きみのお金は誰のため
<気づき>
お金があること自体に力はない。あくまで選択できる力があるということ。
→選択できるものは有限。何故なら人生はいずれ終わる。何を俺はこれから選択するのか?どれくらい選択する力が欲しいのだろう?
まだ分からない。
でも、家族や大切な人のためにはなるべく多く選択肢を持ちたいし、周りに選ばせてあげたい。価値と値段は違う。どら焼きを200円で売る人にとって、どら焼きの価値は200円。どら焼きを買う人にとっては、美味しくお腹が満たせたことが価値。ただし、あんこが嫌いな人からしたら無価値。
→価値は人それぞれ。筋トレしない人にとってpro系ニースリーブは無価値。ただ俺には記録向上と記録、その達成感、喜びが価値。儲からない投資は社会の悪。儲からない事業に従事する人の労働を儲かる事業へシフトすべき。
→納得。きみは誰のために働くのか?なぜ、働く=お金を稼ぐ、と無意識のうちに変換するのだろうか。
→確かに無意識に変換している。家族のため…とかありがちな答え。本質は誰かにとっての課題解決をしている、役に立っていることが働くこと。お金はその対価。なので、そこを忘れてはお金の奴隷になる。