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記憶が戻る
ケミオです。
寝ている間も、意図的にボーっとしている時限定で起きている時にも。
記憶がボロボロと、溢れ出てきます。
これは、なんだかとても疲れます。
同時に、「やっぱり俺は記憶喪失に近かったんだなぁ」と思わされます。
小学校、中学校、高校、大学、社会人…。
それぞれの時代において、客観的にしていたことを記すことは、これまでもできました。
しかしそれをしたとて、どこかの誰かさんの人生を書くような感覚になっていたのも確かです。
いつの時代も、自分がどこにもいない記憶でした。
今それが、自分中心の記憶となって、あふれ出てきているわけです。
ただ、自分中心の記憶といったところで。
あくまで私は、アダルトチルドレンでした。
人生を通して、「これこれこう思って(考えて)、こうした」みたいな主体性は、ほとんどありません。
流されるままだったと思うことがほとんどで、ストーリー性は乏しい。
(あえて言えば、「ずっと生き辛さを抱えていた」というストーリーにはなりますが)
ですが、決断や判断をさておいては。
それぞれの時代における心象風景や感じたものが、ありありと蘇ってきています。
確かに、自分はいました。
繰り返しになりますが、アダルトチルドレンであったこともあって、「良かったこと」として語れる記憶は、ほとんどありません。
ですが、それでもよくやってきたし。
何より、大いにラッキーでもあったと思います。
もちろん機能不全家族に生まれたことは、大いにアンラッキーです。
記憶が出てきた最近、大いなる実感を伴って思ったことであり、また一応私の感想であることを断っておきますが。
機能不全家族は、子どもの夢や希望を握りつぶします。
親が知らないそんなものは、持った途端に「不要なもの」になってしまうんですね。
とにかく、生まれた時から苦しみを負う義務を課せられていたようなものの。
なんとかここまでは、生きられた。
アダルトチルドレンを克服できたのなら。
生きられるだけの様々な要素を拾い集められたことは、とてもラッキーだったし。
それを使って生き延びた自分は、とてもよく頑張ってきたではありませんか。
これからは、自分主体で生きましょう。
親?
私はこういう考え方をしてしまいますが、もうどうなったっていいんじゃないでしょうか。
べつに、復讐はしません。
ですが、勝手に地獄に落ちたいのなら、それを止めもしないし忠告もしない。
もちろん、私も地獄に落ちてしまう可能性はあります。
でもそれを含めて私の人生であり、生きるということだと思っています。
お付き合いいただき、ありがとうございました!