不登校と中学受験(48)
教頭先生とのご縁には感謝しかありません
前回の中である私立中学・高校の教頭先生のお話をさせていただきました。
その教頭先生に高校でお世話になった子どものことです。
この子どもは、公立中学校で野球をやっていました。
それなりにうまく中学校の県大会まで行き、エースで4番でキャプテンまで務め、ベスト4まで行きました。
その実績に加え、それなりの学力もありましたから、県立高校に進学したのですが、そこの野球部では、甲子園に行くには、高校3年生でも明らかにとても力不足ということがわかる状態でした。
もっと野球に強いところで自分を試したい、と思い高校再受験を考えるようになり、知り合いの人を通じて、私のところに相談に来ました。
この頃の彼は、野球が少しばかりできるからと、態度が大きくなっていたのは間違いありません。
そのために、少しばかり厳しいことを伝えることで、彼がどの程度本気かわかると思い、現実的な話をしたのです。
甲子園の常連校のような高校に再受験で合格したとしても、春・夏の甲子園出場の規定では、満18歳になる年までしか、選手として出場はできません。
彼の場合、再受験をすると、選手としては、高校2年生までしか出ることができないのです。
それをまず覚悟することを伝えました。
その上で、そもそも既卒生の受験を認めてくれる学校かどうかも調べないといけない、ということまであると、彼に伝えました。
県大会でエースで4番でベスト4まで勝ち上がったと言っても、体格的には170cmもない体格では、なかなかレギュラーになることも難しいだろうことも、覚悟が必要でした。
当然、高校3年生では、選手としては出ることができないので、高校3年生では、しっかりと学習をして、大学受験をすることを考えてはどうかという意見も伝えました。
そのために、野球の推薦で高校入試を考えるのではなく、普通に受験をして合格をすることも考えないといけないと伝えたのです。
それでもやるのか、と彼に聞いたところ、彼はやってみたい、ということで、受験できる学校が見つかるまでは、今の高校で学習をしながら、クラブもしっかりやっておくようにと伝え、その日は終わりました。
いくつかの私立高校で、甲子園の出場回数が多いところに、電話をしていろいろとお聞きしたところ、その教頭先生が一度、話を聞きたいとおっしゃってくださったのです。
その日のうちにアポイントを取って、おうかがいしてお話させていただきました。
野球部の監督も同席してくださり、名前も伝えたところ、彼のことをご存知でした。
野球部としては、選手として試合に出ることは相当厳しいということは覚悟して来られるなら、野球の推薦でも構わないとまで、野球部の監督はおっしゃってくださったのです。
それを黙って聞いていた教頭先生は、「でも、高3でのことを考えると、野球の推薦での受験はお受けしない方がいいと思います。真正面から勉強で入試を突破してきて欲しい。それくらいのガッツを見せて欲しいと思います。」とおっしゃったのです。
そのことを、その日のうちに電話で彼と彼のご両親には伝えました。
中学時代を野球メインで過ごしてきたので、さすがに勉強で入試を合格して来て欲しいと言われたのには、彼本人もためらったようですが、それでもやりたいということで、その後、私のところで勉強するようになりました。
彼は中学1年生から全部やり直すと言って、全力で勉強を始めたのです。
何度か嫌になりそうな時には、私からいじめのように、「その程度の気持ちで野球をやりたかったのか?」
と言われ、ムッとした彼の表情は今でも良く覚えています。
それでも諦めることをせず、「こんなに勉強したことはない!」と自分で言いながら、毎日、毎日、勉強を続けたのです。
筋力が落ちるといけないと、勉強の合間に、筋力トレーニングを怠らず、黙々と勉強を続けたのです。
入試問題を解くようにまでなった時には、何度も質問に来て、納得するまで考えていました。
私もこれなら結果は出るだろうと安心できるほどでした。
