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聖地巡礼記チベットへゆく⑥ダライ・ラマ エピソード0

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

ダライ・ラマ エピソード0

ダライ・ラマがどのようにして誕生したのか?

その事を知るきっかけになった旅

青海省にある都市 西寧から数時間走ると
青海湖へたどり着く

チベットへmap青海湖

拉薩からは遠く離れた青海湖(中国最大の塩湖)は
チベット仏教とゆかりの深い土地

昔からここはチベットの東の端として位置していた

ダライ・ラマが権力を発揮する上で
軍事的役割を補う上でも
チベット仏教はモンゴル民族と
深いかかわりをっもっている

モンゴル帝国、元、大明、大清と時代が
変化していく中で仏教指導、政治指導を行う上で
安定した国政を維持する為にも
軍事力は必要とされた

1200年代はモンゴル帝国が支配していた大陸
チベットも例外ではなく飲み込まれていくが
チベット仏教の思想は逆にモンゴル人に影響を与え


チベットは侵略を免れるために
時代で変わる隣国と利害関係を持ち
時には近づき、時には離れの選択を
繰り返し国は生き延びてきた

青海湖は海抜3205Mに位置し
周囲360㎞ある大きな塩湖
富士山でいう8合目あたりの高さ

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青海湖は色んな顔をもち観光地としても
人気がある
空に近く太陽光も強い
どこか風も厳しく空気も薄い

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綺麗な湖のほとりに続く道沿いは
塩湖、菜の花畑、砂漠、雪山があり
景色は壮大で綺麗

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毎年7月に国際的なロードレースが開かれていて
青海湖を自転車で1周するのが人気でもある
村を転々し5-7日ほどかけて1周する
途中で民族ゲルで宿泊したり安宿で泊まり
海抜が高いだけに高山病と戦いながらの
サイクリングはかなり過酷だ

しかし毎年多くの人が挑戦してる

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ダライ・ラマ十四世が生まれたのも 
この地方の村だった
少し距離はあるが
この地方には有名なチベット寺院がある

それがクンブム・チャムパーリン寺
漢字表記では塔爾寺(タール寺とも呼ばれる)

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山の中にありチベット六僧院の1つ

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入口にある八つある仏塔が綺麗

ダライ・ラマ3世がこの地に寺を建立

この地は
チベット仏教界を変えたラマ(高僧)が
生まれた地

彼の名は
ツォンカパ

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ツォンカパが
歴史舞台に登場した事で
チベット仏教はそれ以前と以後で
大きく変わる

青海湖の旅でクンブム寺によった事で僕は
ツォンカパをより詳しくしる切っ掛けになった

ツォンカパは1357-1419年を生きたラマ
ダライ・ラマの属する最大宗派の
ゲルク派の開祖でもある

ゲルク派は最後に出来た宗派で
それまでに生まれた宗派や今までの教えの
中で起きる矛盾を整理しまとめた人物

ツォンカパは幼い頃から非常に優秀で
多くの知識を学び複数の宗派を学習し習得した

1409年拉薩のジョカン僧院の庭で
多くのラマを集め大祈願祭(モンラム)を開き
その後も恒例行事化していく

拉薩の東方45㎞の位置にガンデン僧院を建立し
彼はそこで肉体の最後を迎えミイラ化し埋葬される

ガンデンとは兜率天を意味して
ツォンカパは自らを弥勒菩薩の化身とした

この転生劇は真言宗 空海に通じるものがある

ツォンカパのミイラは残念な事に
近代中国の文化大革命により破壊

その際に破壊されたツォンカパの
ミイラの髪と爪は伸び続けていた

今では その破壊されたミイラの
一部を埋葬し復建された


1414年明の三代皇帝(永楽帝)は
ツォンカパを北京に招きいれようと
招待するがツォンカパは北京行を断る

拉薩から北京への旅は数年を要し
北京では度々疫病が流行し 
それを祈祷依頼したり
教えを請いたりチベット仏教界のラマは
権力者からは利用されやすい

ツォンカパも 高齢である
長い旅をしては体力的にも
生きて戻ってこれるか
わからない

この北京行を断った事が
後に歴史を動かす事になる

しばらくして
若く非情に能力の高い人物
ゲンドゥン・トゥプパと運命の出会をする

ツォンカパに数多くいる弟子の中で
教え受け継ぐラマが5人選出され
その中にゲンドゥン・トゥプパは選ばれ
ツォンカパより精神的指導者と呼ばれ認められた
才能と知恵を秘めていた僧
当時25歳のゲンドゥン・トゥプパ

