「メディア女子」の世紀末:活字、オカルト、ジェンダー
はじめまして。加勢 犬(@Dr_KenDog)という者です。
普段はWantedly, Inc.という会社のインハウスエディターとして、自社の採用コンテンツや外部メディア連載、出版物の制作などに関わっています(先日『編集の時間』さんに取材していただきました↓)。
今回、「書き手と編み手のAdvent Calendar 2019」に参加するにあたり、何を書くかしばらく悩んでいたのですが、せっかく30歳まで文学研究に携わっていたのだからと思い立って、文章の「書き手」についてかつて自分があれこれと考えたり調べたりした内容を紹介することにしました。
イントロダクション
「すべての文章には、それを書いた人がいる」…… そんな身も蓋もない事実を確認することから本文を書き始めてみることにします。
例えば、『吾輩は猫である』の著者は夏目漱石であると私たちは知っています。『レ・ミゼラブル』は? ヴィクトル・ユゴーですね。『学問のすゝめ』は? 福沢諭吉です。では、『伊代の女子大生モテ講座』を書いたのは?
よく知られている通り、当時18歳の松本伊代さんはこのエッセイ本の発売にあたり、ゴーストライターの存在を自ら暴露したことでプチ騒動を起こしました。ラジオで「私も今日初めて見たんで、まだ私も読んでないんですけど」と発言したという、例のエピソードですね。
しかし、出版界の慣習において「著者(author)」とは別にブックライターと呼ばれる「書き手(writer)」が存在していることは珍しいことではありません。Webメディアにおいても、実際に記事を書いた人のクレジットが載っていない署名記事は(その是非はともかく)山ほどあることでしょう。メディア・出版業界の分業体制を支える彼ら/彼女らは、その存在を第三者によって炙り出される場面においては「ゴーストライター」などと呼ばれたりもしますが、匿名性の範疇に留まっている限りは「ライター」として顧みられることすらありません。
本稿は、そんな活字の陰に隠れた情報伝達の担い手たちが持つ「幽霊性」について、100年以上の時を遡って紐解く一つの試論です。普段皆さんが接している記事の書き手について考えるきっかけになるかもしれませんし、ならないかもしれません。それに、本稿が言わんとしていることを要約すれば「世紀転換期に女性たちが新たな活字の担い手になったが、その扱いはひどいものだった」ということに終始してしまうのですが、噛めば噛むほどに味のする世紀末文化の研究者としての自分がそれを許さず、15,000字近い長文となってしまいました。
以上を覚悟の上、しばらくお付き合いいただけると幸いです。
活字が生んだ新しい雇用
「ジャーナリズムは急ぎ足の文学である(Journalism is literature in a hurry)」という言葉があります。19世紀のイギリスで活躍した評論家、マシュー・アーノルドの言葉とされていますが、その真偽のほどは定かではありません。
兎にも角にも、活字メディアの爆発的増大とその成熟を経験した19世紀という時代には、新しい活字技術として電報やタイプライターが発明され、社会に幅広く浸透していくこととなりました。こうした技術発展もまた、「急ぎ足」の文明に拍車をかけることになったと言えるでしょう。
手書きからタイプライティングへ、手紙から電報へとコミュニケーションの手段が増えたことで、世紀の変わり目になにが起こったか。ざっくり言えば、社会に情報が溢れると同時に、その流通速度が圧倒的に速まることとなりました。さらには、高度に情報化され、スピードを飲み込んだ時代のまっただ中で、その情報インフラを支えるべく世の中に新しい雇用が生まれることにもなります。
ある統計によれば、1881年に発売されたタイプライター、「レミントンⅡ型」の爆発的なヒットとともにタイピストの人口は増大し、1900年のアメリカにおいてはその30年前のおよそ750倍に相当する112,600人もの速記者、タイピストが社会で活躍することとなったといいます。そして、その人口の実に76.7%もの割合を占めることになったのが女性でした。(*1)
タイプライティングと「新しい女」
20世紀は、文学作品の内外で男女の相克をめぐる様々なドラマが展開された時代でしたが、19世紀末にはすでにその初期微動とでも呼ぶべき動きが顕れ始めます。近代におけるフェミニズムの嚆矢となったその動きを支えたのが、「新しい女(New Woman)」と呼ばれる女性たちです。
女性の政治参加や教育機会における男女平等だけでなく、自らの振る舞いやライフスタイルの自己決定権をも声高に訴えた「新しい女」たちは、女性の職業的自立を背景に登場したという意味で、タイピストという職業とは切っても切れない関係にありました。
