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年末年始に見返したい、成長するための心得28選 (2024年版)

こんにちは、unnameの代表取締役の宮脇啓輔です。

そろそろ年末ということで一年を振り返っていましたが、2024年はXでの発信を頑張った一年でした。その投稿の中から反響があった心得をnoteにまとめましたので、年末年始にぜひ皆さまにも読んでいただけると嬉しいです。

28個(23,000字)もあるので、目次を見て気になったものだけを読むことをお勧めします。「我、猛者ぞ?」という方は最初から全部読んでください!




スタンス・価値観系


結論から話す重要性

ビジネスシーンにおける会話は、「結論から、構造化してわかりやすく話す」ことが重要だということは周知の事実だと思いますが、それがなぜ重要なのかを深く理解している人は意外と少ないのかなと思っています。

仕事における報連相は、基本的に聞き手の方が話し手より責任のあるポジションであるからです。聞く側の時間を奪わない、脳みそを疲れさせないために、「結論から、構造化してわかりやすく話す」必要があります。
 
私もサイバーエージェント時代、先輩に「簡潔にわかりやすく話せ」ときつく叩き込まれた経験があります。若い頃はつい要点を絞らず、構造化しないで会話してしまいがちですが、その行為にはこういうリスク・デメリットがあります。
 
①「聞く側の負担を全然考えられない」と自身の評価が下がる
②「ダラダラした会話の構造化」に聞き手の脳内リソースを割かれる
③結果、意思決定層と会話する機会そのものが減る

 
誰しもリソースは有限ですが、特に意思決定層の脳内リソースは「会社をどう前進させるか」「組織課題をどう解決すべきか」といった、メンバークラスでは扱えない思考や意思決定に使うべきものです。正解のない領域に対して、1分でも多く思考に費やしたいと考えています。
 
そんな中、部下のあなたから要点を得ない会話が持ちかけられる。その瞬間、意思決定層の脳みそは次のような疑問で埋め尽くされてしまいます。
 
「何の話?相談?共有?」
「緊急度/重要度はどの程度?」
「今するべき必然性ある?」
「いつまでに返信が必要?」
「同期的に行う意味は?」
などなど。
 
日頃から重要な意思決定に携わっている層は、気軽に立ち話を行う中でも無意識的に構造化しながら思考しています。「ダラダラ話されること」への嫌悪感、時間泥棒感はかなり敏感に検出しますし、そうとは見せないようにしつつ、静かにあなたに低評価をつけるでしょう。優しい上司だと、しっかり向き合い適切にフィードバックしてくれるかもしれないですが。
 
意思決定層への報連相をシンプルにまとめるのは、精神論ではなく、「会社のために」そして「あなたのキャリアのために」実は、非常に重要なことなのです。


フィードバックサイクルを手に入れる

誰かに本を勧められたとき、

すぐ買っていますか?
すぐ読んでいますか?
読んで感想を伝えていますか?

イエスが多い人ほど、良いフィードバックサイクルを手に入れられていると思います。すべてノーの人は、考えを改めたほうがいいかもしれません。これは、本をすぐに読みましょうという話ではなく、「質の高いフィードバックを得られているか」という話なのです。
 
書籍を勧める側は、そもそもあまり期待値を持っていません。ほとんどの人は書籍を勧められても、「そうなんですね」ぐらいで聞き流すためです。「読んでみます」と言われても、「多分読まないだろうな」と思っていたり。。
 
だからこそすぐ買い、すぐ読み、感想を伝えてくるだけで、簡単に抜きん出た好印象を与えられます。「かわいいやつだ」と思われます。「この本を読めたなら、こちらも気に入りそうだな」と別の書籍を紹介してもらえるでしょう。たったこれだけのことで、あなたは質の高いフィードバックサイクルを得られます。これはあくまで書籍における例ではありますが、本質は、アドバイスや提案をすぐ実行し、感謝とセットで自分なりの感想を伝えること。それによって自分を高め、さらなるフィードバックを引き出していることなのです。
 
「フィードバックはギフト」と言われますが、年齢を重ねると、フィードバックを得られる機会自体が減ります。年月が減るごとに漸減するということは、「若い頃に得られるだけ得るべき」類のものともいえます。
 
フィードバックを得られる環境を作った人とそうでない人は、年月が経つにつれ、回復不可能なほどの差がつくはずです。フィードバックサイクルが途切れない関わり方を身に着けるためにも、まずは「おすすめされたことはすぐに行動に移し、感想をすぐに伝える」から始めてみてはいかがでしょうか。


鵜呑みにできる師匠を作ろう

アドバイスを鵜呑みにできる師匠を作ろうというお話。

  • 人生や仕事にはメンターや師匠がいた方がいい

  • 人生は当たり前だけど1周しかないので、自分にとって2周目の人から良質なアドバイスをもらうことは大変重要(今の自分が高校生の時の自分にしたいアドバイスとかあるよね?)

  • 基本的に人の意見を鵜呑みすることは良くないんだけど、その前提の上で、なんでも鵜呑みにできるくらい優秀なメンターや師匠を見つけることが重要

  • 「そんな人いないよ」と思いがちだけど、みんな出会ったり、見つけたりはしているかも?(師匠にできていないだけかも?)

  • 師匠は弟子を取ることに対し、やぶさかではないので、師匠が気に入るような行動をとれば弟子になれるよ

  • それは、何度も何度も謙虚な姿勢でアドバイスをもらい、そのアドバイスに従って愚直に行動するだけだよ

そう考えると、人生とは良き師匠をどれだけ見つけ、いい関係を構築できるか。そしてそれを次の世代に紡げるかというゲームなのかもしれない。


目的を持って目的思考を捨てる

目的意識を持って取り組むのって当たり前にめちゃくちゃ大事なんですが、目的思考が身に付いたら少し距離を取ることも重要だと思っています。

目的意識の強い人は、成果をイメージしそこから逆算して動きます。裏を返せば、成果をイメージできないような環境やプロジェクト、人間関係に飛び込んで行きにくくなることでもあります。たまには目的がなくても、何となく何かあるかもしれないことに飛び込んで、出たとこ勝負でいろいろやってみると、想定外の機会に恵まれたりします。

