営業が嫌でマーケになった僕が、 今になって営業をする理由 -メッセージボトル #4
マーケ、人事、広報。
この3つは、学生の希望職種ランキングの常連ともいえる人気職種。
しかし、その裏側にはおそらく「営業は辛そう、やりたくない」という消去法の末の仕事選びや、なんとなくマーケティングや人事に対するキラキラしたイメージに惹かれて、、、そんな志望動機が見え隠れするのも事実。
ノルマに追われ、クレームに肝を冷やし、必死になって買ってください!と顧客に頭を下げる。
そんな、一般的な営業に対するネガティブイメージ。風評被害の行き着いた先に、「マーケティング、人事、広報に対する絶大な人気」があるのでしょうか。
実際、20歳そこそこの頃の自分は、まさにこう思っていました。
この記事は、
営業が嫌でマーケになった僕が、
今になって営業をする理由。
と題し、私の会社員時代の経歴をつらつらと綴りつつ、マーケ畑10年超の営業ド素人=わたしから見た「営業という仕事の魅力」がテーマです。
この記事は、下記のような方たちにとって少しでも参考になれば。そんな気持ちで書いています。
・営業がイヤでイヤで仕方ない就活生
・希望の配属先が叶わず営業になり、
落ち込んでいる新社会人一年生
・営業もベテランの域、後輩も育ってきた。
次のステップアップに悩む30代のリーダー
このような方たちが、実はたくさんいらっしゃるのではないか?
マーケ畑で長らく働き、一周回って39歳で営業になるわたしの(決して輝かしくはない)ヒストリーが、少しでも誰かの「営業やってみるか!」に繋がれば幸いです。
まずは結論を「5つの教訓」として、下記にまとめさせて頂きました。
余計な私の長々とした自己紹介ヒストリーにお付き合い頂く時間はちょっとないな!というお忙しい方は、こちらだけお読み頂ければ、あとはすっ飛ばしてください(^^)
①志望動機は不純でいい
何をしたいか?ではなく「どうありたいか?」
ービジョンに共感できる会社を選ぼう
②ただ、ひらすら新しいことに首を突っ込む
ー変化への対応力こそ生きる力
③営業未経験は、やがてコンプレックスになる
ー若いうちにやっときゃ良かった仕事
第一位はだいたい営業
④モノではなく、コト=価値を売る時代
ー営業こそが最高のマーケター
⑤事件は会議室で起きてるんじゃない。
やっぱり現場で起きていた!
ーその1回の商談が新サービスのきっかけに
極度の人見知りと自意識過剰をこじらせ、営業以外の仕事なら何でもいいや、と不純すぎる動機を隠し、わたしは22歳の時に時給750円の制作アシスタントとして求人広告会社に入社しました。
大学は半年で中退、バンド活動でプロになる!そんな夢を捨てきれず22歳に。3つ年上の彼女は高校で美術教師となり、大学卒業の歳になっても就活すらしない僕に愛想をつかし「フリーターとは付き合えない」とあっさりフラれました(泣)
どんなバイトも長続きせず、本当はフリーターにすらなれていなかったんですけどね。
ただただフラれたショックと、同世代のリクルートスーツ姿に強い危機感を覚えたわたしは、何でもいいから週5日は働こう(志し低すぎ!)と決心したわけです。
当時の社員募集といえば、毛嫌いしていた営業職か、もしくはガテン系の仕事ばかり。車の免許もなく、体力に自信のない私には正社員採用など夢のまた夢に思えました。
そんな経緯で入った会社に、まさか39歳になるまで勤めるとは。当時のわたしは全く思ってもいませんでした。
ただひとつ、志望動機はかなり不純でしたが、とにかく面白いことをしてやろう!という高飛車な野望だけは持っていました。
たとえ時給750円でも!笑
定時終わり、そこから残業。急いで家に帰り、ギターを抱えてバンドの練習へ。家に着くのは深夜1時を過ぎ、それでも翌朝仕事に行く。そんな生活を続けること半年ちょっと。
でも、いつしか音楽よりも求人広告=人と企業のマッチングという世界に魅了されている自分がいました。
仕事に支障が出る、こりゃバンドと仕事の両立は無理だな。そんな理由で音楽よりも仕事を選ぶことになったのです。
ぺーぺーのわたしの仕事内容は、ただ手書きの取材シートをデータ入力するだけの単純作業の繰り返しでしたが、その一語一語に求人広告のロマンを感じ、いつしかこの業界で生きていきたい、そう強く思うようになりました。
まだ今は大きな歯車のひとつかもしれない。けれどこの歯車は、今日も人と企業の出会いをつくり続けてるんだ。
職種ではなく、いつしか事業の価値に共感していたんですね。
教訓① 志望動機は不純でいい。何をしたいか?ではなく「どうありたいか?」
ービジョンに共感できる会社を選ぼう
9ヶ月後に社員登用。
そこからは、
新サービスの企画や社内プロジェクトが立ち上がる度、ミッション外にも関わらず無邪気に首を突っ込み続けました。
それ、オマエの仕事じゃないだろ?っていう先輩社員からの冷たい視線も、鈍感なわたしには大して気にならなかったのです。
無邪気な何でも屋さんを続けること6年。
思いがけず29歳でマーケティング企画課の課長に抜擢されました。高卒のバイトあがりとしては、雑草魂が燃え上がるような昇進でした笑
