2021年箱根駅伝 -劇的な結末-
今年のお正月は帰省自粛して家族で箱根駅伝を観戦していました。二日目の復路10区でこれまで首位をキープしていた創価大を駒沢大が抜き去り劇的な結末となりました。
10区での大逆転
駒沢大10区の石川選手は体幹がぶれず、腕の振りも軽快で、まさに飛ぶような走りで、今年の箱根駅伝のスターとなりました。
一方、観ていて辛かったのは創価大の小野寺選手。これまで仲間たちが繋いできた1位の襷を受け継いで素敵な笑顔でスタートしたものの、身体が左右に揺れたり、足が重たそうだったりとスピードに乗れず、ラスト2キロのところで石川選手に追い抜かれていったときには悲痛の表情を浮かべていました。
悔しさは強さの裏返し
小野寺選手をはじめ、創価大の選手たちは本当に悔しい思いでしょう。すんでのところで掴み損ねた初優勝。
人が「悔しい」という感情を持つとき、それは本当に「やりたかった」「欲しかった」という気持ちの裏返しです。
皆さんもいまだに覚えている「悔しい気持ち」があると思います。
僕は中学生時代、不良学生のからまれたときのことを今でも覚えています。あのときは意気地がなくて立ち向かうことができず顔面を蹴り飛ばされたのでした。せめて勇気を出して戦った結果、やられたのだったら。
いまでも「悔しい気持ち」が残っているのは、「本当は強くありたい」という思いを今でもずっと心の中に持ち続けているから。
彼らは何のために走るのか?
果たして創価大学の選手たちは敗者でしょうか?確かに初の総合優勝という目標は果たせなかったかもしれません。
けれど彼らが走るのは何のためなのでしょう?
箱根駅伝で優勝するため?
では、何のために優勝したいのでしょう?そこから得たいものは何なのでしょう?
高い頂に到達する達成感、仲間との強い連帯感、自分を極限まで追い込むことで得られる深い自己一致、、、。
もちろん勝負の世界だからこそ、勝ちにこだわるのは大事。
でもこのレースから自分たちが何を得ることができたのか、何をもたらすことができたのか、少し落ち着いたら振り返って語り合ってもらいたいと願います。
触発されて走る
大逆転の興奮と感動のあと、ランニングウェアに着替え、家を飛び出しました。地面からの反発を意識して、洞峰公園を3周する13kmコース。
これまで10回フルマラソンに出走している自分は何のために走っているんだろう。
健康とスタイルを維持するため?
普段は意識していないけれど、強い自分がいることを認識していたいためのような気がします。
35km過ぎのきつい状況でも自らを奮い立たせることができる自分、徐々にスピードを上げていくビルドアップ練習でも頑張り切れる自分。
「大丈夫、強い自分がちゃんといる」
それを感じるために自分は走り続けているように思います。
創価大の小野寺選手。これからの君の頑張りを応援しています。
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