フェーズは行ったり来たりするもので、今はどっちに体重を乗せようかな?と常に俯瞰できるといいなと思っています。


行き過ぎた自責思考は思考停止

行き過ぎた自責思考はリソースの分散であり、思考停止ともいえます。ビジネスシーンの一般的な見解として

  • 他責は悪である

  • 自責は善である
    がありますが、バランスよく考えないと、適切な解釈や振り返りができないと思っています。

そもそも「自分にできたことはないか」考える自体は重要ですが、明らかな他人のミスを自分の責任とするのは、時間とマインドシェアの浪費するだけでなく、自分のメンタルも削られていく危険もあると思います。重要なことは、明らかな自分の過失を振り返り修正することです。

野球の例でいうと

外野手が守っている時にピッチャーがホームランを打たれたとします。野球のステークホルダーはピッチャー、キャッチャー、監督、ピッチングコーチなどいるわけですが、ホームランに関わるのはピッチャー・キャッチャーがメインで、監督やコーチもギリギリ関係があるかなというところ。そんなシーンで、外野を守っていた自分が「俺にもできたことがある、この回の登板前にピッチャーにアドバイスしていれば...」と考えるのは、さすがに行きすぎた自責思考だと思っていて、

それよりも「逆転された後は自分のバッティングに集中する」という考え方の方が建設的だし、自分のマインドシェアというリソースを集中させている、と言えると思います。

自責思考自体は大切ですが、行き過ぎず程よく他人の責任にして、自分が思考すべきこと、取り組むべきことに集中した方が良いと思っています。


施される人間になる

施される人間になりましょうというお話です。成長において重要な要素の一つは「施され力」(ほどこされ・りょく)です。誰かに施してもらえるかどうか、が極めて重要です。早く頭がキレて初速の成長が早いタイプであるに越したことはないですが、そのタイプの人を普通の人が抜いていくことは往々にしてあります。両者を分けるのが、「施される側の人間かどうか」といえるでしょう。
 
当たり前ですが誰もが人生の一周目なので、自分の力だけで成長するには限界があります。今自分が向き合っているゲームのルールがわからないからですね。また、まだ着いたことのない地点から、逆算して計画を立てるのも容易ではありません。そこで先輩からアドバイスやフィードバック(施し)をもらえることで、いわば二周目の目線を得ることができるわけです。5~10年先を行っている人からのアドバイスは、成長を加速させる大きな力になるでしょう。
 
ある領域で目に見える成長をするには、2~3年もあれば十分です。しかし想像を大きく超えるような成長を達成するには、それだけでは足りません。先輩や自分にない知識を持つ人から、施しを受けることは大きな近道になります。そのために、「施され力」が重要なんですね。
 
では「施され力」とは何か。例えば、フィードバックを素早く受け止め、お礼をし、進捗とともに共有する姿勢です。書籍をおすすめされたら、可能ならその場でAmazonなどでポチッておく。手元に届いたら「届きました、今から読みます」と報告する、読み終わったら簡単なレビューを連絡する……などなど。
 
こういう人間は、先輩からすると「かわいげがある」んですね。アドバイスする側は、「ちゃんと聞いてくれるのか」「実行に移してくれるのか」がすごく気になります。フィードバックをすぐ実行し、着手し、完了させ、報告までする人に愛着が湧かないはずがありません。また、自分のおかげで成長してくれる後輩の姿をみて、嬉しくない人はいません。
 
施され力がある人は、やがて正のフィードバックループに入りやすくなります。施しを受けやすくなり、自分の足りない点を修正し続けるわけなので、成長が劇的に早くなるのも道理なわけです。施され力がない人は、この逆のことが起こるわけですね。
 
「施され力」を培うには、今日から誰かのアドバイスを「すぐに実行し」「報告し」「お礼を言う」ことから始めてみてください。簡単ですが多くの人がやらないので、それだけでも差が生まれると思います。もちろん誰の話を聞くべきかどうかは取捨選択してください。時間は有限なので、全員の話は聞いてられないと思うので。


ベターをし続けることにベストを尽くせ

テニスやってる人ならわかると思うんですが、テニスには上手いのに弱い人がいます。ショット単体は凄くても、常にベストショットを求めすぎて、ミスが多くなるタイプですね。でもテニスって51%得点取れば勝てる競技なので、ミスの少ないベターショットの方が好ましいんですよね。

「ベターをし続けることにベストを尽くせ」

ってテニスのコーチにも言われていましたが、その感覚が運良く仕事にも染み付いていて、完璧主義ではなく完了主義的にタスクをこなすことが身についたなと感じています。そういうのあるよね。

仕事において「ベストを考え、ベターで出していく勇気を持つ」ことが大事なのかなと思います。


本物の打算は打算的には見えない

「打算的になること」は、行動力を高める一つの方法だと考えています。多くの人は急ぎの要件には着手できる一方、「急ぎでないが重要なこと」にはなかなか手を付けられません。そんな時に行動数を増やす(行動力を高める)ためにできることが、「打算的になること」だと考えています。
 
まず、打算とは何か? 損得を考えることです。行動する前に、自分に何のメリットやリターンがあるのかを考えるとも言い換えられます。例えば、仕事において「すぐにやる」は短期的にメリットやリターンが見えやすい行動です。レスが早いこと、納期より前に納品することは信頼獲得において有効であり、普遍的に推奨される行動です。
 
言い換えると、レスが早い人は「メリットになるとわかってるから」早く行動している側面があります。「レスを早くするメリットが、解像度高く想像できるから」とも言えるわけですね。これが、打算的になるべき理由です。メリットを解像度高く見ることができていれば、行動に移しやすくなります。
 
一方、中長期的な施策や取り組みはメリットが見えづらく、それゆえ続かない側面があります。何に繋がるかわからないため、モチベーションを保ちにくいという感じですね。
 
もちろん未来は保証されていないので、「信じてやり続ける」が一番重要なのは言うまでもありません。一方で、中長期施策として効果が証明されているものはたくさんあります。コンテンツマーケティングなどはその一例ですし、個人レベルだと筋トレも同じです。科学的に正しいと言われる行動や理論がたくさんあります。成果が必ず出ることは先人たちが証明してくれているので、短期的なリターンやメリットがなくても、正しいと言われるコトを信じて積み重ねるのみなのです。

また、中長期施策は「想定外のメリットが得られる」ことも忘れてはいけません。例えばコンテンツマーケティングをやり続ければ、イベント会場などで「記事読みましたよ」「Twitter見てます」「昨日の投稿面白かったです」と想定外の読者に出会え、コミュニケーションコストが大きく下がることがあります。筋トレの例だと「周りの人から教えを請われる」「コミットできる人だと思われる」「宮脇の知識はホンモノだと思われる」「一緒にトレーニングしたいと誘われる」など、当初は想定しなかったメリットが得られました。
 