入試を無事に受け、合格発表当日、わざわざ教頭先生から私にお電話をいただき、「彼をよくここまでがんばらせましたね。学力で一番上のクラスに合格です。」とおっしゃっていただきました。
私からは「ほとんど教えていないのですよ。彼がどうしたらいいか聞いてきた時にだけ、アドバイスをしたり教えたりしましたが、大半を自分で考えてやったのです。」とお伝えしました、
そのことに、教頭先生がとても素晴らしい!と喜んでくださいました。
その教頭先生の言葉通り、高校1年生の中で、一番上位クラスに在籍し、野球部にも入り、練習を始めてメキメキ力をつけて、高校1年生の秋の大会では、2年生に混ざってレギュラーの座を掴み、活躍するまでになりました。
それでいて、絶対にクラスを落とさないように、勉強もしっかりと続けて、上位を維持していました。
高校2年生の夏の甲子園に向けて、同じ野球部の中でも小さい彼がレギュラーを掴み取り、頑張ったのですが、予選の県大会で準決勝で敗退。
結局、彼は一度も甲子園の土を踏むことはできませんでした。
それでも、教頭先生からお声がけいただき、高校にお邪魔した時に、野球部の監督から素晴らしいお言葉をいただきました。
「本当にいい選手を紹介してくれました。彼はもう選手として出ることはできませんが、彼のおかげで本当にいいチームになりました。」
「彼に比べて、圧倒的に体格も良く、素質もある選手が、そのことに胡座をかいて手を抜いていたのです。彼の一心不乱に努力する姿が、多くの選手の心に響いたのだと思います。」
「後輩たちで彼よりも明らかに体格も良く素質もある選手が、彼から学ぼうと彼に相談にいくようになったのです。その後輩たちに、本当に丁寧にアドバイスをしてくれているし、それを後輩達も真剣に聞いてアドバイスを受けてやっているのです。」
「おかげで彼と同学年から下の学年はものすごく成長したために、高3生達がレギュラーになれるかどうかも怪しくなりました。」
と、とても嬉しそうな笑顔でお話しくださったのです。
彼が高校3年生になる春に行われる甲子園のために、大切な秋の大会でも、あと一歩で及ばず春の甲子園を逃し、夏の大会は予選の県大会で決勝にまで残ったのですが、1点差で敗れて甲子園に行くことができませんでした。
教頭先生も校長先生になられて、初めての甲子園でした。その校長先生と一緒に私も夏の決勝戦は応援させていただきました。
その時、彼は、ユニフォームを着て必死にスタンドで応援していました。
校長先生と一緒に、関係者の出口で待っていたところ、レギュラーの選手達が彼に「甲子園に連れて行けなくて本当にすまない」と泣きながら伝えているのが見えていました。
彼は笑顔で「みんなも全力で頑張ったよ!俺は、みんなのおかげで、本当に素晴らしい高校野球生活ができたから、何の悔いもない。みんなと一緒にがんばれて、本当にうれしかった!ありがとう!」と応えているのを見ながら、この教頭先生や監督がここまで育ててくださったのだなと、私は感無量で言葉もでなくらいでした。
彼は、その後、大学受験をして難関私立大学に合格し、再び野球部に入り、大学でも活躍していましたが、ケガをしてしまい、選手としては活動できなくなってしまいました。
それでも野球部にネージャーの立場になって、残って裏方に徹していました。
そのことを彼から聞いたときに、なぜそこまでするのか?と聞いたら、「高校時代もやっていたじゃないですか!」と言って笑っていました。
再受験前に少し偉そうにしていた彼を、ここまで見守り、そして、育ててくださったことに、感謝しかありませんでした。
長く受験に携わっていますが、彼のようなケースは、後にも先にもたった1件、彼のことだけです。
彼と出会えたことは、素晴らしい思い出として、今も鮮明に覚えています。
これも、全て、彼のことで相談におうかがいして以来、ずっと彼のことを見守り、そして、ことあるごとに私のような立場のものにまで、お声がけくださった校長先生をはじめ、野球部の監督、学校の先生方のおかげだと思っています。