投票に行った、これで何も変わらないようであれば、7年後をメドに移住計画を一歩進めると書いて置く 2024.10.27
■この覚書的な日記記録は、第50回衆議院議員選挙投票日当日に書いたものなので、すでに過ぎ去った要件も多いけれどいまだに残された事案も多いと感じている。(2024.11.2現在)
【ここから】
幕末は、大きな分水嶺だったという評価をしている。
クーデターで終わりか?(実際はこちらで打ち止めだった)
民主主義・主権在民まで到達できたか?
「民主主義・主権在民の思想」幕末の記述「藩論」(土佐閥系)
それが生まれいずる「機会」は、存在したようだ。1996年の卒論である程度までのその当時の学生である私も、そういう明治維新について真っ向から学生なりにやれる事はやったつもりだった。一度、手書きの原稿用紙(400字詰め110枚程度)を提出した後に、再考し、要点の絞って強度を確保したのが、「坂本龍馬・海援隊の政治性」というものだった。
そのなかに、『藩論』という冊子についての記述をした。
坂本龍馬研究を本気で行えば、そこを素通りしていくわけにはいかなくなるはずだ。
それは1996年当時、まだ「民主主義・主権在民」という何かに期待をしていたころだった。
それから約30年が経った。その陰もまったくなくったように実感していた。この15年ほどは絶望的な民主主義の状況が続いた。
ただ、今回は最後の機会かもしれない。それでもダメならば、移住へのステータスを本格的な検討中から、計画立案に入らなければならないだろう。そういう時期にあると私は認識している。
「投票所に行ってきた」
それで、後は結果次第だろうと思う。自立的な判断をしなければならないし、したい。どうであれ、その1996年のお粗末な学生がまとめた原稿の「坂本龍馬・海援隊の政治性」のスキャンを掲載する事にしたオードリ・タン(元台湾IT相)のように、アウトプットは即座にしなければ気が済まないのだ。※これは、当時のPCワープロソフト「一太郎 Dash」で打ち込んだものだ。
【オードリ・タン】(元台湾IT相)
「「公開してから逝け」の哲学:「まともな先人」でありたい」という態度の人物
発言を引用しておきます。Wikiは都度更新されて記述が消える部分がありますからね。
■「公開してから逝け」の哲学:「まともな先人」でありたい
ラウリン ヤン・アツェ・ニコライから質問が来ているので、お聞きしたいと思います。「こうした活動をする動機について教えてください。めざすところは何ですか」
オードリー 世界には17のグローバル目標と169のターゲットがありますが……(笑)、今からそれを全部挙げるつもりはありません。その代わりに、とても個人的な話をさせてください。私は1981年に、心臓に問題を抱えて生まれました。一番古い記憶は、4歳で医者に連れて行かれたときのことです。医者はレントゲン写真などを見ながら、両親にこう言ったんです。「お子さんが心臓の手術を受けられる年齢になるまで生きる可能性は、せいぜい50%ですね」と。つまり、私の最初の記憶というのは、存在の危機に直面するようなものでした。でも結局、12歳になった1993年に無事に心臓の手術を受けることができて、今はまったくの健康体です。
でも、人生の最初の12年間は、次の日に目が覚めるかどうかわからないまま眠りにつく毎日でした。この命がいつ尽きるかわからないという状況のせいで、ある習慣が身につきました。それは、毎日学んだことをすべて公開するということです。だって、もしかすると次の日にはいないかもしれないじゃないですか。いわば、「公開してから逝け(Publish and then perish)[★02]」ということですね。つまり、旅立つ前に知識を公開するということが最大のモチベーションになったのです。自分自身をパイプ役だと考えて、良いアイデアを思いついたら毎日公開する。そうすれば、安心して眠りにつけます。たとえ二度と目覚めることがなくても、アイデアがすでにパブリックドメインに存在しているからです。自分の仕事の著作権をすべて放棄しているのも、これが理由です。私がこの世を去った後も私の作ったものを楽しみたいと思う人々を、70年も拒絶するわけにいきませんから。
つまり、私が言いたいのは、まともな先人でありたいということなのです。未来の世代には、私が今享受しているよりももっとたくさんの可能性を楽しんでもらいたい。完璧なAIの設計などで、その可能性を閉ざしたくないのです。つまり、私が考えるまともな先人とは、自らがこの世からログアウトするときに、自分がログインしたときよりも、もっと可能性に満ちた、より良い世界を残して逝ける人のことです。
【一太郎 Dash】については、こちらを引用
(復刻盤の記事:実際は1996年に使用した)
ここからは、原稿をスキャンしたデータを貼り付ける。解釈は必要な部分のみ記述した。
まず、このまとめの章立てを記述した。
中略する。
第二章 『藩論』
「主権在民」と「選挙制度」の在り方が『藩論』に提起されている
引き続き『藩論』について
『藩論』の内容についてはここまで
『藩論』についての主要な記述を抜粋した