こうした「想定外のメリットを得ること」は、そのまま他人との差になりやすいです。そして、こうしたメリットを一度享受すると、他の施策でも「想像できないメリットが得られるのではないか」という期待値を持つことができます。それもまた、行動力の源泉になるでしょう。
 
中長期的な施策への行動力を高めるには、打算的に考え「メリットやリターンを解像度高く想像する」ことが有効です。打算的に動き出し、正しいことを積み重ね、想定外のメリットを享受した時、人は非連続な成長をしたり、自分は運が良かったと思えるものなのだなと、思っています。


仕事で突き抜けるには、プライベートを変えるしかない

仕事で突き抜けたいなら、プライベートの過ごし方を変えるしかないと思います。社会人1年目や転職したてなどで「他人に差をつけたい」と思っている人は、特にそう考えるべきだと思います。ではなぜプライベートの過ごし方なのか。それは、優秀層は当たり前に仕事中仕事を頑張るので、そこでは差がつきにくいからです。大前提、仕事はめちゃくちゃ頑張った上で、どう突き抜けるかを考える必要があるので、「大きな変数としてプライベートな時間がある」ということです。また、プライベートの過ごし方は人それぞれだからこそ、余計差をつけやすい時間帯だとも思っています。

また、上記のように取り組んでいくには、「仕事を充実させることが、プライベートを充実させることに繋がる」という考え方でないと、何かに突き抜けるのは難しいと思います。

以下、あくまで持論であり、もっと仕事で突き抜けたいなと思っている人の参考になると嬉しいです。
 
そもそも仕事とプライベート、そんなにパッキリ分けるべきものでしょうか。もちろんモードの切り替えは発生しますがグラデーションで良くて、ゼロか100かで考える必要はないと考えています。もちろん自分自身も土日祝は休みますし、基本的には「遊んでいるほうが楽しい」と思う派です。週休3日になれば普通に嬉しいです。だからこそ、長期的に仕事を遊びに近づけられるように頑張っています。
 
ただし遊んでいる時も100%遊びに集中しているわけではなく、ガチの仕事の相談があれば会話のモードをパッと切り替えます。プライベートではトレーニングをしたり、健康的な食事を食べたり、サウナに入ったりと、仕事の生産性を高めるための時間にも充てます。また、遊びや雑談を通じて仕事の着想を得ることもよくあります。
 
もちろん、誰もが「土日も仕事のことを考えろ」とは思いません。人生における時間の使い方や個々人の体力も違います。ただ、「何かに突き抜けたい」「他人と差をつけたい」と思っているなら、他人が休んでいるときでも自分を磨き続けるしか術はないし、そこが差をつけやすい時間だとも思います。
 
サイバーエージェント社長の藤田晋さんは「新卒の頃は毎日働いていた。いろんな不安の波が押し寄せてくるから、払拭するためには働くしかない」という趣旨のことをおっしゃっていました。私自身もいま経営者になり、同じような思いを持っています。「何かを変えたい」「突き抜けたい」と思っているなら、それぐらい働くしかない。

ここまでは同世代の人材との比較で話していましたが、もっと怖いのは下の世代です。彼らは小学校で英語教育を受けてきますし、デジタルネイティブ、いやAIネイティブな世代となり、我々の世代では想像できないレベルの育ち方をしてくるかもしれません。そう考えると、自分を守る唯一の方法は「自分を磨き続けること」であり、最低限、同世代では突き抜けておくべきだと思っています。

「突き抜けたい」と思うなら、やはり、差がつきやすいプライベートの過ごし方を考えるべきだと思います。


willはあんまり重視するな

自分の意思より、必要ならなんでもやれる人は本当に強いと私は思います。「この業務・アクションは愉快ではない」「自分の成長につながるわけではない」と思いつつ、「いまの会社のフェーズには必要」とわかっている。だからやり続けられる。「必要だからやる」覚悟を持っている。そういう人は本当に貴重で、重宝されるべきだと思います。

例えば交流会で初対面の人に躊躇なく話しかけられたり、ウェビナーで何度も同じ内容を同じテンションで話し続けたり、アウトバウンドのテレアポを延々と掛け続けたり、飛び込み営業を1日に何十件も行なったり……これらの行動は、ハイスキルな人材はあまりやらない行為かもしれません。でも、会社にとって必要なことであれば、「行ってきます」と言ってがむしゃらにやり続けられる。そういう人は、本当に強い人材だと思います。

以前在籍していた会社には、700件以上あったハウスリストに毎日違った内容のメールを送っていた営業の方がいました。ガチガチの営業メールだけではなく、読み物として楽しめるような柔らかい内容も織り交ぜ、毎日内容を工夫しながら試行錯誤し続ける。結果、彼はどんどん見込み顧客を増やしていったんですよね。本当にバケモノだと思いましたし、自分には絶対にできないと思いました。

また「深いコミュニケーションが得意なのに、あえて当たり障りのない会話を選択し続けられる」友人もいます。逆のパターンの人は結構いると思いますが、深い知見を持つ人ほど浅い会話は苦手だったりします。でも、それをまったく苦にせずやり続けられる人もいる。自分の場合、頑張ればできなくはないんですが、かなり消耗してしまうんですよね。

自分にとって本当は「やりたくないこと」であっても、会社に必要だと判断したら黙ってやり続けられる。「凡庸なことを凡庸だと理解しつつ、必要であればやり続けられる」これこそが、ビジネスパーソンに求められる真の強さなのかもしれません。そしてそれがコトに向き合うということなのかなと思います。

スキルや機会は後からついてくるので、自分のやりたいことよりも、コトに向かって会社や事業を伸ばせる人でありたいと、自戒の念をこめて言語化しました。


排除すべき無駄と無駄っぽい無駄を仕分ける

排除すべき無駄と、無駄っぽい重要なものを分けて考えようというお話。よく仕事において「移動時間はムダ」「リモートワークのほうが効率がいい」なんて言われることが多いですが、本当にそうなのでしょうか?もちろん出張先からのMTGや、子育てによるリモートワークなど、都合のいい面はある一方、移動時間には「頭の切り替え」「脳の休息」「運動」「対面コミュニケーションの機会」など様々なメリットがあります。バッサリ切り捨てるほど無駄ではないと思っています。
 
表面的・一時的な無駄を排除していく判断は、機会損失が伴います。なので社内では、世論を鵜呑みにせずに「本当にそうだっけ?」と問いかけたり、「こうじゃなきゃ」と決めつけない柔軟性を大事にしたいと思っています。
 
