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わたしの精神疾患について_'23.08.10.
こんばんは。
今日は私の精神疾患等について、
お話しようかと。
日記を投稿できていない日は
大抵、パニックか鬱でぐったりしています。
昨日は久しぶりに、
心臓が引きつる様な過呼吸を起こし、
そのまま気絶してしまいました。
その後、下着の中にムカデが入って来て、
噛まれて起きました…散々です。
私がうつ病と診断されたのは、
大学4年生、21歳の1月。
4年制の総合大学に通いながら
3日寝ず、17連勤が当たり前の
アパレルのバイトをしたり、
音楽活動、
週に一度大阪から実家へ片道2時間半かけて練習や
月に3,4度、大阪や東京でのLIVEをし、
大学の軽音楽サークルや、
友人との交流も大切にしていました。
その結果、卒業論文を喫茶店で書いていると
呼吸ができなくなり、
救急車を呼ばれそうになりましたが
大丈夫だと、意識朦朧としながら帰宅しました。
元々あった自律神経失調症が酷くなったのかと思い、心療内科に行って薬をーと。
重度のうつ病と診断されました。
何故今まで動けていたのか、
先生が不思議がる様な酷い有様だったそうです。
その後の記憶はほぼありません。
毎日1度のお手洗いと帰り際にお菓子を
布団に持っていって食べる、そんな生活しか
送れなかったもので。
そして大学はもちろん留年。
しかしその1年の間に
たまたまとても良い人達と出会い、
最初で最後のような
理想の大学生活を送れました。
今でもその人達には救われています。
その後、知人の紹介で
喫茶店とゲストハウスを運営している
ツアー会社に入社。
社員は2,3人の小さな会社です。
しかしここでもまた
所謂ブラック企業を引いてしまい、
鬱は悪化して双極性障害へ。
そしてパニック障害も併発しました。
そんな状態を見て見ぬふりをして
約2年、働き続け、
壊れました。
体が痺れて動けない、
映画を見ている途中で呼吸が出来なくなる、
そんな毎日でした。
周りからは早く辞めろと言われますが、
イエスマン、人に迷惑をかけたくない、
等自己暗示をかける様な人となっておりました。
そんな自分に言い聞かせる様に、
障害者手帳の申請をしました。
通りました。
私は世間一般で言う、
「障害者」なのだとようやく認識し、
会社を辞める決意をしました。
そんな時にふらっと、
18歳の頃から通っているゲストハウスの
オーナー夫妻の元へ遊びに。
そんなタイミングで今年の5月末で宿を辞める、
後継ぎを探しているがやらないか、
と言われ、即答。
1ヶ月後には船舶免許を取り、
島へと移住して来ました。
病気は快方に向かっている様に感じます。
しかし、時たま来る波に抗えず、
それが来るのが怖くなり、また苦しむ。
まだそんな日々は続いています。
しかしこの島はとても良いです。
車も通らない、電気の音もしない。
あるのは自然と海。
そして猫が2匹います。
私は色んな人に苦しめられ、
また色んな人に救われました。
だからこの島は、
私の理想のお宿は
そういった人達の
逃げ場の様な場所にしたい。
観光でも全然問題ないです。
遊びに来るだけでも、
お話をするだけでも。
映画でも音楽でもアートでも、
漫画でもアニメでもサッカーでも、
何でも話をしましょう。
まだまだ若輩者ではありますが、
理想は大きく、現実からは目を逸らさず。
コツコツと頑張って生きていきます。
生きたいと思えるようになっただけで
嬉しい、そんな自分です。
長々と失礼致しました。
では、また。