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自らへの洗脳もありだと思って

ケミオです。


自らが自らに行う、ある種の洗脳であり。

もうちょっとライトな言い方をすると、イメージトレーニングかもしれません。


それをとにかく、「これでもか!」と。

執拗に、執拗に、行っています。


何を心身に叩き込み、完全に我が物にしようとしているかというと…。


自分の内から生じる、自分自身に対する見方や思いだったり。

自分を取り巻く(またはかつて取り巻いていた)ものに対する、同様のことだったり。


今はまだ、半信半疑は超えても完全には信用しきれていないこれらを。

徹底的に我が物にするためです。


ある意味これは、これまではやってこなかった強引な方法というか、荒療治だと思います。

誰に教わったわけでも、指示をされたわけでもありません。


ただ、もう取り組みも最後の最後にきたと思いますし。

そこではもう、つまるところは自分の真心を信じ切れているかどうかが肝心要と考えています。


それを実現するためなら、強引だろうが何だろうが、もう洗脳でいいと思ったのです。


見方を変えれば、長距離走の最後の全力ダッシュみたいなものかもしれませんが。

「あのゴールを、早く切りたい!」みたいに思っていることも、否定しません。


しかし、一応注釈として記しますが。

今になってしているこのことは、以前のいつやっても良かったかと言うと、そうではないと思っています。


自分の内から生じる、自分自身に対する見方や思いなりが。

ちゃんと見えてきてから出ないとダメ。

逆に言うと、そこが見えてなかったり、嘘偽りだとしたら、やっても意味はないだろうということです。


実際、これまでに最も苦労したのが、このポイントです。

キーは、「自分の内から生じる」。

この心の鉱脈を探り当てることが、これまでの長い長い難渋な取り組みであったと言えます。


そしてそんなこんなを、私は具体的にどのように行っているかということですが。


実に、簡単ではあります。


リラックスできる椅子に、腰を掛ける。

クラシック音楽を流す。

音楽を耳に入れながらも、頭で自らの思いを反芻したり、イメージを膨らませる。


「自分は立派だ」とか「仲間とちゃんとうまくやれていた」とか…(ここは人によって全然異なると思う)。


これだけです。


これだけだけど、時間があれば延々と繰り返しています。

ただ、音楽は変える。

バッハのCD一つ流したら、次はモーツァルトみたいに。


もちろん、最中に考えが取っ散らかってしまうことはあります。

全く関係の無い事を考えたり。


でも、それは仕方が無い事として、自覚をしたらまたすぐに音楽やイメージに戻る。

この繰り返し。


きっと、「もう十分だ」と思う時が来るはずで、その時までは続けるでしょう。


と、途中経過にもかかわらず偉そうに書いて申し訳ありませんでしたが。

今回もお付き合いいただきありがとうございました!

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