困っている人がいたら声をかけよう、という当たり前のお話
今日は妻の話です😁
先日、妻がとてもいいことをしました。
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私たち家族が暮らしている地域は田舎でして、おしゃれなカフェが少ないのですが・・・
すごーくいいカフェがありまして、この地域にしては高価で、ワンプレート1500円もします
私たちにしてはごちそうです。
妻は一人時間を満喫すべく、そのカフェに行きました。
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さすが人気のカフェ。平日でも席が埋まっています。
隣のテーブルには座っていた方は、小さなお子さんを連れたお母さんでした。
赤ちゃんをベビーカーに乗せて、二人きりです。
お母さんは赤ちゃんによく話しかけていて、
「静かに待っててね」とか
「大きい声出さないでね」とか
周りに気を遣っていて、不安そうな様子でした。
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ランチプレートが到着しました。
このプレート、高いですがすごく美味しくておしゃれなので人気があります。
さて、隣のテーブルのお母さんが食べようとするとき、
赤ちゃんが泣くんですね。
店に響く大きな声で。
その度にお母さんは途中で食べるのをやめて、ベビーカーからおろしてだっこするんです。
泣き止んでベビーカーに戻すと、また泣く。
そうなると、だっこをしながら食べることになるんです。
急いでかきこむようにして食べるお母さん。
せっかくのランチプレートを。
せめて大人が二人いれば、交代でゆっくり食べれるのに。
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隣の席のお母さんを見ていた妻は、こう言おうか迷ったそうです。
「あの、よろしかったら、私がだっこしましょうか?」
分かる。言いたい。
食べたいものも味わえずにいるお母さんの様子を隣で見て、いたたまれなくなるよね。
お母さんの気持ちも十二分に理解できる。
きっと、子育てをしている方なら誰でも。
いつも家にいて、外出も不安で、でもたまにはおいしいランチを外で食べたいじゃない。
でも赤ちゃんが静かにできるか不安で、大きな声で泣かれたら他のお客さんに迷惑かかるかもしれないし・・・
みたいな心の葛藤が手に取るように分かるんですね。
その反面、「だっこしましょうか」と声をかけづらいことも事実。
見ず知らずの人に、隣のテーブルに座っている他人にそんなこと言われたら、びっくりされないだろうか。
他人から触られることも敏感になっている時代だし、だっこされること自体嫌がられるかもしれない。
さらに、言い方も迷う。
「だっこしましょうか」
「させてください」
「してもいいですか」
どれがいいか。
お母さんにどう思われるのだろうと、妻はしばらく悩みました。
結局、「だっこしましょうか」とは言えずに食事を終えたそうです。
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このカフェは食器を返却するタイプのお店でして、お母さんにはまだ片付けが残っていました。
だっこしながら急いで食べたお母さん。
ベビーカーに置くとまた大きな声で泣いてしまい、片付けができません。
ここで妻が意を決して声をかけました。
「かわいいですね」
お母さんはとても話しやすく明るい方でした。
その後も子どもの月齢など軽い会話を続けていくと、向こうから、
「片付けの間、子どもを見てもらっていいですか」
とお願いされたそうです。
これをきっかけに、だっこしてあげたいとずっと思っていたことを伝え、とても喜んでもらえたと言っていました。
妻、グッジョブ👍
あとお母さんもがんばった✨
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妻のエピソードを聞いて、気づいたこと。
それは、
「助けたい」という気持ちは、だまっているだけでは伝わらない
ということです。
僕もお母さんと同じように、周囲の目がとにかく気になる。
「迷惑がられている」
と感じて、申し訳なく思っている。
大半の人が、子どもを静かにさせてほしいと思っているだろう。
けれども、もしかしたら「助けてあげたい」と思っている人もいるかもしれない。
でもそれは、声に出さないと伝わらない。
僕は、特に子育てにおいては、知らない人でも助け合う社会にしたいと考えている。
一人の子どもに対して、たくさんの大人の目をかけていくと、子どもはとてもよく育つ。
ゆえに、僕は知らない人とゆるい関わりをつくり、小さいことを助け合うことが必要ではないかと思う。
助けるというか、話しかけた方がいい。
知らない人でも、困っていたらまず話しかけたい。
そこから初めて、思いやりが伝わるから。
声をかけないと、気持ちは伝わらないから。
「困っている人がいたら、自分から声をかけよう」なんて、
子どもに教えるような、当たり前で使い古された言葉のようだけれども、そんな当たり前のことを行動に移せるようにしていきたいな。
おしまい。
#最近の学び
#この経験に学べ
#これからの家族のかたち