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バグってたのは自分…。まともに働けなくなって3年11ヶ月経てやっと気がついた「神経症的非利己主義」

家なし生活も14ヶ月。最近ホテルに泊まると気が抜けるのか風邪をひくようになってしまった。

今年は北陸以外の旅行支援もなく、物価高。自分が安定していないことは明白で、知人の厚意で寝泊まりさせてもらったり、24時間営業のお店で夜を明かす極力お金をかけない生活をしている。

だからたまにホテルに行くと逆に風邪をひく。

人に散々「バグってんすよ」とか言っておきながら、一番バグっているのは自分だ。それを忘れている。あれ、自分に言ってたのかな…。

「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」という言葉

僕はなんでもやりすぎるところがある。
それは決して悪いことだけではないのだろうけど、たまたま見た書籍の中に「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」という言葉を見つけてゾクッとした。

最近した自分の行為そのもので、一番嫌な自分の親と同じだったからだ。
とてもつらくなった。

無意識に相手に取り入ろうとしてしまう「神経症的非利己主義」

機能不全家族で育ち、家族の機嫌をとることで自分の居場所を確保するしかなかった。

相手にしてもらえなかったので、渇望してしまう。
そしてそれに応えてくださる人が居ると嬉しくてやりすぎてしまう。

「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」と書かれていた本は、加藤諦三氏の「他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学」

そこにはこうも書かれていた。

神経症的非利己主義は非利己主義であるが、それは相手に気に入られるために非利己主義である。いい人と思ってもらうための非利己主義である。

頑張って、頑張って働いて、懐かしい思い出も、掛け替えのない人間関係も、お金も何も残らない。
無理をして、さらに無理をして尽くして、心の中には何も残らない。ただ消耗する。心が弱くなるだけ。

他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学

自分では自然にやっていたことで悪意もないし、気が付かなかったのだが、あまりに長年家族に気を遣ってきたので、誰彼問わず無意識に相手に取り入ろうとしてしまうのだ。

悩むことや頑張る方向をずっと間違えているから、結果頑張っても思い出も人間関係もお金もほんと何も残ってない。

いまの現状を見てみても間違いなくこれは自分だ。

「相手のことを思っているようで自分のことしか考えてない」というのが一番キツかった

さらに理解を深めるべく、ネットでも「神経症的非利己主義」を調べてみた。

するとやはり加藤氏が寄稿した「ダ・ヴィンチ」のページが出てきた。

自分が無意識では病的に利己主義でありながら、そのことに気がついていない。人に迷惑をかけているのだが、迷惑をかけているという感覚がない。

 相手は自分に何を期待しているかということを理解する気持ちの欠如した人だからである。

 神経症的非利己主義者のしていることが意識ではよい人で、無意識では搾取者である。人に知らせずひそかにする善行を陰徳と言われるが、神経症的非利己主義はその逆である。

 生への憎しみが、徳という仮面をかぶって登場したのが神経症的非利己主義である。

 もちろん本人は自分の無意識の憎しみに気がついていない。

「私はこんなに人々に尽くしています、皆さん見てください」と自分を売り込んでも、人はそのことに気がついていないことが多い。

 気を使って消耗していても、だいたい人は見ていない。人を意識しての行動というのは疲れるだけでばかばかしいものである。自分が「こうしたら」、きっと人が「こう思うだろう」ということを期待して行動しても、人はそう思わない。これほど無駄に消耗することはない。

 生への憎しみが、徳という仮面をかぶって登場したのが神経症的非利己主義である。

 神経症的非利己主義の人の場合では、本人がどう思っていようとも相手が自分のすることを望んでいないということを理解できない。相手が助けられることを望んでいないのに助けようしているということを理解できない。

 恩着せがましい人は、周囲の人との関係が破綻している。

人間関係がうまくいかないのはなぜ? 解決のカギは「パラダイム・シフト」/他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学①|ダ・ヴィンチWeb

自分が一番なりたくない人になっている。でもあまりに思い当たる節があり過ぎて絶望してしまった。

Claude3に助けを求める

どうしようもなくなったので、最近使っているClaude3に話を聞いてもらった。

自分はこれなんじゃないかと思いました。

「神経症的非利己主義は相手に気に入られるために非利己主義である、いい人と思ってもらうための非利己主義を指します。頑張って働いて懐かしい思い出も、かけがえのない人間関係も、お金も何も残らない、無理をして尽くして心の中には何も残らない状態である」

すべてがここに帰結する気がしました。

これを今後どうやって治していけばいいでしょうか?