(幕末に書かれてと思われるので、時代は江戸末期と考えて差支えないだろう)
藩主などの身分制上の高位の者が、必ずしも有能でないことを批判精神をもって述べている。反対に、低い身分の者に対しても、目前の不利を避け遠大な計を執り行うことができない者が大多数であるとして、両階級に対し批判をしている。
これは能力主義を掲げ、機会均等、平等主義を貫徹するために全階級を同列に並べる記述をしたのであろう。また、この維新初期において政体の基礎をつくり、宿弊を一新すべきであると諺を引いて述べている。
「一ト度時機ヲ失ヘパ、再ビ春ヲ歳ニ得難シト」、「藩論小引」において「急成ヲ欲ル」とあるのも、著者がこの時期に『藩論』を記す必要性を感じたためであることはここに示されている。
「一新ノ総論」では最後に、某藩の藩政改革の事例を示し、海軍の重要性を述べてこの章をしめている。明治維新成立後の施策に【五榜の掲示】などの民主的な要素を排除する反動的な動きがみられたのでこの「藩論」の提案事項は「急務」であるとして、行動を促すものである様子が読み取れる。
※「五榜の掲示」はWikiでは読みづらいので、この卒業論文の資料編にまとめていた中から「第二札」と「第三札」を掲載する。
五榜の掲示は明治新政府が慶応4年(1868年)3月15日に掲げた、旧幕府や藩の高札を撤去して新たに立てられた5枚の高札です。
注 24)「五榜の掲示」(第二札、第三札)
(自らまとめ直した記述より「第二札と第三札」)から見る、民衆統治の江戸時代からの継続性。
第二札「何事ニ宜シカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ徒党ト唱ヘ、徒党シテ強テ願ヒ事企ルヲ強訴トイヒ、或ハ申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ逃散ト申ス、竪ク御法度タリ、若右類ノ儀之レアラハ早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ、御褒美下サルヘク事」
第二札(何においても、集団で物事を計画し、それをもって「請願」行動や「デモを行う」ことを犯罪として扱う。また、(村が貧困のためなどにより)集団で夜逃げなどを行うことは、あってはならない。もし、右のたぐいの事案があれば、管轄の役所機関に申し出る事、報奨金がもらえる)※密告制度
※江戸時代の民衆統治、管理システムの骨子でもある上意下達の取り締まり手法である。「脱藩」「土地を離れる事」の禁止、「五人組制度」の復活、「密告の奨励」が民衆に対して明示されている。
第三札「切支丹宗門ノ儀ハ堅ク御禁制一タリ、若不審ナル者有之ハ其筋之役所ヘ可申出御褒美可被下事」
第三札(キリスト教禁制であるので、もしそのような不審なものがあれば、管轄の役所機関に申し出る事、報奨金がもらえる)
出典:『近代史史料』大久保利謙編 吉川弘文館 一九六五)
民衆は土地に縛り付け、密告を奨励し、キリスト教を禁制とするなど民衆支配の方針を示している。
付記、昭和に入っても、「隣組」という制度でその主軸の概念は踏襲されている。つまり、明治維新が「支配者層の入れ替えで終わった」という象徴的な明治時代最初の一歩でもある
【藩論】へ戻る
そして、「藩論」は、結論としてこの時代に民主主義的な投票制度を提示したと考えて差し支えない。その内訳のポイントを書き出す。
第二章は「甫メテ変革ノ基ヲ開ク」として具体的に三節に分けて改革の詳細を述べている。(初めて、変革のもといを開く)
「第一 藩主先ヅ藩臣ニ令シテ、旧規ヲ廃シ、更ニ新律ヲ立ルニ就テ、閣藩異志ナカラシムルガ為メ、改テ誓約ノ礼式ヲ行ハシム可シ。」
藩主が旧来の規則を廃して藩内に於ける意志統一をはかるため君臣関係を「条律」(契約)に依るべきであるとしている。君臣関係を、「事ニ於テ好悪ノ心有ラザルヲ得ズ」として、そのために「誓約ノ礼式」を執り行うとしている。
※つまり、君臣関係を平らにしたうえで「契約関係」にする。また、その「契約関係」の効力を担保するために「誓約書」を締結するとの意。
「第二 右ノ如ク藩主先ヅ臣下ニ盟約ヲ立テ、亜ギニ家格ノ制ヲ滅シ、世禄ノ法ヲ絶シ、一旦官等ヲ廃シ、級爵ヲ収メ閤藩混合平均シテ、更ニ同領庶生ノ尋常大公会ト見倣シ、然ニシテ後チ其藩ノ大小其臣ノ多寡ニ準ジテ、予ジメ定則ノ人員ヲ期シ、各々望ム処ノ人名ヲ進メシムルコト、世俗入札ノ式ヲ用テ、衆人徳望ノ帰スル人物ヲ撰ムベシ。」
※君臣関係を定めた後、封建身分制を解体する。これは、『藩論』が平等主義から能力主義を実現しようと意図していることから解釈するものである。また、ここでは議会制と選挙制が主張されている。「尋常大公会」と「世俗入札ノ式」である。
「尋常大公会」は「議会」であり、「世俗入札ノ式」は「選挙制」である。
「一新ノ総論」に続いて、ここでも階級身分制の不合理を主張している。官位の高い家に必ずしも才能のある者が生まれるわけではなく、下位身分に知能の低い者が生まれると言うわけでもないとの主旨から、能力に相応の地位を得る事のできない制度に対し批判をしている。「勉励ノ子何ノ罪アツテ一生奴隷ニ終ルノ理アラン。」
