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日本人、ネガティヴすぎ問題

 ここのところ思う。日本人、ネガティヴすぎませんか?
 日本人が「出稼ぎに行く時代になった」これは最近よく聞く話だ。不安を煽ってバズる同じようなポストもXではよく見かける。
 これをまるで日本の終わりかのように話す論調が流行っている気がするが、果たしてそうなんだろうか。
 実際、知っている限り、ヨーロッパではイタリア人やスペイン人は仕事がまったくないからほかの国で就職するケースはまったく珍しくない。でもイタリアやスペインの知り合いの多くは豊かな生活を送っているのかと言われると、まったくそんなことはない。
 なんなら、日本の現在の標準より少し低いくらいにも見える。日本は以前に比べれば豊かではないのかもしれないが、世界的に見ればかなり豊かな法であり、それはここから経済状況が悪化したとしても、それでもまだ平均よりはだいぶ豊かなほうになるだろう。
 日本が安い、というのは別に彼らがお金持ちであるわけではなく、円が安いから、各々の国で平均的な収入の人も日本に来ることができる、それだけの話だ。
 稀にバズっているポストで「オーストラリアでは時給XXドルだ」というのがあるけれども、たしかにこれは享受する側からすればいい話だが、同時にこんなポストも見た。「また最低時給が上がった。これじゃうちみたいなk尾人経営では新しい人を雇えない」。そう、これもべつにいいだけの話ではまったくないというわけだ。
 日本と比較して、イタリア人やスペイン人は、未来にそんなに絶望していない。かといって彼らの国の前途が明るいかというと、まったくそんなこともないし、少子化などの問題もあり、むしろ悪化しているに近い。

日本人とヨーロッパ人の決定的な差

 暗い前途に絶望する日本人に反して、イタリア人とスペイン人との決定的な違いは、どれくらい楽観的かということだ。
 たとえば職を失った日本人は「俺はダメな人間だ。存在する意味があるのだろうか」となる人が多い。
 翻ってイタリア人の場合「まぁなんとかなるでしょ。いったん家帰って酒飲もう」といった楽観的な考え方をする。そして未来は未来で、なんとかなるでしょう……といった感じでひたすら心配をしない。
 この考え方から学べることは少なくない。というのも、たしかに未来を憂いて準備をすることは決して悪いことではない。三国志の徐晃という武将は常に負けることから逆算して作戦を立てていたという。それくらい慎重だった彼には、負けたという記録が残っていない(三国志演技では矢を食らって戦死するが、これはフィクションで事実ではない)。このように、たしかに逆算していくことは大切なことだと思う。
 けれども、ひたすら心配しながら老後を待つという人生はちょっとハードモードな気がする。考えたところで解決のできない心配をするのはストレスにほかならない。

ストレス社会の日本


 日本人は勤勉でよく働く。働きすぎてストレスを発散する場もなく疲れている。これは日本人の強みかもしれないが、たとえばXでもちょっと何かがあれば総バッシングされる時代だ。
 それはストレス社会を象徴している気がする。リラックスしているイタリアやスペインなどでは、当然総バッシングで大衆の面前で謝罪、なんてこともない。
 そして謝罪したらしたで揚げ足を取り、総バッシングをされ、べつに許されることもない。
 その光景は「正義」を盾に他人を攻撃してストレスを発散しているかのようだ。というか、それに間違いない。
 もし満ち足りた生活をしていれば、他人の間違いなどそこまで興味がないはずだ。
 最近の暗い未来の話は、大衆の不安を煽って恐怖を与えることで、疲れ果てている日本人を誰かが無理やり働かせようとしている、そんな気がする。
 一度、経済の動きを忘れて、リラックスして生活する。たしかに生活は今ほど豊かにはならないだろうけれど、すこし豊でストレスにまみれた生活を送るより、そっちのほうがはるかに楽しい人生になるんじゃないだろうか。

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