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生家ではなく心こそ自分
こんにちは!
ケミオです。
改めて、映画は面白いなぁと思いました。
昔も見たものですが、『ショーシャンクの空に』と『戦場のピアニスト』。
片や刑務所、片や戦場から逃亡するストーリーだったのは、懐かしいのを適当に選んだ結果でした。
いつ以来か覚えていないくらい久しぶりに、レンタルビデオを借りたわけです。
それでもって今日の大みそかは、ガキの使いの「笑ってはいけない」シリーズ。
何年か前に終わったものですが、その前に自分も10年くらいは見ていなかったものをこの際、見てみようと。
年が明けたら、久々に会う友人と出かけます。
一方で身内は、昨日、弟の家族がやって来たくらいの予定のはずです。
3歳の甥っ子もいます。
もちろんかわいい。
短い時間、私もちょっとだけ遊んであげました。
その両親ともども、つまりは弟夫妻一家が、来年も元気でいてくれることを祈っています。
しかし一方で、私は気付くことにもなりました。
自分の興味関心が、向いていないことに。
自分の生家に関連する、出来事物事に対してです。
甥っ子がかわいいだとか、一家の幸せを祈っているだとかの気持ちに、偽りはありません。
しかしその様子となると、どこか第三者的に冷静に眺めている感じもした次第でした。
関連して話は広がるのですが。
私は、一家で紅白を見るとか、おせちを囲むなどといった、年末年始のザ・日本の家族的なものにも。
まるで興味がありません。
そういえば。
一家だんらんが羨ましいとか、そうならないのが悲しいとかもないんです。
できる人はすればいいし、それが楽しくて幸せな時間と言うなら、他の人については大いに結構。
批判するつもりは、もちろんありません。
しかしそんなことをせずとも、というかできなくても。
私は、自分が満足できればそれでいいと思ってます。
このことからしても、私は自分の思考と行動について。
生家に重きは置いていないんだなと思いました。
とはいえ、これは今に始まったことではないはずです。
おそらく私は、昔からずっとそうでした。
ただ、そんな自分をダメで人にあらず的な存在として、考えていました。
でもそれは嫌だから、「違う!違う!」と一生懸命自分を否定する方向に走った。
向かうは、アダルトチルドレン云々…。
それが今や、いいじゃないかと思っています。
生家に関心がなくても。
関心を持ったっていいと思いますが、持てないからと言って。
何も私が悪いわけじゃありません。
だいたい、親が私に関心を寄せられないから、私も同じくそうなっただけのはず。
そのくらいを理由に考えておればよく、これ以上深くは突っ込みませんが。
読まれた方には、寂しい大みそかと元日を過ごす私を想像されたかもしれません。
ですが実際のところは、ちょうど一年前と比べて、大きく豊かになったと思います。
私の心は。
正確には、「豊かになった」と言うより。
「豊かさを取り戻した(取り戻し始めた)」が正しいかもしれません。
元々、人の心はとても豊かであって。
かつ、心こそ自分なんだと、最近つとに思いましは。
今年一年、どうもありがとうございました!
よいお年を!