不可逆であることの価値
世の中には可逆的なものと不可逆なものがある。
その2つでは、不可逆なものが大きな価値を持つ。
やり直しがきくか、きかないか。
誤った選択をしても元の場所に戻ることできる状態と、一度選択をしたらやり直しがきかず元に戻ることは出来ないというものの違い。
経験するチャンスを失ってもすぐに同じ機会が巡ってくるケースと、この機会を逃したら二度と同じ経験をするチャンスは巡ってこないというのもの。
後者の方が圧倒的に価値を持つ。
例えば、身体のパーツ。
交通事故や事故に巻き込まれて、手足を失うことがあるかもしれない。
歯を磨かずに虫歯を放置して、歯を失うかもしれない。
テレビの見過ぎで視力が悪化し、世の中が明確に見えなくなるかもしれない。
内臓を失うと基本は再生することはない。
もちろん移植ということによって何らかの形で再入手できるかもしれないが、そのコストはとても大きい。
もしトカゲのしっぽやザリガニのはさみのように、成長するたびに元に戻るのであれば、失うことそのものを恐れることは無くなってくるに違いない。
これらは再生医療がまだまだである現段階においては、失うと取り返すことが難しいもの。
だからこそ、身体のパーツそれぞれがとても大きな価値をもつ。
例えば若さについて。
子供時代や、若かった時代についても、一度過ぎ去ったら戻ることは無い。
もしドラえもんの世界のように時間を自由に行き来出来るようになっていたのなら、話が変わってくる。
コナン君が飲まされた子供になる薬が当たり前に存在したら、若いという価値がまた変わってくる。
そしてもしアンチエイジングで若返りがあたりまえになるのならば話は別になってくる。
ただ現在のところはタイムマシンも真の意味のアンチエイジングも存在しない。
だからこそ、若いということは不可逆なもので貴重なもの。
例えば命。
一度死んだら、現在の技術では元に戻ってくることは出来ない。
ごくまれに生き返ることもあるかもしれないが、万人にとっては死は不可逆なもの。
そして不老不死という状態が生まれたのならば、生きていることそのものの価値が薄れてくる。
でも現状では、生まれたものは確実にどこかで終わりを迎える。
だからこそ、生きていることというものに価値を見出す。
可逆性と不可逆性。
当たり前のように変わり映えのない日常を過ごしていると、可逆的なことの方が多いように感じてしまう。
何か失敗しても、すぐ取り返しがつくことが多いと感じてしまうのも、同じような日々が繰り返されているからこそ。
でも実際は普段何気なく選択しているものの多くが、実は不可逆であることが多かったりする。
あの時親や友達と何気なくしゃべったのが、実は最後の会話だった。
あの時経験をしたイベントが実は最後の機会で、二度と開催されることがなかった貴重な機会を経験出来た。
あの時飲んだ薬に毒が混ざっていて身体に自由が効かなくなり、元の身体の状態に戻らない。
あの時あの場所でたまたま出会わなければ、ここまで幸せな家族を持つことは出来なかった。
これらは時間の流れそのものが不可逆であるからこそ起こること。
ちょっとした選択一つとっても、不可逆なものが溢れている。
同じ時間や選択が二度とやってこないということは、すべてが全く同じ状態に戻ることは決して無いということに他ならない。
だからこそ、時間という不可逆性を意識して大切に過ごすことが出来るかということは、とても重要。
同じような日々に思えても、実は全く同じ時間はやってこない。
一秒前に戻ることすら不可能なこと。
だからこそ、毎秒毎秒を後悔なく丁寧に過ごすこと。
一つ一つの選択を慎重に。
全ては不可逆であるからこそ価値を持つということを常に意識する。
後戻りできない中で全力を尽くして、後悔を作らない。
今一度これらを思い出しながら、生きていられる日々を大切にしていきたい。
ありがとうございました。