実際に、世紀末には秘書やタイピスト、または電報技師などを目指す女性たちへの養成機関が設けられたことによって、女性の社会進出への契機は確実なものとなっていました。しかし同時に、女性が社会進出を目指すという動きそのものが、一定の層にアレルギー反応を巻き起こしたこともまた確かなことです。
E. M. フォースターの小説『眺めのいい部屋』(1908)には、女性の社会的自立に対する当時のネガティブ反応を表す面白いシーンがあります。主人公のルーシー・ハニーチャーチは、ロンドンに出て他の女性と共同生活をしてみたいと母親に直談判します。それに対し、彼女の母親は「タイプライターと鍵つきの部屋でめちゃくちゃなことをするのだわ [...] 扇動家になって、金切り声をあげて、警察に蹴りを食らわせながら連行されていくのよ」と拒否反応を示すのです。 (*2)
この母親の発言から透けて見えるのは、タイプライターを手にした「新しい女」たちの職業的自立と、その報酬として彼女たちが獲得したパーソナルな空間に対する保守反動的な態度。なんだか、現代のフェミニズムに対する偏見まじりの目線を思わず想起させるような一節ですね。
女性作家が文学の世界に進出するには、500ポンドの年収と、鍵のついた自分だけの部屋が必要だ……戦間期のイギリス文学を代表する作家、ヴァージニア・ウルフがこう述べたのは1929年のこと。世紀転換期の「新しい女」たちは、パブリックな空間においても、プライベートな空間においても、彼女たちを取り囲む世間の無理解と戦わなくてはいけなかったのです。
機械がペンを去勢する
タイプライターと女性の関係について、もう少し抽象的なレベルから見ていくことにしましょう。例えば文芸批評家のフリードリヒ・キットラーは、主著のひとつに数えられる『グラモフォン・フィルム・タイプライター』の中でこんなことを書いています。
男たちの手から筆が、女たちの手から[編み]針が奪われるならば、誰の手も好き勝手に使えるようになり—務め人と同様、何の御務めでもこなせるようになる。タイプライターで打たれた文字とは、書くことの脱・性化を意味し、書くことはその形而上学を失ってワードプロセッシングとなる。(*3)
おそらくキットラーは「書くことの形而上学」という言葉によって、ギリシア以来の西洋哲学の世界において長らく男性の領分とされてきた「ロゴス(言語/文章/思想/論理 etc.)」について言及しているのでしょう。そうした男性中心的な言語観(phallogocentricism)はもちろん文学においても支配的であり、例えばヴィクトリア朝文学を代表する作家、ジョージ・エリオットは女性であるにも関わらず男性名で創作活動をしていたことで有名です。
さらに西洋の芸術においては、「ペン」というファリック(男根的)なシンボル自体が、そのまま創造行為の主体としての「男性性」のメタファーとして詩や散文、絵画の中で表象されていたことも無視できません。「書くことは男性の仕事」という通念が社会においてまかり通っていた背景には、そんな表象レベルでのジェンダーバイアスがあったのです。
しかし、仮に白紙に向かってペンを走らせる「創作活動」においては男性優位がまかり通っていたとしても、タイプライターに向かって文章を打ち込むという「作業」においてはどうでしょうか? そこにはいかなるジェンダーバイアスも入り込む余地はないように思えます。
つまりキットラーの言っているのは、タイプライターという機械の発明は、「書くこと」における男性優位の世界観を脅かしたということなのです。では、タイプライティングという技術によって男女がフラットで平等な立場になったかといえば決してそうではありません。
職場における男女の役割分担はやはり強固なもので、待遇にももちろん大きな差がありました。パメラ・サーシュウェルが分析する通り、「家庭の天使」という19世紀の性役割(gender role)からの出発を果たした女性タイピストたちを待ち構えていたのは、「オフィスの天使」という別の性役割だったのです。 (*4)
メディア(媒介/霊媒)としての女性
ここで本稿の開始地点にあった「情報伝達の担い手が持つ幽霊性」というテーマについて、タイプライティングとは一見無関係に思える文脈を紹介することで掘り下げていくことにしましょう。
タイピストや電報技師といった職業の誕生に先駆けて、19世紀にはメッセージの媒介者を必要とする、ある「儀式」が世の中で流行します。その儀式とは、交霊会(séance)。皆さんも古い映画などで目にしたこともあるかもしれません。参加者がテーブルを取り囲んで、死者の霊とのコミュニケーションを図るアレです。
