江古城が商業化に変わった噂は
聞いていたから再び行く事の
楽しみもあったけど

古き良き伝統は失われていく麗江に
寂しさも勝手ながら抱いていた

旅行好きな人からすれば
これだけ綺麗に原風景の残る
大きな町並みは少ないから
破壊されず、上手く変化を望みたくなる

古城の見渡せる丘の旅館より

変わった麗江古城の散策も楽しみだったけど
初めて麗江古城に来た時に出会った
東北地方の黒竜江省出身のちょうさんにも
会える事を楽しみにしていた


午後3時に茶屋で待ち合わせしていたので
朝早く起き一人で僕は散策にでかけた

朝の麗江古城

朝一番は 写真撮影に適している
人の少ない麗江を撮影できる

ポツポツと朝食を提供する店も開きだし
ほうきで掃除するオバちゃんもいて
麗江の朝が始まる

お粥とプーアルお茶で煮込んだ卵

中心の広場の四方街から少し南に下り
1253年から元、明、清と470年間この地を
支配していた木氏が住む邸宅「木府」も超え
もう少し細い路地をクネクネと
南下したところにナシ族が利用する
市場がある

朝市場に通うナシ族

今では観光客も多く訪れ観光地化しているが
ナシ族の生活を感じれる面白い場所でもあり
野菜や果物、肉、鳥、雑貨まで色んなものが
雑に売っている

銅製品の茶器も安く売られている

活気のある朝、ブラブラと散策も楽しい
迷路のような古城を市場を目指して歩く

市場の周りには汚い飲食店があり
現地の人や観光客が混じり食べていて

市場にある店の風景

きっと日本人同士なら入らないような店だ

麺を作る風景

隣のテーブルを見て
あれ!とかで注文し朝から麺を食べた

麗江麺?

食後も散策を楽しみながら
昔来た店を探すが、もう多くが入れ替わっている

当時は外人が経営するカフェも多かったが
今では減りというか消滅して
中国人が経営する店に変わり大きな資本が
入り開発された店も目立っていた

トンパ文字の本

完全に商業化へ麗江も変わっていて
麗江じゃなくてもいいものが
沢山売られていて麗江らしい店と
そうでない店が入り混じっていた

楽器を売る店

今の麗江を見て
若者は どう思うのだろうか?
あの頃、僕らが古城に抱いたような
夢をみるのだろうか?

だから今の麗江は
巨大なテーマパークとよく例えられる

確かに、そんな一面もある
タイムスリップした古い世界で
時間が巻き戻したかのような街並みは
娯楽の為に造られたかのようにも映る

この町では都会と同じものが
食べれるようにまで商業化してしまった

誰もが旅行しやすくなった事で
新婚旅行にも人気があり
失恋し女性の一人旅にも人気がある

麗江に初めて来たら
今の時代に
こんな場所が残っていたのかと
思う事は間違いないだろう
よく破壊、焼失されずに残ったものだ

今の若い世代に映る麗江は
きっと僕が知る あの時の良さとは
違うだろうけど、過去を知らなければ
関係ない
麗江古城が持つ不思議な魅力は
今も変わらない
ここはいつでもユラユラ揺れている
そう誰にでもユラユラと心を揺さぶる不思議な街。

散策しながら昔を思い出し気がつけば
昼前になりご飯食べに行くよ
と言われ5人でタクシーに乗り古城の外にでた

古城の中で食べないの?と聞くと
人気のレストランがあるから と言われ
古城から離れた場所へ向かう

何を食べるか聞かされてないので
レストランと聞いて郊外の綺麗な店に
行くと思い込み期待し車の窓から何もない
景色を見ていると
到着したのは大きな汚い市場


中国特有の大きな敷地にプレハブ小屋を作り
区画割りされ店舗が並び流石に観光客なんか
一人もいない。現地の人しかいない場所

市外の市場

その中をどんどん進んでいく

ここにレストランがあるの?
と聞いても意味ないので
僕も黙って ついて行く

そして ここが人気のレストラン!と
紹介されたのが 駐車場のような場所を改造した汚い店

オシャレなレストラン外観

お世辞にも綺麗とは言えない(笑)
無駄なコストが一切かかってない店

シンプルすぎるレストラン

汚い壁にはハエよけの網に守られた
豚肉が干してあり
どれだけ食う?と聞いてくる

放置してる肉

えっ ゴミじゃないの?食うの?
漢民族の、ような頑丈な内臓じゃないけど僕

ハエ除け網で守られてる豚肉

鍋だから火通れば大丈夫!
何でも そういう中国人x4人
とにかく美味しいから食べて!と

美味しい鍋(トマト出汁)

