不登校からの卒業(18)
不登校を見つめる(1)「学校」とは何か?
学校とは何ですか?と聞かれたら、なんとお答えになりますか?
学校とは何か?とか、学校とはどのようなところか?と聞かれて答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか。
学校とは何かときかれたら、「子ども達の社会」だと答えるようにしています。
明らかに一般社会とは異なります。
学校ならではのことも、たくさんあります。
ところが、一般社会と同じようなところもたくさんあるのです。
不登校を考えるために、この学校とは何なのか、ということを考えてみたいと思います。
学校と言えば、まず、思いつくことが、学習するところだということではないでしょうか。
社会で生きていくために必要最低限の知識・教養を身に着けるところです。
お子さんから、何のために音楽とか美術とか図工や技術、家庭科なんかがあるのかと聞かれたことがある方もいらっしゃると思います。
分数や小数の計算は社会に出て使うことなんてない、英語がわからなくてもスマホで翻訳できる、ポケトークもある、方程式なんてお母さんわからないし使わないって言ってる、などというのは、勉強をしたくない子ども達が良く言うことです。
入試に必要なのは主教科だけじゃないの?それなら、副教科はいらないやん!という子どもも、かなりいると思います。
これにどう答えていますか?
実は、これに学校の先生も大人も、しっかりと答えていないと思うのです。
それぞれの教科には、社会で生きていくために、どういう人になって欲しいか、そのために教科教育を通して、どういう力を育んで欲しいかという目標があるのです。
たとえば、平成29年度告示の中学校学習指導要領では、国語は目標として、
「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。」
とされています。
こういうことが全ての教科でしっかりと設定され、それに従って学習するようになっているのです。
良い・悪いではないのです。
これが我が日本国が決めていることなのです。
学校に行けるかどうかということとは別に、まず、学校で学ぶのは何のためなのか、ということは、知っておく必要があると、私は思っています。
学校に行けずに悩んでいる子ども達と30年以上向き合ってきて、社会が何を求め、どうなっていて欲しいのかということは、彼らを社会に送り出す側の責任として、知っておかないといけないと、今も思っています。
いつまでも社会に出ていかないのではありません。
いつか、社会で元気に生きていって欲しいというのが私の切なる願いです。
社会の中でしっかりと生きていける、活躍していける人財になってもらうために、私のところを卒業して社会に出ていくときに、学校に行かなかったけれど、社会が求めるものは、しっかりと身につけていることを、子ども本人が実感できるようにして送り出すようにしているのです。
そのために、送り出す側が、学校が何を子ども達に求めているかを、それに囚われてしまってはいけませんが、知っておく必要があると、今も私は考えているのです。