その交霊会における霊媒(medium/media)として、中心的な役割を果たしたのは女性でした。女性と霊媒が結びついた背景には、ヒステリー研究や、催眠術療法、メスメリズム(動物磁気学)など、当時隆盛した科学的言説の影響があります。エセ科学的な要素も多く含まれるこれらの言説は、いずれも女性の身体的/精神的な「感応力(≒取り憑かれやすさ)」を取り沙汰することにより、当時の女性表象に無視できないバイアスを生じさせることとなりました。
そして、これが本稿にとって重要なポイントなのですが、タイプライティングや電報技術の発展と、交霊会に代表される心霊主義への傾倒といういずれも19世紀末にあらわれた2つの歴史状況は、他者のメッセージを女性が媒介するという構図において、非常に興味深い相似形をなしていたのです。
実際に、この2者の関係をめぐる近年の研究例では、世紀末においてはタイプライティングの技術そのものが、一部のぶっ飛んだスピリチュアルな人たちのあいだでは同時代に流行したウジャ・ボード(日本でいうコックリさん)のような降霊術と地続きのものとしてみなされていたことが指摘されています。(*5)
「著者」の権威を代筆者が支える
心霊主義の流行は、文学にも無視できない影響を与えました。その代表的な例が、アイルランドの文芸復興運動を支えた詩人、W. B. イェイツがどハマりした「自動筆記(automatic writing)」です。もともと神智学協会や黄金の夜明け教団というオカルト団体に出入りしていたイェイツは、彼の妻を霊媒とし、その発する言葉をまとめて作品に仕上げた詩集、『ヴィジョン』(1939)を発表しています。
では一体、霊媒が「口寄せ」したメッセージは誰のものなのでしょうか? 後世の読者たちは、『ヴィジョン』を妻であり霊媒であったジョージー・ハイド・リーズの詩集としてではなく、神秘主義者・イェイツの詩集として記憶しています。その理由はいたってシンプルで、『ヴィジョン』という書物に著者としてクレジットされているのはイェイツだからです。
同じことは、タイピストの生み出す原稿についても言えます。タイプライティングに関しての小史をまとめたダレン・ワーシュラー=ヘンリーによれば、「パブリック・オーサーシップ(著者として世間に認められること)の登場と時を同じくして登場したタイプライティングは、オーサーシップを幇助する役割を果たすことになった」といいます。(*6) この分析に沿っていうならば、タイピストによる口述筆記の場面においては、代筆者の存在が著者の社会的権威(authority)を強化するという奇妙にねじくれた関係があったのです。
名探偵は活字マニア
さらに議論を脱線して、今度は大衆小説の世界から女性と活字にまつわる同時代例を取り上げてみます。
世紀末の活字文化について考える上で、どうしても外せないのがアーサー・コナン・ドイルの生み出した名探偵、シャーロック・ホームズです。例えば高山宏は、ホームズと活字の関係について次のように述べてみせます:
[ホームズ]にとっては世界よりも、世界の文字化、索引化の方が魅惑的である。ホームズの索引とワトソンの日記で世界は二重に文字へと平板化され、ホームズの部屋の中へ、アルファベットの秩序の中へ、コナン・ドイルの意識の中へと「所有」される。世界が文字へと標本化されると言ってもよい。(*7)
「犯罪の生き字引」としてのホームズは、検索エンジンのごとく頭脳部屋のデータベースから情報を呼び出してみせますが、「活字そのもの」もまた彼にとっては検索対象となります。中でも有名なのは、長編小説『バスカヴィル家の猟犬』(1901)の中で犯行声明文に用いられた新聞の切り抜き文字から送り主を類推する際の、次のくだりでしょう。
タイムズの九ポイント・ブルジョア活字と半ペニーの安物夕刊紙のきたない活字とが大いに違って見えるのは、あなたの二グロ[ママ]とエスキモーの場合と同じなんです。活字の判別というのは犯罪専門家にとって、最も初歩的な知識です。(*8)
手書き文字に比べて無個性な「活字」の切り抜きを犯行文に用いれば、出元が特定されにくいに違いない......そんな思い込みをでドヤ顔で打ち破るホームズのこの口ぶりには、その話し相手であるモーティマー博士が体現する「観相学」(Physiognomonics)のレベルにまで自らの推理手法が到達しているというアピールが感じ取れます。
この観相学、人相や骨相を用いて劣等人種や犯罪者の遺伝形質のラベリングをするという世紀末に流行したトンデモ科学なのですが、同じく『バスカヴィル家の猟犬』の中では犯人であるステープルトンの存在を突き詰める際にも観相学的な手法が用いられているなど、ホームズの世界標本に科学的な正当性を付与していた言説でもあったのです。
取るに足らない「書き手」たち
なぜわざわざホームズと観相学にまつわる話をここでしているかといえば、それが本稿のテーマである「活字の陰に隠された透明な書き手」としての女性たちの存在について、非常に興味深い同時代の視点を提供してくれるからです。