味は悪くなくトマト出汁で美味しく
肉も柔らかく美味しかったから憎めない
こりゃ名店だな~(笑)

ただ
レストランと聞いて一瞬でも 
洋食ハンバーグをイメージした
僕はバカだった
疑問として残るが観光客も来ない
こんな隠れた名店 どうやって調べたの?と
妻に聞いたら
漢民族をなめなで!って言われそうだから
聞かなかった(笑)


食後
3時になり趙さんに会いに行く

茶屋1階

趙さんの知り合いが営む茶屋で
待ち合わせをし茶室に通され再会

茶屋 客間

妻はたまにsnsで会話しているので
久しぶり感はなかったようだけど
僕はあの時、以来で懐かしかった
趙さんは細くスリムになっていた

聞くとお茶ばかり飲んでるからねと

彼は自慢の
普洱茶プーアルを僕らに飲ませてくれた
彼曰く

黄金のプーアル茶

黄金の普洱茶プーアルと説明を受ける
十数年で価格が100倍近く値あがった
茶の一種らしく
地方や海外には中身を変えた偽物も
多く出回るらしいが
現地でしか飲めない茶だよと教えてくれる
そういわれると どれだけ偽物が出回るのかと
たかがお茶とは あなどれない

プーアルの生茶

雲南省には茶葉古道ちゃばこどうという道がある
シルクロードのお茶版ともいうべき
お茶を運ぶ道である
南の普洱プーアルでとれたお茶をチベットへ運ぶ道

いくつものルートがあり
徐々に拡大し唐の長安へも流れて行く

雲南省の旅は茶葉古道の旅

お茶を運ぶ為に
いろいろな技法が生まれ茶は進化していく

骨董品のように扱われる幻のお茶も存在する
お茶好きの多い雲南省の人は
自分の持つお茶自慢が好きな人たちだ

茶葉古道地図

1時間 妻の劉さんは趙さんと会話していたが
出されるお茶が珍しい高価な普洱茶プーアルと聞き
ひたすらお茶を飲み続けていた僕の腹は
茶ぷん茶ぷん

僕は昔の写真を持ってきていたので
写真み見ながら
当時、旅館を紹介された想い出話に
花が咲いた

彼の人生も紆余曲折があり
彼が投稿するsnsを妻が見ていたので
僕の耳にも、たまに妻から情報が入っていて

旅館業では成功していくが
プライベートでは離婚していた

ある程度、そうなる事は
予想がついたので僕は別に驚きはしない

麗江という山奥の田舎に生活拠点を移すには
家族は反対だろうし
子供の教育問題、親元を離れ暮らす問題
都会に行くならまだしも
山奥の奥の村 本当に当時はド田舎

子を、持つなら
こんな山奥で育てたい都会人はいない
別居生活は必然
それなら離婚して
別の人生を歩む方がいいとなるらしい

麗江で夢を追う人達の中には
そういった人も多い

そういう背景もあり
夢を諦める旅人が麗江ノートに想いを書く
そんなノートが麗江には多く存在し
カフェや旅館やレストランに置いてあるノートは
麗江を象徴している

夢を追う人は若者だけじゃない
麗江古城に魅了された人は多いが
この古城に長く住み続けれる人は少ない
出会いと別れ 喜びと悲しみ
成功と失敗 夢と現実

だからこの古城に流れる音楽は
悲しい歌が多いのかもしれない
この古城を去る時は
皆 何らかの思いを抱き
ここを去る

古城の裏通りでは夜遅くまで悲しい音楽が流れていた

夢追い人が多く集まるから
麗江古城の夜は蜃気楼のようにユラユラとゆれる

お茶会の後
僕らは趙さんに家に来て食事をしましょう!と
家に招かれた
両親を、誘い5人で趙さんの古城から離れた
家に車で向かった

そこで開かれた宴では
麗江古城のもう一つの顔を見る事になる


⑤人々を狂わす麗江の宴 へ続く

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