過去の栄光が危機を乗り切るエネルギーとなること
著書『リーダーは日本史に学べ』でも毛利元就を2見出し取り上げさせて頂いたり、毛利家が制覇していた中国地方の出身ということもあり、毛利家や長州藩には長年興味をもってきました。
最初に興味をもったのは小学4年生の時。両親が買ってくれた学研のまんが『日本の歴史』を読んでいて、戦国時代のところで毛利元就の話しを取り上げていました。元就が広島の生まれだったことを知り、「へえ、こんな人がいたんだ」と思ったものです。
そこから『日本の歴史』を読み進めていくと、幕末になってまた長州藩の藩主として毛利家が出てくるのです。小学4年生の私は、「あれ、この毛利家って元就の毛利家と同じ??」と不思議な気持ちになりました。なんせ元就の話しは1500年代半ばころで、幕末は1800年代半ばの話しですから、300年もたって再登場、というのに少々混乱していたのでしょう。
徐々に歴史の理解が進むにつれ、戦国時代の終わりに毛利家は関ケ原の戦いで敗れながらも、なんとか長州藩主として存続し、江戸時代を通してつないでいき、幕末には有力大名の一つとして倒幕に向かい、明治維新を実現したことが理解できました。
300年もつないでいったことを理解した時には、その時間軸の長さに、ある種のスケールの大きさを感じた記憶があります。
幕末の毛利家の人たちは、300年前の毛利家の歴史をどのように捉えていたのでしょうか。幕末は長州藩36万石の規模でしたが、戦国時代には中国地方を制覇していたことを知っていたはずです。特に歴史教育を重視していた吉田松陰先生などは、松下村塾で門下生たちにそのことを教えていたでしょう。
そのような300年前の栄光の歴史は、実は幕末における長州藩のエネルギーにもなったのでは、という気がしてなりません。国家が危機に直面するとき、過去の栄光の歴史がエネルギーとなって危機を乗り切ることは歴史上もしばしば見られることです。
現在の日本も決してよい状況とはいえません。しかし、これまでの歴史のなかでは誇れる時代もあったはずです。そうした時代を知る、ということは、この状況を転換し、また栄光の時代を切り開く原動力となると思うのです。
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