例えば『バスカヴィル家の猟犬』に登場するローラ・ライオンズという女性タイピストは、ワトスンによって「まったく芳しくない。顔つきに何かが欠けていて、表情も粗野で、優しさが感じられない」と語られます。犯人であるステープルトンの奸計に担ぎ出されていることを知らないままメッセンジャーとして犯行に巻き込まれてしまう彼女に対して、コナン・ドイルは見た目の描写を通じても「卓越性を欠如したつまらない人間」というレッテルを貼っているのです。
「孤独な自転車乗り」(1904) のなかに登場する次の観相学的な推理アプローチを読めば、これが女性タイピストに対するコナン・ドイルの共通の評価であるということは一目瞭然でしょう。
もう少しで、タイピストと間違えるところでした。もちろん、あなたが音楽家だということははっきりしています。ワトスン、指先がヘラのようになっているのがわかるかね? これはどちらの職業にも共通するものだ。けれども、顔に精神の輝きが現れている[...]これはタイプライターには生み出せないものだよ。このご婦人は音楽家だ。(*9)
思わず、「はぁ?」と呆れ声をあげたくなるような推理ですが、ホームズはいたって真面目に、芸術活動を行う音楽家と、メッセージの媒介者であるタイピストを顔つきひとつで(観相学的に)分類しています。ホームズは活字に対して並々ならぬ関心を持ちながらも、活字の生産者たる女性タイピストたちのことは「ただ他人の言説を文字化するだけの取るに足らない存在」として軽んじているのです。
20世紀の文学者たちによる大衆忌避について論じてみせたジョン・ケアリーによれば、タブロイド紙のような大衆向けメディアにも通じたホームズは「新聞大衆の擁護者」とでもいうべき存在らしいですが、ジェンダーがそこに絡む限りにおいてはケアリーの分析は当たらないと言えそうですね。(*10)
ヘンリー・ジェイムズと口述筆記
ここでいよいよ、本稿の主人公である大作家、ヘンリー・ジェイムズの登場です。ジェイムズは『ある婦人の肖像』(1881)などの主要作で「新しい女」をいち早く描いた作家として知られ、恐怖小説である「ねじの回転」(1898)が示す通りオカルトとも密接な関係を持ち、そしてなにより女性タイピストを私設秘書として雇い、口述筆記で創作活動を行った最初期の作家なのです(!)。
ヘンリー・ジェイムズは、夏目漱石によって「非常に難渋な文章」「哲学のような小説」を書く作家と評価されている通り、とにかくその文章の曖昧性や難解性で知られる作家です。どれだけ難解かといえば、イアン・ワットという高名な文芸評論家が、ジェイムズの主著である『大使たち』の冒頭パラグラフだけを論じながら、“読みにくさの文体分析”を展開してみせたほど。(*11)
しかし、書き手としてのヘンリー・ジェイムズに対するこうした評価は、『大使たち』という小説が、女性タイピストを相手に口述筆記で書かれた小説だということを考えると、どこか不思議に思われます。『大使たち』という物語を作り出したのがジェイムズであることは間違いないでしょう。しかし、その外部、まさに小説が「タイプ」されていた創作の現場において小説のテクストを生産していたのは、レミントン社のタイプライターを操るジェイムズの女性書記、メアリー・ウェルドだったのです。
もちろん、「ウェルドこそ『大使たち』の真の著者である」と言いのけるのはさすがに無理があります。実際に、のちにウェルドの仕事を引き継いだシオドラ・ボサンケットの回顧するところによれば、ジェイムズは口述筆記を開始するまえに頭の中で構想をきっちり練り上げており、必要とあらば綴りからハイフネーションにいたるまで文面の指示を細かく下していたといいます。 (*12)
また、初代書記のウェルドが「(口述筆記の作業中は)自分が機械の一部のようだった」と語っていることからもわかる通り、ジェイムズの創作活動においては女性書記が積極的なアドバイザーとして作品に直接の影響を及ぼしたとは言いがたいところがあります。しかし、ジェイムズはタイピストとの関係において、虚ろなボイスレコーダーに対して延々と物語を吹き込み続けていたわけではないということを、実際に小説テクストを読解することによって議論してみたいと思います。
「聞き手」が織りなす特異な文体
ジェイムズの創作においてタイピストが眼の前に存在していたことの徴、言い換えれば口述筆記という創作スタイルがジェイムズの文体に与えた影響は、例えば次のような一節として小説テクストの上に顕れています。
涼しい夕暮れの一陣の微風でさえもなぜかしら本文の一節だったのだ。本文の意味するところは、要約すれば明らかに、こういう場所にはこういうことがあるのであって、こういう場所で動き回ることを選んだ以上、何事に出会おうとも自分なりの判断をしなければならない、ということであった。(上、287頁)
