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『生きててよかった』って言えるかな、いつか

またやってきた、鬱。

双極性障害?
完璧主義?
自己肯定感の低さ?
愛着障害?
アダルトチルドレン?
INFJ?
コミュニケーション能力の低さ?
真面目すぎるの?
人を信頼できないから?
親のせい?
きょうだいのせい?
上司のせい?

原因は、特定できない。
どれかひとつではなさそうだ。
そして気持ちが深く落ちた時、その原因を特定しようとするほど闇の奥深くに“堕ちて”しまいそうになる。

数週間、もしくは数ヶ月に一回は堕ちる。
昔よりは頻度は減って、回復するまでの時間も早くなった。
「そういうときもある」と思えるようになってきた。
でもやっぱり堕ちると苦しい。

自分に価値を感じられなくなる。
生きる価値を見出せない。
早く人生を終えてしまいたくなる。

誰にも言えない気持ち。
誰にも理解されない気持ち。
話すのが怖い。
否定されるのが怖い。
「どうせ誰も理解してくれない」という気持ちこそが暗くて長いトンネルの入口。

楽しいと思える瞬間や前向きでいられる期間(軽躁状態含む)には、自分の価値なんて考えないのに。
そんなことも考えずに一生懸命生きていられるのに。


本当のきもちを表現したくて、僕は1年に1回くらい、思いの丈を綴った歌を作る。
音に乗せると感情が乗ったりする。

4月に作った歌だけど今も心に響いたので歌詞を載せてみます。
ラップやポエトリーリーディングのイメージです。

『生きててよかった』

最近なんかうまく笑えてないな
望んじゃいなかったけどこれが現実
眠れないまま  朝を迎えた平日
そしてくたばって眠り続けていた休日

充実した人生送りたかったのに
恋も友達も夢も理想も…
紛らすためにがむしゃらに働く
誰かに必要とされたくてさ

無意識に繰り返す「自分には価値ない」
なのにときに褒められてちょっと勘違い
感じない幸せに何度もため息
つきながら明日も何のため生きる?

夢中になれることがせめてあったらな
誰とも比べないでいられる瞬間
だって幸せそうなみんなを見てると
生きてることすらも恥ずかしくなる

でもなあ駅のホーム線路際に立ってさ
踏切の音がだんだんと近づいて
通り過ぎる強い風に立ちすくんでた
意気地なしのせいで今も俺は生きている

「生きててよかった」って言える今じゃないけど
「生きててよかった」って言えるかないつか
寂しくて苦しくてほんと嫌になるけど
いつかこんな自分でも幸せに

まあでも友達がいないっていうのはさ
はじめからいなかったわけではなくて
自分の方から距離を置いていったのさ
ねえこの気持ちわかるかな?

普通の生活  平均年収
「そんなこともできないの?」って目が怖い
結婚に子ども 家も建てたらしいじゃん
俺とは住む世界が違ったんだね

でもいまだに捨てられないこのプライド
心の距離遠ざかってもう辛いよ
「好きだよ」って見つめ合う甘い時間も
また願うなんて淡い期待

大切な人と歩く道のり
当たり前にできると思っていたのに
描く未来には誰もいない
「生きる意味ない」って普通思わない?

でもなあ駅のホーム線路際に立ってさ
踏切の音がだんだんと近づいて
通り過ぎる強い風に立ちすくんでた
意気地なしのせいで今も俺は生きている

「生きててよかった」って言ってくれた人たちに
生きてる間には心からの感謝を
もう少し時間はかかるかもしれないけど
いつかこんな自分でもさ…

今までも何度だって分岐点に立ってさ
間違った方ばっか選んできたのかな
それでもまだ俺は今も生きてる
何かの意味があって生かされてんなら

「生きててよかった」って言葉すら忘れて
悩んだり笑ったりそれでもういいや
理想でも最高でもないけど頑張って
生きてる今がいつか報われるような気もするから

とりあえず、今日も生きてみる。

もうしばらく、生きてみる。

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