もちろん弊社でもリモートワークは取り入れてますが、推奨しているわけではありません。その理由は、メンバーと同じ場所で時間を共有したいという意志によるものと、リアルな空間にはオンラインには存在しない教材が転がっているという機会によるものがあります。前者は単純にそういう価値観というだけですが、意外に見落とされるのが後者のメリットだと思っています。
 
また、オフィスには先輩が作った提案資料や、ホワイトボードのメモ、雑談から始まる貴重なアドバイスなど、自分の想像を超えた偶発的に発生する機会やイベントが実はたくさんあります。言いたいことは、「無駄の過剰排除は、機会損失を招く」という言葉に集約されます。無駄の中には、ただ排除した方がいい無駄と、排除することで機会損失が起きる可能性のある無駄が存在するので、そこの区別は必要だと思っています。(逆説的ですが、無駄なプロセスを踏まないと無駄を避けられないという側面もあります。)

また、機会損失は将来発生する可能性があった機会を損失するだけなので、現実では何も変化がない。だからこそ、損失に気づけない。これは人生という単位で積み重なると、大きな差になります。

一見無駄に見えるものも、無駄と決めつける前に、本当に無駄なのか?失うものはないかと問いかけてみて欲しいなと思います。また、そのタイミングではわからなくても、機会損失があるかもしれないと想像し、一旦やってみる精神を身につけている方が、人生は長いので得なのかなと思います。


属人性は悪なのか?

「属人性」はいつも悪者のように扱われることが多いのですが、本当にそうなのでしょうか? 属人性の高低は、組織フェーズによって適切に使い分けるべきであり、属人性の高さがプラスになる局面もたくさんあると思っています。
 
属人性の対局に「メソッド」があると思っています。メソッドそのものの有効性は否定しませんし、メソッド化することで多くの人材にとって福音になる面もあるでしょう。マーケター全体のレベルアップ(ボトムアップ)に寄与する点も多いと思います。
 
一方、支援の現場においてメソッド「しか」使えない人材は、クライアント様が抱える複雑な課題をかならずしも解決できません。場合によってはクライアント様の課題や仮説を丸呑みし、前提にして進めてしまうことにも繋がります。プロジェクトの成功が、クライアントのリテラシーに依存するのでは本末転倒です。
 
属人性の高い手法を取って成果を上げてきた人材は、レベルが高い人材でもあります。メソッドがなくても課題解決ができる地頭がいい人ということもできそうです。メソッドが社内に浸透するほどボトムアップはされますが、スキルや業務レベルの上限キャップがついてしまい、つまらなくなって退職の原因にも繋がります。
 
メソッドが絶対正義ではないし、属人性が絶対悪でもありません。結局は、自社が何を優先したいか次第です。弊社は、「unnameメソッド」的なものを作らず、ハイレベルで属人的な個人による支援で過去何度も高実績を残してきました。クライアント様から「柔軟にお願いできる」「オーダーメイドで支援いただける」といった言葉をいただいていますし、一定の信用を獲得してきたと思います。
 
型に囚われないことで、独自性高く新しい手法を生み出すことができ、難易度の高いお客様の課題を解決できることもあるのです。そうした課題は、再現性が低い業務にチャレンジすることでしか解決しにくいものでもあります。
 
強い組織には「属人的な強さ」と「仕組み化・型化」両方がバランスよく共存していることが必要だと考えます。unnameでは、「メソッド」「型」だけでは解決できない課題にチャレンジしたいメンバーと一緒に働きたいです!


ワークライフバランスは負債の先送り

ワークライフバランスという言葉は、「負債の先送り」だと思っています。ワークライフバランスを推進する経営者は、社員の将来に真剣に向き合っていないのではないでしょうか。少なくとも、その側面は強く認識しておくべきでしょう。本来、心身を犠牲にして働いている人向けの言葉であって、追い込まれていない人がこの言葉を採用するのはキャリア毀損に繋がりえます。
 
それではもう少し日本の未来を想像してみましょう。まず、僕らの下の世代がどんな教育を受けているのか。デジタルネイティブ世代と言われますが、彼らはすでに英語もプログラミングも小学校で習っていて、小6で起業している人材も出てきている。恐ろしい世代です。自分たちがめちゃくちゃ頑張らないと、さらに厳しくなるのは自明です。あと10数年で社会に出てくると考えれば、彼らが努力で追いつけない領域にいかないとジャイアントキリングされるのは目に見えています。
 
一方、すでに起きていることとして、深夜のコンビニでレジ打ちする高齢者の姿です。70歳、場合によっては80歳ぐらいの方がレジ打ちをしている。職業に優劣はない前提ですが、僕は自分の祖父母が老体に鞭打って深夜にアルバイトしていると考えるとつらい気持ちになります。
 
そして重要なのは、20年後はその仕事すらAIや機械に奪われている可能性が高いことです。本当に厳しい現実が待ち受けているのに、ワークライフバランスという言葉で体力がある「いま」を浪費して本当に良いのでしょうか。体力と年齢は反比例します。人よりストイック、モチベーション高く生きることは、将来の幸せを得るために不可欠なのではないでしょうか。
 
労働者側のリテラシーも問われるべきです。「ワークライフバランス」という甘い言葉を鵜呑みにしてしまうのは、短期的な快楽を優先してしまうこと。とあるビジネスインフルエンサーが「仕事にPCは要らない、スマホだけでいい」と言っていましたが、それは彼らが経験を積み重ね、指示を出すだけで稼げるポジションに至ったから。スマホだけで仕事をすれば、彼らのようになれるわけではありません。前提と成立条件は必ず疑うべきです。
 
僕がもう一度新卒に戻ったとしても、成長している産業で、長時間働ける会社を選びます。そうでないと、自分の成長が頭打ちになるためです。現在は、バブル期や高度経済成長期と違います。日経平均株価こそ戦後最高値を記録しましたが、実際のところはAIの浸透によって将来「レジ打ちさえできない人間」が大量に発生するのではないでしょうか。
 
例えるならワークライフバランスを過度に追求することは、「美味しいラーメンを毎日食べる」ようなものです。キャリアにおいては、短期的な快楽に逃げず、長期的な幸福をとりましょう。


