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不登校からの卒業(17)

動けるようになっても考える

不登校の子どもが、なぜ学校行けないかという理由を考えることのないまま、少し動けるようになったからと、子どもが動き始めてしまうことがあります

とにかく動いてみようということになり、動き出すことがあるのです。

動きながらでもいいので、自分がなぜ学校に行けなかったのか、何が原因で動けないでいたのか、自分なりに考えてみることは、どうしても必要なのです。

学校になぜ行けないのかについては、私なりの考えを以前、お伝えしました。


なぜ不登校になるのか(6)


アメリカ国立精神衛生研究所のポール・D・マクリーンにより提唱された、『三位一体脳モデル』をもとにすると説明がつくと考えています。

哺乳類脳で「学校の何かが嫌だ、怖い」と「感じる」、そこで、人間脳でこのまま学校に通いたいと「考える」、そして爬虫類脳で、どちらが強いかを判断し、生物として「安全に生きる」ために恐怖を避け、学校に行かない行動をとる、と私は考えています。

「感じる自分」と「考える自分」の二人の自分を調整することができず、ひどい場合には乖離しているようになり、「危険を避け」るために動けなくなっているのではないかと、私は考えているのです。

だから、「感じる自分」が何を感じているのかを考えることが必要だと考えているのです。

そうしない限り、二人の自分の調整することが難しくなり、恐怖が勝ち、それに対抗して無理して動くことになってしまいます。

エネルギーが貯まって動けるようになったとしても、動くことが学校復帰でなくても、二人の自分の調整がついたわけではないので、もう一度、動けなくなる可能性があるのです。

そのまま動き続けられれば、それでいいのかもしれません。

ただ、不安を抱えながらでもいいので、何を感じていたのかは、考え続けて欲しいと思うのです。

そのことで、「二人の自分」を調整することができるので、再び動けなくなることがないと私は思っているのです。

だからこそ、不登校からの卒業のためには、不登校ということそのものを見つめることが必要だと思うのです。

不登校そのものを見つめるということは、実は、学校という子ども達の社会がどのようなものかを見つめることだと、私が共に学び、共に考え悩んだ子ども達から教えてもらったことなのです。



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Keisuke Tani
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