多様な学びの場と学校教育(13)
今の時代に大切なことは?
今日も私のnoteにお立ち寄りいただきありがとうございます。
多様な学びの場と学校教育について考えてきています。
いろいろなところ、いろいろな場面で、理不尽な要求をする人が増えてきているということをお話ししました。
それについて、3人の方からコメントもいただきました。
コメントいただき、ありがとうございました。
それぞれの方から、
「地域社会とのつながりがなくなっているからではないか」
「もっと自分を見て欲しいことの究極の表現が「迷惑行為」となっているのではないか」
「メディアやSNSによるネガティブな情報に、大人も子どもも気が付かないうちに大きな影響を受けているのではないか」
というご意見をいただきました。
どれも、本当にその通りだと思いました。
このようなことを考えた時に、国として、日本として、30年後、50年後の日本をどうするのか、ということを真剣に考えないといけないと考えていることも、前回、お伝えしました。
阪神淡路大震災から30年、「ゆとり教育」が始まった時からは20年以上が経ちました。
阪神淡路大震災は、東日本大震災に比べて、亡くなられた方、行方不明の方は少ないものの、負傷された方も含めれば、戦後最大の地震災害でした。
あの阪神淡路大震災後、様々な対策が取られました。
阪神淡路大震災の時は、自衛隊は都道府県知事からの要請がなければ、出動することを許されていませんでした。
その教訓をもとに、現在は一定の基準はあるものの、自主的に出動することが許されるようになりました。
このことがあり、阪神大震災後の各地の災害での自衛隊の活動が、かなり迅速にできるようになったことは、良く知られていることです。
これは。すぐ対応が必要なことがあるだけでなく、10年後も、30年後も、50年後までも国民の生命を守るために、対応を考えなければならなかったからです。
教育も、もう全く時間的な猶予はないと私は思っています。
30年はあっという間です。
ゆとり教育が終わってから、すでに10年以上が経過しました。
この間、不登校の子どもの数は増える一方であり、先生の数が不足し、不登校の子ども達への対応は、年々、厳しくなるばかりです。
学校の先生方には、不登校の子ども達への対応ができるだけの余裕がなく、不足している教員分の対応までしなければならない状況に追い詰められています。
ゆとり教育が良かったかどうかは、私にはわかりません。
その判断は、もっと後のことかもしれませんが、少なくとも、当時、30年後の日本を考えた時に、学習時間を減らしてでも、子ども達の心を大切にしなければいけないと、文部省が言っていたことだけは、間違っていなかったのではないかと思っています。
今の我が国は、自ら命を絶つ方が、交通事故で亡くなる方の4倍にも上ります。
この状況は何も変わってはいません。
このまま、なにもせず手をこまねいていいいのか、ということを感じます。
デフレで国民が生活に苦しんでいるのに、消費税を何度も増税し、国民の苦しさに寄り添うどころか、苦しめるようなことしかできない政府が、我が国の将来、子ども達の将来を本気で考えているとは思えません。
また、自分さえよければいいという方が増え、かつてなかったようなトラブルが増えています。
昭和が良かったなどと言うつもりはありません。
しかし、今日、個を大切にしなければならない、多様性を受け入れなければならない、という言葉だけが独り歩きし、自分のことばかり優先するような風潮が生まれているような気がします。
個を大切にすることも、多様性を認め受け入れることも大切です。
だけれども、個を大切にしながらも、多様性を受け入れながらも、大きな枠組みとして、我が国をどうしていくのか、子ども達の将来のために、どのような教育をしていくのかということを、大人が真剣に考えることは、もっと大切なことだと思います。
子ども達が、心穏やかに、学び、考え、個としての自分をしっかりと持ちながら、他者への配慮もできるような大人になっていけるように、導いていくことが大人の役割だと思います。
学校教育も大切です。
多様な学びの場も大切です。
それ以上に、なぜ学ぶのか、何のために学ぶのか、どのように学ぶのか、どうなって欲しいから学ばせるのか、ということを大人の私たちが考えることが、子ども達の将来のために、今はとても大切なのではないかと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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