[Not] a breath of the cooler evening that wasn’t somehow a syllable of the text. The text was simply, when condensed, that in THESE places such things were, and that if it was in them one elected to move about one had to make one’s account with what one lighted on. (*13)
上の引用はある田舎町での散策風景についての描写ですが、この一節を読んだ読者はあたかもこのテクストの外部には「メッセージを語り聴かせる生身の作者」の他にも、「聞き手となっている誰か」の存在があるという印象を受けることでしょう。
先に紹介した文芸評論家のイアン・ワットは、『大使たち』の特異な文体について、「事実を伝え行為を解釈する語り手」と「語り手によって語りかけられる聞き手」が想定されている「解説」としての性質を帯びた文章であると分析しています。(*14)
ここまで本稿を辛抱深くお読みになってきた方であればわかる通り、小説を物語るジェイムズの解説に対する「聞き手」としての女性タイピストの存在こそ、文学史上に語り継がれることになったジェイムズが独自の特異な文体を発展させるうえでの大きな触媒になっていた可能性が、ここまでの議論から浮かび上がってくるのです。
署名と実存:分裂するオーサーシップ
しかし、本稿の議論にとってなんともややこしいのが、ジェイムズは口述筆記による創作活動を開始する前から、「2つのアイデンティティーに分裂する書き手」について小説作品の中で表現しているということ。
それを端的に表しているのが、1893年に書かれた短編“The Private Life”のなかに登場する劇作家に対するジェイムズの扱いです。ジェイムズは、社交パーティーのようなパブリックな空間で凡庸な話し方をする劇作家については「クレアランス・ヴォードレー」という署名ありきの存在として軽くあしらう一方で、プライベートな部屋の暗闇において一心不乱に創作に打ち込む同じ作家こそ「クレア・ヴォードレー」という名の天才作家なのだとすることで、同じ人物に二つのアイデンティティーを同時に与えているのです。
何のことだかわからない? ......安心してください、僕もこの小説の意味はよくわかっていません。ただひとつだけ言えそうなのは、作家という職業が社会的に認知されるにつれ、パブリックな「署名」とプライベートな「実存」とのあいだでオーサーシップ(書き手であるということ)が分裂を受けるとジェイムズが考えていたということです。
個人的には、"The Private Life"に登場する作家の2つの側面(「クレアランス」と「クレア」)のうち、片方が女性名で名指されているのがなんとも興味深く、1903年2月16日にジェイムズが女性書記のメアリー・ウェルドに宛てた手紙には、宛名の下に “Ms Private”と書き送られていたりするあたり、そこになんらかの符丁を読み取ってみたくもなります。
もちろん、この一例だけをもってジェイムズが女性書記に自らのオーサーシップの重要な一部を付与していたと結論するのは早急でしょう。しかしここまでの文脈に照らし合わせて『大使たち』を読み直してみると、その物語の上でもオーサーシップの分裂が重要な意味を持つことがわかります。
『大使たち』の主人公であるランバート・ストレザーは、文学青年として過ごした青春時代を懐かしむ冴えない中年男であり、彼のパトロンであるニューサム夫人が出資する評論雑誌に編集者として携わっています。しかし、小説の語り手は、そんなストレザーに対して容赦なく次のようなことを言ってのけます:
ランバート・ストレザーであるがゆえに表紙に名前が出たのであれば多少なりとも名誉であっただろうに、表紙に名前が出たがゆえにランバート・ストレザーだったのだ。(上、117頁)
この一節に色濃く表れているのは、文筆家としてのストレザーが抱えるオーサーシップの不安、言うなれば「署名」と「実存」の相容れなさに関する葛藤です。そもそも彼はニューサム夫人という地元の有力者の「大使(=使いっ走り)」としてパリに派遣された男であり、夫人の放蕩息子の生活について現地から報告する義務を負っています。「誤解の雑草は瞬時にしてはびこるから、その速さと競争できるのは、今では大西洋横断の電報しかない(上、188頁)」という理由でアメリカからヨーロッパに送られた伝書鳩、それがストレザーなのです。
『大使たち』のジェンダー・パフォーマンス