機会損失は機会を得ることでしか気付けない

「機会損失」は、機会を得ることでしか気づけないという話。いろんな人々の消極的な意思決定を目の当たりにした時に「手を挙げないことで何を失うか、認識していますか?」と思うことが少なくありません。機会損失は「将来得られる可能性があった機会が消失するだけ」なので、今何も失うことがない。なので、ほとんど気づくことができない。だからこそ短絡的で消極的な意思決定をしてしまう。
 
高校時代の僕もまた、安易な意思決定の結果として大きな機会損失をしました。深く考えもせず、家から近い高校を選んだ結果、熱狂できない3年間を送ってしまった。当時の僕には、その意思決定がもたらす機会損失の大きさが見えなかったし、気づけませんでした。
 
逆に、大学を東京に選んだことで大きな機会を得たと思います。地元滋賀県では、東京の大学に進学する人は少なく、ロールモデルを見つけることも難しい状況。でも、「まともな大学に行かないと上京を親は許してくれない」と思って、浪人してでも上京の道を選びました。東京での生活が始まると、世界がガラリと変わりました。いろんな価値観を持つ人たちがいて、本当に刺激的だった。東京の人は冷たいなんて言われますが、僕はむしろその距離感が心地いいと感じています。過剰に踏み込まない、でも必要な時には助けてくれる。相手を尊重するってそういうことでもあるのかなと。
 
田舎が温かいというのは、ある瞬間のいい側面を切り取ったにすぎないと思っています。実際、そんな毎日おばちゃんと立ち話をしたいわけじゃない(笑)。それよりも、それまで経験していないことを経験できる環境に身を置くことで、「あ、自分は機会損失をするところだったんだ」と気づける日がくると思います。
 
機会を得ないことには、損失する可能性にも気づけない。だから僕らはフェスでカレーを出すんです(笑)。急になんの話だという感じですが、仕事とは無関係なこともたくさんやっています。いや、これが何の機会になるかなんて僕らにもわかんないですよ? わかんないですけど、そういう思いがあってカレーを出店してきました。カレーの例はあくまでも一例ですが、そういう「なんのリターンがあるの?」と短期的に評価しすぎず、「やったことがない」「楽しそう」なことはどんどんやっていけばいいと思っています。
 
機会損失は、機会を得ることでしか気づけないという話でした。



スキル・能力系


とりあえずやることの弊害

「とりあえずやる」ことの弊害についてのお話。実行部分がボトルネックになる組織が多い中で、実行力があること自体は素晴らしいです。一方、場合によっては見過ごせない弊害が起こることもあります。端的にいえば、「戦略なき実行の繰り返し」状態に陥ることです。
 
まず「とりあえずやる」ことの利点として、「理論だけでは得られない洞察を得られる」が挙げられます。経験の浅いマーケターは、理論だけを学ぶよりはリード獲得~商談に至るプロセスを「とりあえず」やってみるほうが学べることが多いのは確かです。
 
しかし欠点もあり、やみくもに行動することで「仮説検証」が抜け落ちてしまうこと。このケースではむしろ短期的に成功してしまうことのほうが問題で、たまたま取った戦術が成功してしまったことで単一の打ち手に固執してしまういわゆる「打ち手バカ」になる危険もあります。中長期的な成功を得るためには再現性が重要であり、そのためには質の高い仮説とその検証が不可欠です。実行力とともにターゲット顧客の選定、タッチポイントの設計、リード獲得へのアプローチまで戦略を練ることも非常に重要です。
 
繰り返しにはなりますが、実行に課題を持つ人が多い中、実行力があること自体は素晴らしいです。ただし、それだけでは「打ち手バカ」に陥る危険があります。実行と戦略は両輪でまわす意識を持っていくことが、優れたマーケターになる一歩目だと考えます。「今、自社はどっちを重視すべきか?」という問いを常に持ち続けられるマーケティング組織を組成できると短期的にも中長期的にも事業成長をさせることができるのではないかと思います。


「頭の回転が速い」の正体

「頭の回転が速い」とは「累積思考量が多い」ことだと思います。「過去に似たようなテーマについて考えたことがある」から、すぐに自分の意見が出てくるし、回転が速く見える。考えたことがないと、その場で思考してしまい、遅く見える。そういうことだと思っています。
 
頭の回転が遅く見える人がいる一方で、驚くほどすばやく物事を理解し反応できる人もいます。あるとき「遅く見える」人を観察してみたのですが、彼らは頭の回転が遅いのではなく「そのテーマを考えたことがないだけ」ではないかと思いました。付け加えると、日常で自ら考える癖がない、他人に問われないと考えていないだけとも思いました。
 
手前味噌ではありますが、自分は他人から「頭の回転が速い」と言われることが多いです。「いや、別に普通でしょ」と思っているし、頭の回転を速めるためのトレーニングも積んでおりません。そんな僕自身を振り返っても、即答できる質問とそうでない質問があります。即答できないものは、やはり時間がかかる。すぐに答えられるものは、事前に考えをめぐらせていたことばかり。そう気づいた時、頭の回転の速さとは日頃から思考を積み重ねているか否かだと理解したのです。
  
僕たちは学生時代、勉強という明確な目的のための思考を習慣づけられます。しかし社会に出ると、学習範囲もゴールも誰も設定してくれません。自ら情報を集め、考え、結論を出しておく習慣が重要になります。例えばSNSでのシェア一つとっても、単にリツイートするのか、それとも自分なりの意見を添えて発信できるか。常にそれを実践できる人こそ、累積思考量が増え、頭の回転が速くなっていくと思います。
 
僕たち人間の能力に、それほど大きな差はないと思います。差が生まれるとすれば、日常も含めた生活の中での思考の量ではないでしょうか。1日30分ぼーっと漫然や動画を見るのと、集中して思考を巡らせるのとでは、1週間で3時間半もの開きが生まれます。積み重なれば、その差は膨大になるはずです。

僕自身、社会人になりたての頃、誰もが優秀に見えました。でも今は、昔優秀だと思っていた人たちを次々に追い抜いた手応えを感じています。それは紛れもなく、積み重ねてきた思考量のおかげだと思うのです。


そのゲームのルールを理解する

「そのゲームのルールを理解する」という言葉が好きです。ゲームを仕事に置き換えると、プロジェクトだったり、提案だったりします。ゲームのルールを理解しないと、当たり前ですが攻略方法もわかりません。この言葉に込められている意味は、「これをやればいい」という勝てる方法をシンプルに理解することです。

例えば僕は、人生は「幸福度を最大化するゲーム」だと思っています。そして人生というゲームのルールは
 
・自分の幸せを定義する(理解する)
・その幸せに近づく行動を積み重ねる
・人生を長期的に捉える(ピークを後ろに持ってくる)

