家なし生活も14ヶ月。最近ホテルに泊まると気が抜けるのか風邪をひくようになってしまった。
今年は北陸以外の旅行支援もなく、物価高。自分が安定していないことは明白で、知人の厚意で寝泊まりさせてもらったり、24時間営業のお店で夜を明かす極力お金をかけない生活をしている。
だからたまにホテルに行くと逆に風邪をひく。
人に散々「バグってんすよ」とか言っておきながら、一番バグっているのは自分だ。それを忘れている。あれ、自分に言ってたのかな…。
「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」という言葉
僕はなんでもやりすぎるところがある。
それは決して悪いことだけではないのだろうけど、たまたま見た書籍の中に「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」という言葉を見つけてゾクッとした。
最近した自分の行為そのもので、一番嫌な自分の親と同じだったからだ。
とてもつらくなった。
無意識に相手に取り入ろうとしてしまう「神経症的非利己主義」
機能不全家族で育ち、家族の機嫌をとることで自分の居場所を確保するしかなかった。
相手にしてもらえなかったので、渇望してしまう。
そしてそれに応えてくださる人が居ると嬉しくてやりすぎてしまう。
「『好意』も出し方しだいで『ありがた迷惑』」と書かれていた本は、加藤諦三氏の「他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学」
そこにはこうも書かれていた。
自分では自然にやっていたことで悪意もないし、気が付かなかったのだが、あまりに長年家族に気を遣ってきたので、誰彼問わず無意識に相手に取り入ろうとしてしまうのだ。
悩むことや頑張る方向をずっと間違えているから、結果頑張っても思い出も人間関係もお金もほんと何も残ってない。
いまの現状を見てみても間違いなくこれは自分だ。
「相手のことを思っているようで自分のことしか考えてない」というのが一番キツかった
さらに理解を深めるべく、ネットでも「神経症的非利己主義」を調べてみた。
するとやはり加藤氏が寄稿した「ダ・ヴィンチ」のページが出てきた。
自分が一番なりたくない人になっている。でもあまりに思い当たる節があり過ぎて絶望してしまった。
Claude3に助けを求める
どうしようもなくなったので、最近使っているClaude3に話を聞いてもらった。
さらに
「そうかー。よくがんばったなー。」
ちょっと泣いた。
そもそも「過剰適応」と診断されたのだ。そのことをすっかり忘れている。
まともに仕事ができなくなってからは3年と11ヶ月も経っている。
今回かなりつらいことだったけど、すべてにおいて無意識に過剰であること。そのことに気づけたこと、たぶんどこかでわかってはいたんだろうけど腑に落ちたことは大きい。
搾取からの脱却
取り入ろうとしてしまう僕のまわりにはハイエナのように搾取する人が集まるらしい。実際いままでそうだったからいまなにも持ち得ていない。
最初のほうでも書いたが、自分の渇望感が強いからその見分けも付きにくい。
となるとやはり自分が無理だということははっきり無理と言う必要がある。
これもまた加藤諦三氏のネットの寄稿なのだが「自己主張の強い人と付き合うと自分が開放されていく」と書かれていた。
「自己主張の強い」というとなんか強欲に聞こえるけどそうではなく、僕が以前にnoteに書いた「信念」という言葉に置き換えるとしっくり来る。
今回のことで僕の過剰さに便乗してハイエナになってしまう人も居るだろうし、「ああ、ヤマサキまた過剰が出とる」と思いつつもいつも通り接してくれる人も居るだろう。
ここが分岐点になると思っている。どう転ぶかわからないけど、僕は信念をもって自己実現している人を尊敬していくし、そういう人たちと一緒に居たい。
あとは「ご自愛」。これ大事。