このように『大使たち』という小説とオーサーシップとの関係を考えれば考えるほど、「書くこと」と「ジェンダー」のあり方が作品の内外で裏返っていることに気付かされます。つまり、ニューサム夫人のメッセンジャーとしてのストレザーに描きこまれる不安は、作品の外部に存在する著者であるジェイムズと、彼の声によってページに文字を打ち込む女性タイピストの関係を奇妙にねじくれた形で反映しているように感じられるのです。
このいささか奇妙な解釈が、決して的外れとも言い切れないことは、ジェイムズは小説の語りを通じて女性人物たちをたびたび「活字」と同化させていることからもわかります。
例えば、電報の山をみたストレザーの心情は「ニューサム夫人が新聞紙大の大文字でポコック夫人に報告する声が聞こえたばかりか、新聞の記者のように反応するポコック夫人の表情が目に浮かんだ」と表現され、また、ストレザーの助言役を務めるマライア・ゴストリーという女性は「心の中に一種の容器を備えていて、その中へ活字を仕分けする植字工のように[...]巧みに仲間たちを分別する人」と語られます。いずれも奇妙な描写ですが、このように活字と結びつけられることによって、作品の中では女性たちがストレザーに対して及ぼす権威が印象付けられています。
その極めつけとなるのが、以下のいかにもジェイムズらしい複雑な一文です。
しかし、どうは言っても周囲は他でもない当たり前の、いつ来ても同じような人ごみ、郵便電報局の中では私たちの友人にもお馴染みの—どの郵便電報局でもその雰囲気の中にある何かであって—この街の広大で不可解な生活のざわめき、典型的な人々が醸し出す雰囲気、芝居っ気たっぷりに怪しげな文案を練っている人たち、おぞましい先の尖った備え付けのペンを砂ぼこりをかぶった備え付けの机に突き刺して、何やら打ち合わせをしたり言い訳をしたりしている小柄で機敏なパリの女たち—そのペンや机でさえも、よく知りもせず穿った解釈をしたがるストレザーの目には、何か抜け目のない風俗、よこしまな道徳、人皆のすさんだ暮らしを象徴しているのだった。(下、307頁)
There was none other, however, than the common and constant pressure, familiar to our friend under the rubric of Postes et Telegraphes—the something in the air of these establishments; the vibration of the vast strange life of the town, the influence of the types, the performers concocting their messages; the little prompt Paris women, arranging, pretexting goodness knew what, driving the dreadful needle-pointed public pen at the dreadful sand-strewn public table: implements that symbolized for Strether’s too interpretative innocence something more acute in manners, more sinister in morals, more fierce in the national life. (underline added)
上の長い引用箇所では、「public pen」を手にした女性たちが文字の媒介者としてコミュニケーションに影響を与える様子が、男性であるストレザーの目線を通じていささか過剰な恐怖とともに描写されています。ここでもう一度、口述筆記の様子を念頭に上記の電報局の描写を読み返してみましょう。すると、日本語では「典型的な人々が醸し出す雰囲気」と訳されている“the influence of the types”という言葉もまた、「活字(type)」を操る女性たちが社会に及ぼす影響力をほのめかしているかのようです。
作品の創作現場においては男性作家のオーサーシップを陰で支える女性タイピストがいる一方で、作品の内部においては活字と同化した女性たちの権威に怯える男性主人公がいる...... こうして作品の内外における活字と女性との関係性を考慮しながら読むだけでも、『大使たち』という小説は、女性タイピストを乱雑に扱うホームズ作品よりもはるかに複雑で陰影に富んだジェンダーの扱い方をしていることがお分かりいただけたかと思います。
小説よりも奇妙な大オチ
最後に、これまで本稿が議論してきた「世紀転換期の活字・オカルト・ジェンダー」にまつわるすべての文脈の結節点として、ジェイムズに仕えた2代目タイピスト、シオドラ・ボサンケットのたどった数奇な運命を紹介することで締めくくることにします。