  
ことだと個人的に捉えています。非常にシンプルですが、多くの人はこの定義をしなかったり、短期的な幸福ばかり追いかけている印象を持っています。勝利条件をあいまいにしたまま、一般的に良いとされる手法を取り入れるケースは珍しくありません。
 
例えば企業における人事施策の話で置き換えると、他社で成功したからといってランチ会やリモートワーク取り入れるとかがあります。それはその会社の前提の元に成立している施策なのであって、あなたの会社が無理にランチやリモートワークを取り入れても成功するとは限りません。多忙なメンバーが多い会社なら「忙しい中、なぜ」「会話量が減って効率が落ちた」という不満に繋がる可能性もあります。
 
もちろん「いまはルールがわからない。いろいろなことを試そう」という認識の上で、様々な手を打つならありかもしれません。ただし、そこには「ルールがわかっていない」「勝利条件が見えていない」ということを自覚しておくことが重要です。わからないことすら気づかず、闇雲に行動しても疲弊するだけです。
 
ゲームのルールは、常に変化し続けます。勝利条件が変わることも珍しくありません。だからこそ表層的な情報に惑わされず、本質を見抜く必要があります。本質を見抜けた時に「そのゲームのルールを理解している」状態となり、ようやくゲームの攻略が始まります。本質を見抜くとは、「世の中の仕組みをシンプルに捉える」とも言い換えられそうです。


言語化力の磨き方

言語化力は、「特定のクラスタのお作法を獲得する」ことで磨かれると考えています。一定レベル以上のクラスタの人たちと会話するためには、相応な語彙と巧みな枕詞を活用し、構造化して簡潔に伝えることが求められます。そうしないと話を聞いてもらえないだけでなく、対等だと認めてもらえません。当たり前のように結論から話し、相手が疑問に思いそうな箇所は先回りして厚めに説明する。聞き手の期待値をうまくコントロールする枕詞を使う。そうしたお作法を身につけることも、言語化力を高めることの一つだと思います。

自分自身、新卒時代にかなり鍛えられました。適切な会話ができていないと、容赦なく詰められる環境でした。そして、構造化して話せないと「いま何を話したいの?」「報告?共有?相談?この会話の着地点は何?」という具合で、会話がまったく成立しないのです。

先輩たちは恐ろしくて、適切に話しかけないと容赦なく詰められます。でも新卒の頃、自分だけでできる業務なんてほとんどなくて、先輩と話をしないと仕事が進まない。自分の仕事を進めるためには、先輩水準のまともな会話を行い、話を聞いてもらうしかなかったのです。当時は辛かったですが、今振り返ればあの経験があったからこそ言語化力が高まる習慣が身についたと思います。

語彙力とは、単に「言葉を知っている」のではなく「聞いてもらえる言葉遣いを選べること」だと考えています。小学生に二次関数の説明をしても通じないように、相手に合わせて語彙を選ぶ必要があるわけです。小学生には小学生なりの言葉遣いがあり、大人には大人の言葉遣いがある。そして大人の言葉遣いには、仕事、プライベート、冠婚葬祭などさまざまな言葉遣いが存在しています。そういった、クラスタ特有の言語ルールを習得することも言語化力を高めることに繋がると思います。

また、言語化にはクラスタごとの作法があります。自分が将来どのクラスタに属したいのか、そのクラスタではどのような言葉遣いが求められるのか、考えることが大切です。例えば、夏目漱石のような言語力を身につけたいなら古典を読む必要があるでしょうし、ビジネスで通用する言語化力を習得したいならビジネス書を読んだり、優れたビジネスパーソンと接したりする必要があります。

しかし、ただ難しい言葉を使えばいいわけではなく、相手に伝わるレベルで、一番美しい語彙を活用する必要があります。それは、相手に適切に伝えようとする責任感とも言い換えることができます。そのクラスタで通用する話し方、許容される言葉のレベルを身につけること。それが「言語化力を高める」ということなのではないかと思います。

レベルの高い社会人と関わるためには、彼らに聞いてもらえるような言葉を使わなければなりません。つまり「言語化力を高める」ということは、「高いレベルの仕事をする」ということにも通じるのです。言語化力は一朝一夕では身につきませんが、クラスタごとのお作法を知り、それを地道に学んでいくことで着実に高めていくことができるはずだと信じています。


強みは諸刃の剣

「強みとは一長一短であり、諸刃の剣でもある」と認識することが、非常に重要だと思っています。強みをうまく活用すれば、マネできない成果を挙げられる一方、適切に扱えなければトラブルやハレーションを引き起こす原因にもなる。そしてその強みは何かの弱点に繋がっていますが、その弱点を克服することは同時に、強みを消すことにも繋がります。それくらい表裏一体な存在だなと、最近痛感します。
 
なので強みは、手放しで褒められるものではありません。何かのシーンでは有能な資質が、他のシーンでは足を引っ張る可能性も大いにあります。実際、そういうシーンに出くわしたことは多くあります。

例えば私は、ストレングスファインダーで「着想」が優れていると判定されました。

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<自身の上位の資質10>
①戦略性
②着想
③達成欲
④活発性
⑤コミュニケーション
⑥適応性
⑦学習欲
⑧共感性
⑨最上志向
⑩親密性
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>②着想:アイディアが溢れる(↔話が発散する可能性あり)
 
実際、ブレストでもアイデアの質を褒められることは多くあります。コピーライティングやネーミングなどでは、自分の案が採用されるケースも多いです。誰かが困ったとき、アイディアを搾り取られることもしばしばです。
 
一方、弱みとしては「ちゃぶ台返しをしてしまう」ことです。ある程度要件が固まった段階でも、他に良い案が思いつけば「こっちにしよう!」と提案して空気をフリーズさせたり。MTG中に議題でない別のアイデアが湧いて、そちらの話ばかりしてしまったり。

他にも、私はこんな強みを持っています。
 
>④活発性:始める天才(↔完了できるとは限らない)
>⑥適応性:今ここに生きる(↔目標や計画にときめかない)

 
活発性や適応性をもっている人は共感いただけるかもしれないのですが、これらを持っていると、「うまくいかなくてもいいし、完了しなくてもいい」というお気持ちが強くなります。とにかく始めてしまい、全力で走りながら何とか成立させる、そして改善を繰り返し、不可能だと判断したら諦める。無駄に終わってもやらないよりはいい、「ダメなことがわかった」と納得する。簡単に説明するとそんな感じみたいです。
 