本業である広告制作の仕事はほどほどに、自社メディアの新創刊や編集記事の企画、就活イベントのプロモーションのようなマーケらしい仕事に首ったけ。はたまた会社の書籍販売が決まれば、その執筆を担当させてくれと言ってみたり、読者からの相談窓口の立ち上げで月曜朝から3時間の読者クレームに電話応対してみたり、雑食もいい加減にしろ!というくらい何でも首を突っ込むわたしを、会社は有難いことに面白がってくれていたのかも知れません。
20代の課長は当時は少なかったと思います。
ちょうど会社がリクルートにM&Aされたタイミング。若手からの抜擢人事の波に上手く乗ったと見られ、社内からは非難、というより誹謗中傷?の声も正直多かったです。
教訓② ただ、ひらすら新しいことに首を突っ込み続ける
ー変化への対応力こそ生きる力
そこからは、本当に仕事が楽しかった。
休日などいらなかったです。自分の企画がプロダクトに反映され、組織戦略を変え、市場にインパクトを与える。こんなスリリングな仕事、まさに天職だ!と言わんばかりに、前のめりに働き続けました。
そう。ノリにノッている時のマーケの仕事は、世界で一番面白い!と、断言できます。
ただ、そこから数年間、わたしが悩まされ続けた大きな大きなコンプレックスが「営業未経験」という負の経歴。
いや、別に営業経験がないことが負け、ではないんですけどね。ただ、わたしはそれをずっと「恥ずかしいこと」と感じていました。
どれだけデータを集め、現場ヒアリングを重ね、練りに練った渾身の企画であったとしても、「営業経験のないお前に言われてもねぇー」の一言であしらわれてしまう、そんなことは日常茶飯事でした。まぁ、バリバリの営業会社でしたから当たり前なんです。
現場のリアルを知らない、そんな自分がマーケの責任者で、100名を超える営業スタッフが自分の言葉に耳を傾けてくれるわけがない。
何かいつも後ろ指をさされているような感覚で、自信をなくした時期もありました。
教訓③ 営業未経験は、やがてコンプレックスになる
ー若いうちにやっときゃ良かった仕事、第一位はだいたい営業
この「営業未経験者によくあるコンプレックス」を救ってくれたのは、当時の営業本部長、そして同世代で営業マネージャーに抜擢された若手リーダーたちでした。この方々は、わたしを重宝がるだけでなく、思う存分コキ使ってくれました笑
頑なに「営業こそが一番偉い」と威張って見せるのは大抵売れない旧時代のおじさん営業。マーケの価値を認め、わたしをパートナーとして認めてくれたのは、シンプルに「売れてる営業」の皆さんでした。
彼らは商品=モノを売りながら、実はコト=価値を創りだし、顧客の支持を勝ち取っていました。
コトを売るには、マーケティング視点が欠かせないわけで。売れる営業は最高のマーケターでもあることを、その頃わたしは知りました。
そして彼らトップセールスたちは、わたしと組むことで、さらなる価値を顧客に提供することを、いつも考え続けてくれていました。
トップセールスたちからのフィードバックで磨かれていった商品・サービスは多々あります。本当に感謝しかありません。
教訓④ モノではなく、コト=価値を売る時代
ー営業こそが最高のマーケター
さてさて。
長すぎるわたしのヒストリーも、ようやくこの直近2年くらい、最近の出来事にまで来ました。
この2年間ほどは、自社求人メディア商品企画の責任者をやりながら、indeedと採用管理システムの組み合わせ、いわゆる「オウンドメディアリクルーティング」事業を、社内の新領域プロジェクトとして推進してきました。
紙メディアがメインの会社が、いきなりWEBマーケティングやクラウドシステムの販売を始める。
これは、蕎麦屋のメニューに突如現れるカレーと同じくらい(という例えが適切かは分かりませんが笑)、一個飛ばし感の強いチャレンジでした。
求人紙の会社がクラウドシステムを売る理由、その提供価値、サービスプラン、受注後の業務フロー、カスタマーサクセス的な運用体制の構築。
それら全てを、わたしと数名のメンバーでやる。
五里霧中、何から手をつけていいか分からないわたしは、とにかく営業に同行して顧客をまわり、自分で売ってみることからはじめました。
4ヶ月で200社ほど、数は大したことないかもしれませんが、一都三県に散らばる顧客。体感的には地球を何周かしたくらいの移動距離です。(大袈裟ですね!今なら迷わずオンライン商談で参加でしょうか)
ただ、この1社1社の商談は、わたしに沢山のビジネスの種、新たな価値提供の可能性、気づきを与えてくれました。
教訓⑤ 事件は会議室で起きてるんじゃない。やっぱり現場で起きていた!
ーその1回の商談が新たなサービスのきっかけに
さてさて。
長すぎる自己紹介ヒストリーも終わり。
もう結論です。
結局わたしは、自分でサービスをつくり、自らそれを売りにいく。起業の道を選びました。
いつかまた、これからはじめる新たな会社が大きくなれば、役割分担の中でマーケターに戻るかもしれません。
ただ、今はひたすらに顧客と向き合い、そこで得た気づきを新たなサービスへと繋げる。
1つの歯車を、小さいながらも自分で回す決断をしました。
そこの学生さん!営業って、最高の仕事だと思いますよ(^ ^)v
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