後年の手記の中で、口述筆記の作業について「話された言葉とタイプされた言葉の間で、霊媒(medium)のような働きをした」と語っているボサンケット。そんな彼女はジェイムズの没後、交霊会にどハマりしジェイムズの霊を口寄せする霊媒になったのです。(*15)
ボサンケットは一体、交霊したジェイムズに何を語らせたのか...... その事細かな記録は残っていませんが、こうしたボサンケットの心霊主義への傾倒は、現代を生きるアメリカ人作家、シンシア・オジックの短編小説“Dictation”(2009の題材ともなっています。
オジックの小説では、同じく世紀転換期の名作家、ジョセフ・コンラッドのお抱えタイピストであったリリアン・ハロウズというこれまた実在の女性とボサンケットが出会い、テレパシー的なつながりを持つことによって彼女らの仕えた男性作家の創作活動に影響を及ぼす様が描かれています。
もしも、霊媒が口寄せする振りをして自らの主張を訴えていたとしたら...... もしも、男性の「署名」に隠れたタイピストたちが、そのメッセージを陰でコントロールしていたとしたら......オジックがしたように、フィクションとノンフィクションの間を縫うような二次創作的な妄想を膨らませてみるだけでも、とびきりワクワクしてしまうのは僕だけでしょうか。
流石に長くなってしまったので、ここら辺で。では。
出典一覧**
(*1) フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』、石光泰夫・石光輝子訳、筑摩書房、p.283
(*2) E. M. Forster, A Room with a View, New York: Penguin Classics, 2000, p.180(訳は引用者)
(*3) キットラー、前掲書、p.288
(*4) Pamela Thurschwell, Literature, Technology and Magical Thinking, 1880-1920, Cambridge: Cambridge UP, 2001,p.94
(*5) 例えば、Thurschwell, 2001(前掲); Hilary Grimes, The Late Victorian Gothic: Mental Science, the Uncanny, an the Scenes of Writing, Farnham, Surrey: Ashgate, 2011; Laura James, ‘Technologies of Desire: Typists, Telegraphists and their Machines in Bram Stoker’s Dracula and Henry James’s In the Cage’, Victorian Network Volume 4, Number 1, 2012を参照。
(*6) Darren S, Wershler-Henry, The Iron Whim: A Fragmented History of Typewriting, Cornell UP, 2007, p.97
(*7) 高山宏「殺す・集める・読む」『アリス狩り』青土社、1981-1987、p.293
(*8) アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ全集6 シャーロック・ホームズの帰還』
(*10) John Carey, The Intellectuals and the Masses: Pride and Prejudice among the Literary Intelligentsia, 1880-1939, London: Faber and Faber, 1992
(*11) イアン・ワット「『使者たち』第一節の分析」、青木次生訳、『世界批評体系(7)現代の小説論』、筑摩書房、1975
(*12) Theodora Bosanquet, Henry James at Work,
(*13) 本稿ではHenry James, 『大使たち』の和訳テクストとして青木次生訳(岩波文庫、上・下)を用い、引用に際しては括弧内にページ番号を付記した。
(*14) ワット、前掲書、p.321
(*15) 例えば Anthony Enns, "The Undead Author: Spiritualism, Technology, and Authorship" in The Ashgate Research Companion to Nineteenth-Century Spiritualism and the Occult, London: Ashgate, 2012 を参照