上記の資質を解放してきたことで、いろんな機会を享受したり、意図しない経験値を得ることもありました。言い換えると、バッターボックスに立つ回数が多いという感じでしょうか。一方で、チームプレイでは「リスクやデメリットを考えない無計画な人だな」「最後までやり切る力がないな」みたいな感想を抱かせたこともあったと思います。すぐに行動に移せることは自分の好きな強みではありますが、メリットだけを享受してきたわけでもないのです。
  
自分にとって、強みとは弱みでもあります。弱みを課題として捉え、克服してしまうのではなく、コントロールすることを心がけています。とあるシーンでは弱みになりそうなので、資質の解放を抑えたり、弱めたりするイメージです。長所と短所を自覚した上でうまく付き合っていくのが、「強み」の要件だと思います。
 
そのためには、周囲への自己開示と理解を得ることが不可欠です。それがないと周囲を困惑させ、迷惑をかけることもあります。自分にタグを貼り、戦略的に自分のやらない領域を決め、強みだけが引き出せるコトに専念できるのが理想です。それが才能を適切に扱う、1歩目なのかなと思います。


ベテランこそ「やったことがない」に仕分けよう

ビジネスシーンにおいて、業務を「得意/不得意」と「好き/嫌い」の4象限で切って捉えるというのが世の中一般的に言われていますが、これだと「やったことがある業務」という前提に立ってしまっている気がします。

新卒時代は当然ながらほとんどの業務をやったことがないので、得意/不得意はほとんど仕訳られておらず、「なんとなく好きな業務っぽいぞ?」くらいの解像度しかなく、変なバイアスに囚われることなく、その業務に取り組むことができます。結果的に、「思ったより得意だぞ?」「意外に簡単だったぞ?」という感じで、なんでも取り組むことができ、吸収率が高くなる傾向があると思っています。

一方、年次を重ねれば重ねるほどやったことがある業務がほとんどになるので、「得意/不得意」「好き/嫌い」を仕分けてしまい、本当はやったことがない業務なはずなのに、類推で「苦手や嫌い」と捉えてしまうことがあります。これをよろしくない賢者モードと呼んでいます。

経験を重ねれば重ねるほど、よろしくない賢者モードに入りやすくなるので、今一度「このタスクってやったことがないだけで、苦手ではないかもしれない?」と自問自答すると良いかなと思っています。それが難しい場合は、他人に「やったことないだけでは?」と仕分けてもらうことをオススメします。


遅読で良い

私は本を読むのがものすごく遅いです。世の中にはたくさんの速読術があり、なんとなく速読こそ正義という雰囲気がある中、一定その価値を認めつつも、個人的にはあまりしっくりきておりません。

速読するくらいなら、目次を読むか、要約してくれている図解や動画を見ればいいのではないかと思っています。決して速読を否定しているわけではないですが、速読では理解の壁を越えられず、表面的に知ることしかできないと思っているからです。個人的には本を早く読むよりも、むしろ遅読を行い、筆者の主張をしっかり血肉化することをオススメしています。

私がオススメする遅読は、単純に読書スピードが遅いわけではありません。むしろ、巷で言われているような速読術を活用し、必要のない箇所は飛ばし、どんどん読み進めていきます。小説やエッセイのような文学は味わうことが目的になるので、読むスピードを落としてじっくり読むことはもちろん理解できますが、ビジネス書を読むときは、読むスピードそのものは速いに越したことはありません。

なので、遅読ではしっかり学びたい箇所まではどんどん読み進め、必要な場所に来たら立ち止まってあれこれ思考を巡らせます。言葉の定義がわからなければ検索したり、他の具体例が知りたければ記事や他の本を読み漁ったり、誰かに解説して欲しいときは他人の意見を聞くのも一つの手です。読了を目的とせず、深く知りたい情報や概念に関しては、理解できるまで歩みを止めることが重要です。

つまり遅読とは、「知るを超えて理解まで昇華させたい箇所で立ち止まり、思考を巡らせることであり、結果的に本の読了が遅くなる」というものです。言い換えると、理解にコミットしているとも言えます。



仕事術系


安易に了解してはいけない

弊社は、「了解しました」を禁止ワードに設定しています。正確には「信頼関係ができるまで禁止」というところですが。「了解しました」「頑張ります」「やりきります」などは、具体的に何をするかが明確でないフレーズです。特に経験が浅かったり、相互に信頼関係が十分にない段階でこうしたフレーズを多用するのは、相手に不安感を与え、自らは思考停止に陥る危険があると考えています。
 
そもそもみんな「了解」しすぎなんです。阿吽の呼吸で仕事ができるならまだしも、新しい関係性の中では「具体的に何をするか」を明確にし、認識をすり合わせることが重要です。新しいメンバーが入ってきた時、私は「了解」を求めません。「具体的にどうしましょうか」と問いかけるようにします。共通言語・共通認識が少ない状態では、具体的に会話することが何よりも重要だからです。
 
この指針が自分の中で定着したきっかけは、佐渡島庸平さん記事を読んだことでした。

足りないのは、覚悟ではなく、解像度だ。
 
解像度が低いまま、前に進もうとしてるから覚悟で乗り切ろうとしてしまう。どうやって解像度をあげればいいのか、という問いに、覚悟という言葉を置き換える。
 
「覚悟」や「コミットする」といった言葉を使ってしまう時、それは多くの場合、次にやることが何も思いついていない状況だ。気持ちだけは強いかもしれないが、達成したい対象への解像度が低いため、具体的なアクションもわからない。それでは上手くいくはずがない。

「頑張る」や「覚悟を決める」は思考停止ワード!? 仕事の質は「解像度」で決まる

元々同じような考えは持っていましたが、「まさに」と納得しました。認識がずれたまま行動してしまう人は、達成したい対象への解像度が低い状態なのです。そんな状態で気合だけ入れても、覚悟だけ決めても、了解だけしても仕方ありません。具体的にどうするか、解像度を高めることが必要なのです。大前提、気持ちや気合いが入っていること自体は嬉しいことなのですが。
 
うまくいかない組織には、必ず理由があります。その一つに、私は「安易な『了解』の蔓延」があると思っています。だからこそ安易な「了解しました」を禁止し、アクションの解像度を高め、認識をすり合わせることを徹底したいと思っています。