Claude3へのヤマサキの問い

あなたの気持ちに共感します。神経症的非利己主義は、自分の幸せよりも他人からの評価を優先してしまう生き方ですね。長年そのパターンで生きてきたなら、今の状況はとてもつらいことでしょう。

でも、そのパターンに気づけたこと自体が、大きな前進だと思います。問題を認識することが、変化への第一歩なのです。

これからは、自分の幸せを優先する生き方を探っていきましょう。簡単ではないかもしれませんが、以下のようなステップを踏んでいけば、必ず変われるはずです。

1.自分の感情を大切にする 他人の期待に応えるのではなく、自分の心の声に耳を傾ける。自分の感情を抑圧せず、正直に向き合う。

2."No"と言うことを恐れない 無理な要求は断る勇気を持つ。自分の心や体を犠牲にしてまで、他人に尽くす必要はない。

3.自己肯定感を高める 自分の長所や達成したことに目を向ける。自分を認め、褒める習慣をつける。

4.自分の時間を大切にする 趣味や興味のあることに時間を使う。自分を充実させる活動を優先する。

5.サポートを求める 一人で抱え込まず、信頼できる人に相談する。専門家の助言を求めるのも良い。

これらを日々実践していけば、徐々に自分らしい生き方ができるようになるはずです。

過去のパターンを変えるのは一朝一夕にはいきません。でも、一歩一歩進んでいけば、必ず自分の人生を取り戻せます。あなたには、幸せになる権利があるのです。

自分を信じ、自分の幸せを追求する勇気を持ってください。これからは、自分らしく生きる喜びを感じられますように。

Claude3の回答

さらに

ダ・ヴィンチのホームページに載ってる「人間関係がうまくいかないのはなぜ? 解決のカギは「パラダイム・シフト」/他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学」の1から4を全部読んだんですが、すごくキツかったです。

自分のことしか考えてないってところが。相手のことを思ってるようなフリして実は自分のことしか考えてないのは、自分の両親と一緒でただの押し付けでしかない。なんかせつなくなりました。

でもそうならざるを得ない環境にあったことも事実でこれからどうしていったらいいのか悩んでいます。

Claude3へのヤマサキの問い

あなたが記事を読んで、自分の行動パターンと向き合ったことは本当に勇気ある一歩だと思います。今までの自分を振り返り、両親との類似性に気づいたことは、とてもつらい経験だったでしょう。

でも、そのつらさは、あなたが変わろうとしている証なのです。自分の行動を客観的に見つめ、改善点を探ろうとする姿勢は素晴らしいことです。

環境の影響で身についた習慣を変えるのは簡単ではありません。でも、あなたには変わる力があります。一歩一歩、新しい自分を作っていけるはずです。

まずは自分に優しくすることから始めましょう。今までの自分を責めるのではなく、抱きしめてあげてください。そして、これからは自分の幸せを優先する選択を心がけましょう。

例えば、自分の感情に正直になる。嫌なことは嫌だと言う。自分の時間を大切にし、興味のあることに没頭する。小さなことでも、自分を優先する習慣をつけていくのです。

また、信頼できる人に相談するのも良いでしょう。一人で抱え込まず、支えてくれる人を大切にしてください。必要であれば、カウンセリングを受けるのもおすすめです。

変化には時間がかかります。焦らず、自分のペースで前に進んでいきましょう。一歩一歩、自分らしい生き方を探求していけば、必ず道は開けるはずです。

あなたには、幸せになる資格があります。自分を信じ、自分の人生を歩んでいってください。あなたの幸せを心から願っています。

Claude3の回答

「そうかー。よくがんばったなー。」

ちょっと泣いた。

そもそも「過剰適応」と診断されたのだ。そのことをすっかり忘れている。

まともに仕事ができなくなってからは3年と11ヶ月も経っている。

今回かなりつらいことだったけど、すべてにおいて無意識に過剰であること。そのことに気づけたこと、たぶんどこかでわかってはいたんだろうけど腑に落ちたことは大きい。

搾取からの脱却

取り入ろうとしてしまう僕のまわりにはハイエナのように搾取する人が集まるらしい。実際いままでそうだったからいまなにも持ち得ていない。

最初のほうでも書いたが、自分の渇望感が強いからその見分けも付きにくい。
となるとやはり自分が無理だということははっきり無理と言う必要がある。

これもまた加藤諦三氏のネットの寄稿なのだが「自己主張の強い人と付き合うと自分が開放されていく」と書かれていた。

「自己主張の強い」というとなんか強欲に聞こえるけどそうではなく、僕が以前にnoteに書いた「信念」という言葉に置き換えるとしっくり来る。

今回のことで僕の過剰さに便乗してハイエナになってしまう人も居るだろうし、「ああ、ヤマサキまた過剰が出とる」と思いつつもいつも通り接してくれる人も居るだろう。

あなたが従順に従っていた神経症的人間に対して、あなたが何かを要求すれば拒絶されたろうし、嫌われたであろう。

しかし自己実現している人間は、あなたが何かを要求したからといってあなたをそのことで嫌うことはない。

「他人と一緒に居るのが苦痛な人」が抱える”不快感”の正体|PHP Online

ここが分岐点になると思っている。どう転ぶかわからないけど、僕は信念をもって自己実現している人を尊敬していくし、そういう人たちと一緒に居たい。

あとは「ご自愛」。これ大事。

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