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鬼のように売れたゴミのような本の話。執筆につきまとうニヒリズムをどう乗り越えるか。


「この本が80万部売れるって、アホくさすぎるな」


床に散らばったビジネス書を眺めながら、ひとりごちた。

どうしようもない本が何十万部も売れるし、丁寧に作った素晴らしい本がその100分の1も売れずに消えていく。

そうだとすれば、一生懸命良い本を書く意味なんてあるのだろうか。


***


現在、ビジネス書を100冊読んで茶化す書籍の締切が眼前に迫っており、ひたすらビジネス書と向き合う毎日だ。我ながらよく発狂せずにいられると思う。あと、ストレスで謎の発疹が出た。ビジネス書を摂取しすぎてアレルギーになったのかもしれない。世界広しといえども、ビジネス書アレルギーを発症したのは僕だけだと思う。

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(使った本をいちいち本棚に戻すのが面倒になって、そのまま床に放り投げることにした。部屋中にアレルゲンが散らばっている)


一口に「ビジネス書」と言っても、本当に玉石混交だ。マトモな内容の本もあれば、ゴミとしか言いようがない本もある。

たとえば、『13歳からのアート思考』は良い本だった。


「13歳からの」という接頭辞は誇張でも何でもなく、本当に13歳の中学生に読ませても楽しんでもらえるだろう。極めて平易に「アートとは何か?」を論じつつ、アートの歴史を概観させてくれる。

そして、大人が読んでも気づきがある。ものすごくシンプルにまとめてくれることで、全体観をつかみやすくなっているのだ。

取り上げられる作品は超有名作品ばかりなので、「だいたい知ってる話だなぁ」と思いながら読んだのだが、大きな流れを単純化して俯瞰することで改めて認識することができた。「そうか。アンディ・ウォーホルの作品は大きな流れの中ではこの位置なんだな」といった調子で、今まで知ったかぶりしてきたことの解像度が上がった。


ウィリアム・H・マクニール『世界史』の序文に、「適切な縮尺を選べ」という話が出てくる。

世界史という極めて煩雑なものを取り扱う時は、目的に合わせた良い縮尺を選ばないといけない。フランス革命について深堀りしたいならばバスティーユ襲撃の日に起きたことだけで何万文字も書く必要があるだろうし、逆に、人類史を概観したいのならばバスティーユ襲撃の日を詳述しすぎてはならない。

マクニールは『世界史(上・下)』を書くにあたって、「2冊でちょうど人類史を概観できる縮尺」を選んだと書いていた。「なるほど、適切な縮尺で書くのは難しいだろうし、適切な縮尺を実現できる人ってエラいなぁ」と思ったものだ。


そういう意味で、『13歳からのアート思考』は世界地図みたいな本だ。縮尺が極めて小さい。

本の中の情報量はかなり少なく平易なのに、アートの歴史を超単純化して何百年分も概観できるようになっている。世界地図でもまだ生ぬるい。更にズームアウトして、ミニチュア地球儀本と言っていいかもしれない。

ここまで単純化された本を作るのは本当に難しい。複雑なものを丁寧に解釈し、分解し、抽象化する作業を必要とする。直観に反するが、平易な本を書くよりは難解な本を書く方がずっと簡単だ。難解な本は頭を使わなくても書ける。噛み砕く作業が要らないのだから。


『13歳からのアート思考』は、著者の「アートへの愛」と「噛み砕く努力」が合体して結実した素晴らしい本だと言えよう。見開きで大きく芸術作品を見せるところも、体感して学ぶエクササイズが載っているところも、平易で穏やかな語り口も、すべて「アートをやさしく伝えたい」という情熱を感じられる。

僕に中学生の子どもがいたら、ぜひ読ませたい本だ。


それに比べて、この本は掛け値なしにゴミである。

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