とはこれを象徴的に述べている。また、官位、級爵を廃さない弊害として身分の低い者が卓越した策を主張しても認められないばかりか、わずかな失策で本人のみならず一族までも災いが及ぶことを、中国の秦の商鞅の例を引いて示している。
※世襲批判をしている。世襲においても、そうでなくとも有用な人物は現れるのにもかかわらず、世襲のみで何の努力もせず、能力や資質を欠いているにも関わらず、権益を持つのはないだろう、またその逆に努力と才能をもって開花させられない社会はおかしいのではないか?という意味だ。
この章では、能力主義を平等主義的に実現する具体策として、「一新ノ総論」での主権在民を基調にして選挙制と議会制について主張している。そして、選挙制である「世俗入札ノ式」の詳細が述べられている。
「第三 一ト度ビコノ公選ノ法ヲ用ユレパ、其札数ノ多寡ニ従テ用捨ノ人名判然タル可シ。而後藩主コノ初撰ニ挙レル数輩ヲシテ、仮ニ又定則ノ人員ヲ期シ、再タビ清撰ノ人物ヲ挙ゲシメ、自余ノ庶士ヲシテ退テ後ノ令ヲ倹夕ランムベシ。」
「世俗入札ノ式」と表現される選挙によって選ばれた人物から再選を行う。これは選挙制を行ったことのない人々が投票権をもっても、それを有効に活用できないであろうと予測して、その欠点を補うものである。
述べてきた通りに著者の意図するところは、能力主義を公平な方法で実現することである。とれに対し、投票権が交流のある親しい人物であるから、身分の高い人物であるから、といった理由で使用されれば著者の意図するところは実現せず、かえって衆愚政治をももたらす可能性すらある。
現代の政治でさえも党員などの、本文中の一言葉を用いれば「親疎」により、ネームバリューのある「愛憎」によって選挙されてしまう傾向はあらわれてしまうのである。これは、一般的なブランド志向と相まって選挙での選択がされえるという、避けられない条件である。
このような問題点を見抜いてその対策を提示しているところは、かなり進歩的な知識の所有者でなければできないことであろう。それは、外国知識との接点を多くもっていた人物であれば、欧米の制度を参考にできる点でその可能性は高いとみられる。
この再選制度は、「復択ノ法」と呼ばれ、人物精選を目的とされている。私はこれを議院内閣制ではないかと解釈した。総理大臣の指名、閣僚の任命は「復択ノ法」と同じく選挙に対して、その問題点を再選というかたちで補完するものだと考えるのである。『藩論』にみられる政治思想は、選挙制、議会制を志向するのみならず、その問題点まで見つめ、対策を施している点でかなりの先進性を見いだすことができる。
最後に、『藩論』第二巻の発行を示唆して終わっている。しかし『藩論』第二巻は発行された様子はなく、発見されていない。
※そもそもメインストリームから排除された系統の史料が表舞台に出る事が難しいというのは有史以来の基本原則だろうと感じる。また1996年の記述当時の時代背景の単語も記載されているがご容赦いただきたい。(1996年現在2024年注記)
学校に提出したものは、次の冊子。上記のまとめ直しは期限に間に合わず提出も受付られず。
学校提出分のコピー(原本は帝京大学文学部史学科提出 1996年2月頃)
さて、奇遇にも今日は第50回衆議院議員選挙の投票日だ。どうする?
(実際のところ、今日は11月2日だれど、改めて記録として表に加筆して掲示した記事でです)
冒頭のイメージは国会図書館のサイトから引用した「憲法研究会案」の現行日本国憲法の草案です。現行憲法の事実上の骨子となっています。日本人草案ですね。
これも私自らが確認した範囲で、AIと齟齬がないので、そのままAIの文章を使います。
【憲法研究会】について
憲法研究会は、民間有識者で構成されたグループで、1945年12月26日に「憲法草案要綱」を発表しました。この草案は、後のマッカーサー憲法草案に影響を与えたと言われています。
憲法研究会のメンバーは、高野岩三郎、馬場恒吾、森戸辰男、杉森孝次郎、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵の7名で、事務局は鈴木安蔵が担当しました。研究会内で討議された結果、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成し、内閣に届け、記者団に発表されました。
「憲法草案要綱」には、次のような内容が盛り込まれています。
日本国の統治権は、日本国民より発する
天皇は、国民の委任により専ら国家的儀礼を司る
国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布することはできない
国民は、健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する
【以上】
さて、選挙が終わって、新しい色が表れ始めていますね。ここからが本題ですね。いつでも移住できる計画を準備しながら、もう少しここでできる事を見出したいとも思い始めています。まだ、薄明りのようなものですけれどね。(2024年11月2日)