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きっと最後は、自分で信じ切れるかどうか

首が痛い、、、。


ケミオです。


寝違えたか、猛烈に自律神経が狂ったか。

気持ち悪く、また頭が痛くなるくらいの激しい首痛です。


昨日、EMDRから帰った後からです。

原因はそれなのか、それともその後昼寝した時の姿勢なのかは、わかりません。


ただとにかく、昨日の結果報告的なことを残したいと思いまして。

仕事も、ちょっと暇になってしまったところですし、、、。


まず簡単に、これまでをおさらいしますと。

私は、過去のトラウマ処理は終わっています。

今行っているのは、今起きてしまう心の反応をどうにかしようということ。


早い話が、どうしてもイライラ、むしゃくしゃが起きてしまうわけです。

ほんのちょっとした今の親との関わりでイライラが生じては、それと時間空間が関係ないところにまで、引きずってしまう。

いつもというわけではありませんし、かつてに比べたらとてもマシにはなったものの。

真に心が軽くなるために、どうしても何とかしておかなければならない最後の砦が、この反応です。


なお、これは前にも書いたことですが、一応繰り返します。

このイライラは、今私が親と一緒に暮らしているからこそなので、それをしなければとりあえずはなくなります。

事象としては。


ですが根本問題は、イライラそのものではありません。

生きていていつも、なんとなく苦しい感じがすることです。


要は、生きていて苦しい感じをなくすためにイライラしないようにする必要があるということであって。

ただ環境を変えてイライラしなくなることもできますが、しかしそれは根本的な問題解決ではない。


毒親は、私の言うことを理解しようとしません。

もちろん、今の私は毒親に理解されずとも、自由に何をしたっていい。

実際、ほとんどすべてはそうしています。


ですが全く大したことのない、ほんの小さな作法的なこと。

言ってみれば「私のやり方考え方」にすぎないことでも、毒親には理解してもらうのに、平均3回は繰り返さなければなりません。


そこにどうしても、イライラが生じます。

それは、普通の人相手なら「ふ~ん、そうなんだ」で済む程度のことが、なんでこんなに面倒くさいんだという部分もありますが。


結局は、繰り返しのわけです。

昔の。

私自身は、まるで子どもの頃の再現のように。

親に理解してもらわなければならないという反応が、咄嗟に出てきてしまっては、それが叶わないからこそ。

イライラが生じる。


こうしたイライラの元となっている、子どもの頃に身につけてしまった精神なり思考の癖。

「親」を取っ払っても、「○○に理解してもらわなければならない」が、まだ私を巣食っています。


もちろん天涯孤独がいいとか、そういう極端な話ではありません。

ですが、相手の理解がなければ自分は何もできない的な前提条件は、そもそもおかしい。

大人になった、今となっては。


この前提条件を崩すには。

まずもって毒親に理解を求めるような習性を、消す必要がある。


消さないと、いつでもどこでも同じです。

相手の理解をひたすら求めては、相手に依存する。

でも相手に依存したら、自分は空っぽ。

自分はどこにいるのかわからなくて、なんとなく苦しいみたいな。


なので、現実に親がいて、私を見ていても、何を思っても。

何事も原則として、私は私のやりたいようにやっていいんだという精神なり思考の癖を。

私は我が物にする必要があります。


それができれば、その他はもう自分次第かなというところ。


親のことも色々書きましたが。

私の心の部分はもう、私自身の問題です。


以上について実際のところは、完成形に近いところまで来ている気がします。

80%くらいか?

あとはもう、本当に自分で信じ切れるかどうかだと思っています。

「何事も原則として、私は私のやりたいようにやっていいんだ」と。


想定外に長くなってしまいました。

お付き合いいただきまして、どうもありがとうございました!

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