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私だってイイ思い

ケミオです。


アダルトチルドレンの克服に関係することに限りますが。

ここ最近の私は順調だし、いいことばかりです。


それはnoteにアップした記事にも、表れていると思います。

記憶が戻ってきたり、自分に満足したことやその他。

「きっここれでいいんだなあ」と思えることばかりの、この一週間ほどでした。


とはいえ、それとて以前の私であれば。

なかなか書けなかったと思います。


「自分にとってのイイこと素晴らしいこと」については。

自分がそんな思いをしてはいけないような。

また、それをことさら書いたり(話したり)するようなことは、いかにも自慢げで嫌われそうだなんてことを、考えてしまってです。


実際、最近でそのイイことを書いている時も。

そんなことを考えては、立ち止まることはありました。


ですが結局は、「いいやべつに」と思い、そのまま書き続けていました。

どう思われてもいいかな、と。

「そもそもどう思うかなんて、相手次第だし」なんてことも、思いながら。

(失礼に聞こえそうな乱暴な書き方ですが、読んで頂いている方を軽視しているつもりはなく、あくまで心のスタンスを感覚的に記しているまでとご理解いただければ幸いです)


ここnoteは、現実の人間関係とは違う部分が多いと思います。

でも現実も、基本的にはそういうスタンスでいいのだろうと考えてもいたり、です。


なお、「自分がそんな思いをしてはいけないような」と書いたことについても、一応触れます。

そんな思いというのは、イイ思いということですが。

自分がイイ思いをしてはいけないとは、まるで思いません。


むしろ、「してはいけない」みたいな考えこそ、なぜなんだろうと思う。

こうしたところからして、以前とは考えが大きく変わった気がするところ。


ただ、これも一応書いておきます。

イイ思いをしていいのも、それを書いていいのも、自分だけと考えているわけではありません。

自分「も」です。


自分だけ良くて、他の人がダメなんてことは、どう理屈をこねても言えません。

社会は、社会に向けてイイ思いを生み出そうとしながら、自らもそれを躊躇なく享受しようとする人達によって、前進また向上するものだと思います。


最後に今回は、おまけのような、私的おそらくイイことをもう一つ。

過去に執着する気持ちが、無くなってきたことについてです。


ちょっと前までの私は、かつて住んでいたり通ったりした、いわば縁のあった地へ、久々に足を運びたい気持ちがとても強くありました。

理由を明確に意識していたわけではありませんが、今思うとそれは。

思い出の確認のためであり、自分のルーツ探しのような意味を込めての気持ちだったと思います。


しかしそれが今や、どうでもよくなってきた。


なぜなら、思い出もルーツも、もはや自分の心の内にちゃんとある気がするからです。


何日か前に私は、次のように書いていました。

「ずっとフタをしては見えないようにしていた記憶が、自分を中心に据える形で、ありありと蘇ってきた」


その蘇った記憶に、思い出もルーツも、ちゃんとくっついていたことになります。


縁のあった場所に行く目当てでもあったそれらは、もう自分の心の内にちゃんとあるので。

そのために、わざわざ行く必要は感じなくなってしまった。


そんなところだと、自分では思っています。


今回もお付き合いいただきまして、ありがとうございました!

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