彼こそが

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のちに
ダライ・ラマ1世と呼ばれる人物

まだダライ・ラマという呼び名は
この頃は、なかった

面白い事に
ダライ・ラマ制度は少し歴史が
進んでから生まれる制度で順調に
1世、2世と繋がり始まったわけでは
なかった

ダライ・ラマの誕生の不思議を本で読みながら
五体投地で聖地巡礼をする信者を何人もみかけた

僕の青海湖の旅は
時折綺麗な景色を眺めては
ここで起きた歴史を本で読みながら
現地の空気感を感じる事で
その世界に少しでも浸った気になる

しかし実際に目の前で信仰の現実をしると
自分が浅い考えだとも気づく

チベット仏教の信仰はいくつもの驚きがある
五体投地(ごたいとうち)と
呼ばれる信仰があり

体を使い1歩進み
膝をつき
寝そべり
オデコを地面につけ
両手を伸ばす
そして立つ

そして
また1歩 すすみ膝をつき
繰り返す

その連続で進む

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寺の周りを五体投地で信仰する人は非常に多い
五体投地する為に厚手の服も擦れて破れていく
また1歩
また1歩

また1歩



聖地を目指して五体投地する人も多い

青海湖に行った時
国道沿いに
五体投地で進むチベット人を何人も見た

車の運転手に
彼らはどこに向かう?と質問すると
中にはここから数年かけて拉薩を目指す
人がいると教えてくれた

人生をかけた信仰である
生きてたどり着くか分からないような
果てしない旅

五体投地で遠い聖地へ信仰する人は
一人ではいかない
身の回りを世話をする係を
付けて旅をする 最低2人
家族で行く人もいる

そうやって彼らはテントをはり自炊しながら
人生を仏道信仰にささげ
輪廻転生する その時の為に
準備する

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そんな人を何人も見かけていくと
僕の中でチベット仏教への
想いも変わっていく
宗教とは
仏教とは
信仰とは

チベット仏教とは・・・
なぜ彼らは
ここまで過酷な信仰をするのだろうか?

あまりにも生まれた環境が違う僕には
本当の意味で理解する事は
出来ないかもしれないけど

目の前の姿から感じる事は多い
ちいさな息つかい
手足の傷
すすれた頬
見つめるまなざしは真っすぐで
無心だ
聞こえるのは
唱えるお経のみ


この光景を目にして
信仰というには
生半可な気持ちではないと
確信できる

この旅行の期間お世話になった
運転手に聞くと
巡礼途中で病気になり亡くなる人もいるらしい
それでも彼らは聖地巡礼をやめない

チベット仏教の魅力を
また一つ感じた


チベット仏教界を変えた
ツォンカパが生まれた地に
建てられたクンブム寺

ダライ・ラマ十四世とも所縁があり
度々歴史舞台に登場する寺

ダライ・ラマ エピソード0

この地で始まり この地で終わる
ダライ・ラマの歴史

これは運命の悪戯かと
僕は思ってしまう
歴史というのは時に残酷だが
それを学び知る事は面白い

西寧にはチベット博物館があり 
618mもあるギネスにのる
最長のタンカ(掛軸)が飾られている

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長年かけてチベット仏教を少しずつ見てきた
僕の想いはいつか拉薩へ
行きたいという想いが強くなっていた

青海湖に遊びにきて
あれから 何年たっただろう
再び西寧の駅に僕は立っていた

そして高山鉄道に乗り換える
今から24時間かけてチベット拉薩(ラサ)を
目指す鉄道の旅
チベット青海鉄道に乗っている

僕はチベットへゆく

⑦へ続く 天空の路線 青海鉄道の旅

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓過去記事はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ!


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