鉄道官舎にいた時の話し!
昔の話だ!
俺は鉄道官舎に住んでいた。
親が国鉄マンだったからだ!
朝、夕、晩、汽車はいつも決まった時間に家の前を通り過ぎる。
通るたびに家が少し揺れる・・・
俺はそんな家が大好きだった。
家の前が道を挟んですぐ線路なので汽車の出発時間近くになると、当時たくさんの人々が家の前を通り過ぎて行った。
たくさんの人々といっても、良く見るといつも決まった顔ぶれだ。
学生、風呂敷を背負った老人、いつも時間ギリギリに走っているお兄さん、、、
汽車はたくさんの人を乗せて北に行ったり南に行ったり・・・
汽車に乗っている人々は必ず窓から外を眺めていた。
俺は汽車が通り過ぎる度に手を振った。
すると、必ず向こうも手を振ってくれた。
それがとても嬉しかったのを覚えている。
当時の俺は変な遊びに夢中になっていた。
その遊びは自分との戦いだった。
今日より明日! 明日より明後日!!と今の自分を超えていく事を目的とした崇高なる遊びだ!
この遊びは男性にしか出来ない!!
男性の男性による男性だけの遊びだ!!
やり方はいたってシンプル。
まず、ションベンがしたくなるのをひたすら待つ!
尿意を感じたら外に出て家の前の壁に立つ!
精神を集中させ、チンチンを指で挟む!
その状態で解放する。
少し辛いが、その状態でパワーを溜める!
溜めて、溜めて、溜めて、溜めまくる!!!
限界を迎えたら膝を折り、力いっぱい上を向く!
発射!!!
壁に自分の印を残す!
その高さを競い合う(自分と)
そういう遊びだ!
まだある。
1人がショウベンのトンネルを作ってそのトンネルを何回往復する事ができるか競うという遊びだ!(通称トンネル)
この遊びはかなり危険だ!
いや、危険というよりもかなりの覚悟がいる。
ゲームの最後には必ずシャワーを浴びるからだ!!!
このトンネルの世界最高新記録を持っているのは俺だ‼️
因みに俺の最高記録は11回だ!
この記録はまだ誰にも破られた事がない俺だけの記録!( ゚д゚)
話がだいぶん逸れてしまったが、当時この遊びを俺は線路の脇でやっていた。
例えばこうだ。
カンカンカンカンと踏切の方から音が聞こえると俺は急いで外に出る。
汽車がゆっくりと踏切を渡ってくる。
俺は家の壁の前に張り付きタイミングを計りながら準備をする。
一番前の車両が手前約15メートルに来たら溜めていたエネルギーを一気に全解放する!
うおおおーーーーー!! と叫びながら俺は壁に印を残す。
汽車に乗っている乗客たちはその様子を見て喜んでくれる。
特に女子高生どもはキャーキャー言って一番喜んでいたみたいだ!
俺は悪い気はしなかった。
いや、むしろ変な喜びを覚えていた。
雨の日も、風の日も雷が鳴ったって俺は汽車がくるたびに外に出た!
たまに風が逆風になり自爆する事もあったが俺は、続けた。
夕方3時の汽車が一番盛り上がった。
汽車の中にはほぼ学生しかおらず窓を全開にしてみてくれた。
特にトンネルは男子学生に人気があった。
俺は、3つ上の大親友『通称オニンコ』と夕方3時近くになると線路の前でスタンバっていた。
汽車がくる!!!!
うおおおおおおおーーーーーーー!!( ゚д゚)
歓声が上がる!
歓声は汽車のガタンゴトンという音を凌駕するくらい激しかった。
歓声は俺たちを興奮させた!
いけーーーーー! 男の声がした。
頑張ってーーー! 女の声もする。
俺は力一杯オニンコのションベンのトンネルを往復した。
数を数えながら・・・・
9を数えたくらいで『やばい』オニンコは叫んだ!
俺は小さくなっていくトンネルを身を縮めながらオニンコの側に寄り往復を繰り返す。
10、11、12、、、、、12で俺はオニンコのションベンを頭から被った。
11回! 記録は11回!!!
歓声はどんどんと遠くなっていった。
150メートルくらい先で汽車がホームに止まる。
以前、高校生たちに囲まれて余りにもワイワイと五月蠅かったので学生たちがホームに降りる前に俺達は家に入ることにしていた。
断っておくが俺だけがトンネルを潜るわけではない! 当然3つ上のオニンコも俺のトンネルを潜る!
そうでなければ、親友でもなんでもない!
俺達は硬い絆で繋がれていた。(いや、ションベンかもしれない)
冬になると、さすがにトンネルはキツかった!
俺達は考えた!
冬でも汽車に乗っている人たちを喜ばせるにはどうしたら良いのだろうと!
答えは意外に簡単だった。
ホームの前に物置があったのでその屋根に登り汽車が来たらバク宙をするという方法を選んだ。
屋根の下には当然雪があり、バク宙をする前にスコップで屋根の雪を落とし地面をふわふわにしてからバク宙をした。
冬に窓を開けて見てくれる人は居なかったがバク宙に成功した後、汽車の方を見ると窓の向こうで拍手をしてくれていた。
とても良い時代だったと今でも思う^ ^
そして現在!
鉄道官舎は無くなってしまった。
今では昔の面影を残す建物は一つだけになってしまった。
バク宙した物置も、印を刻んだ家も今はもう無い!
国鉄からJRに変わる過程でそこで働いていた人たちも何処かに散り散りになって行った。
オニンコはもう居ない、、他の友達も居なくなってしまった。
俺は何と鉄道官舎に最後まで残った1人となった。
沢山いた友達を何度も見送ったが、俺を見送る人は誰もいなかった。
誰もいなくなった官舎で明かりの消えた家の前に行きピンポンを鳴らした。
壁にションベンをかけても、壁を相手にキャッチボールをしてもなんだか虚しかった記憶がある。
今後悔していることはあの時の官舎の写真が一枚も無いことだった。
父ちゃんも後悔していた!
書いていると、いろんなことが思い出してくる、、、
また、子供の時の事を書こうと思う。
お終い。