選定理由の説明

「なぜそれを選んだのか?」という質問に対して、それ自体を好きな理由や良い理由を答える人がいますが、それは説明になってないません。

厳密にいうと、質問者は好きな理由を知りたいわけではなく、

・どういう基準で選定し
・なぜ基準が重要であり
・他の選択肢と比べてどう良いのか

が聞きたいのである。選定理由の説明とはそういうことである。


意図があるやつ

仕事において「意図があるやつ」と思われることは双方のコミュニケーションコストがめちゃくちゃ下がると思っています。

意図がないやつ(目的意識が低い)と思われていると、発言や行動一つ一つに「なぜそれをやるのか?」問いかけなければならない。そして場合によっては軌道修正や代替案を出してあげないといけなくなる。

こいつ、だいたいちゃんと考えて意図をもって発言・行動してるな という人に関しては、多少想定外の発言や行動をしていても「ちゃんと目的意識持ってやってくれるもんね」と安心することができる。

周りから意図があるやつ と思われるまでは、しつこいくらい自分の意図や意思を説明した上で発言・行動していきましょう。

この辺はマイクロマネジメント脱却の一歩目にもなるなと思っています。


ゾスの使い分け

ゾスって「いいから一旦黙ってやる」みたいな話だと思っているんですが、それって優秀な組織や上司の前だと有効ですが、そうじゃない時は「無駄なことをずっと取り組んでしまう」みたいな最悪の結果にたどり着くのではないかと思った。

なので、自分より優秀だなと思う人の前ではゾスモードで取り組み、そうじゃない場合は(表面的にはゾスをしたとしても)ちゃんと考えて動いたほうがいいのかなと思ったりしています。


リーダーはフォロワーシップで活きる

フォロワーシップを持っている人はもっと重宝されていいと思っています。世の中では、リーダーシップ(アントレプレナーシップ)がフィーチャーされることが多いですが、個人的にはリーダーの数はそこまで必要がないかなと思っています。むしろ、フォロワーシップを持つ人が多くいた方が、チームは大きくなり円滑に進むと私は考えています。

例えば、「料理人が多すぎるとスープがまずくなる」という言葉がありますが、これは料理人(リーダー)が多いと、それぞれの意向がぶつかり合い、味がうまくまとまらないことを意味しています。リーダーシップ自体は非常に大事ですが、リーダーが多すぎてもうまくいかないのです。リーダーの意図を汲み取り、実現するために自分がどのような役割を演じるべきかを考えられる人材もまた、組織において非常に大切だと思います。むしろ、リーダーがリーダーであることができるのは、受け止めてくれる絶対的なフォロワーがいて初めて成り立つのかもしれないと思っています。
 
優れたフォロワーシップを持つ人材は、例えるなら「配膳のプロ」です。シェフと違い、配膳のプロは起業してうまくいくイメージはありません。しかし組織の中で自分の役割を素早く認識し、部下に適切な役割を振り分けることがとても上手です。料理は作れませんが、彼がいないとレストランは成り立たちません。そんなフォロワーシップを持つ人材は、世の中にたくさんいると思います。
 
私自身もそうですが、起業する人が増えて小さな会社がたくさんできています。それ自体は素晴らしく尊いチャレンジだとは思っています。しかし一方で、小さな会社ばかりが増えても、リソースが分散されるので遠くには行くことができず、日本という国目線で見た時にポジティブな側面だけではないなとも思います。

グローバル化が進み、もはや敵は国内企業だけではなくなった現在では、企業規模が小さくては戦えません。チームを大きくするのは優れたリーダーだけでなく、リーダーを活かし、リーダーを勝たせることができるフォロワーの存在でもあると考えています。起業家を増やすことも大切ですが、優れたフォロワーシップを持つ人材を増やすことはそれ以上に重要であり、社会全体の発展につながると考えています。

なので、フォロワーシップを発揮する人は、もっと評価され、称賛されていいと考えています。


爪痕を残す

「爪跡を残す」という考え方を大事にしています。「何の成果も得られませんでした!」をできるだけ避け、ワーストシナリオでも何かを持ち帰る姿勢を持つ、という意味です。
 
多くの人はベストシナリオを目指しすぎて、ワーストシナリオを想定していない(対応できない)ケースが多いように思います。ただ、実際には商談、採用から交流会に至るまで、自分のチカラでどうにもならないことは多々あります。不可抗力が起こるたび、「何の成果も得られませんでした!」では、個人も会社も成長がありません。
 
爪跡を残すためには、誰にでもできる簡単な方法があります。タスクに対してベスト/グッド/ワーストの3パターンを用意することです。ベストを目指しつつ、難しそうならグッドに切り替え、最悪の場合はワーストに落ち着かせ、何かを持ち帰る。「ベストの結果は出なかったが、何かを持ち帰る」という執念がすごく大事になります。
 
例えば、とある交流会のようなイベントに参加するとします。社内からはクライアントを探してくるように期待されますが、そんなに都合よくクライアント候補に出会えるわけではありません。

そんな時は
ベスト:1社商談を獲得する
グッド:共催イベント先を見つける
ワースト:主催者と仲良くなる

のように設定すると、最低限の結果は残しやすくなります。
 
実際、交渉ごとや何かのイベントに参加する際は、ベストシナリオ通りむことは少ないため、ワーストシナリオを上長や周囲と握っておくのがいいでしょう。「ベストにはなりませんでしたが、ここまでの成果は持ち帰りました」と言えれば、周囲から頼もしいと思われるはずです。
 
ベストはこれ、グッドはこれ、ワーストはこれ、と日頃から言語化しておくクセをつけておきましょう。言葉にすればちょっとした違いですが、やがて蓄積して大きな差になると思います。


たたき台は叩かれる余白を作る

たたき台は『叩ける余白があること』が重要です。たたき台自体の必要性は説明するまでもないですが、「どんなたたき台なら良いか」は意外と議論されてないように思います。真面目な人ほど完成度の高く、仕上がったものを出してきたりしますが、たたき台は「議論の余地があり、適度に叩きやすいこと」が重要です。
 
完成度の高いアウトプットは、叩く余地がありません。ただの報連相になってしまい、確認する側としても「どこを叩いてほしいのか」わからない。そして完成度が高いがゆえ、目的や方針レベルで修正しないといけない時にちゃぶ台返しとなってしまうこともあります。その時は叩く方も少し躊躇してしまいます。
 
たまにX(Twitter)上でも、完成間近の仕事をちゃぶ台返しされたというテーマの投稿が流れてきたりしますが、その何割かはこういうケースかもしれません。チェックする側も悪気はなく、「悪い意味で完成されているから、すべてボツにするしかない」わけなんですね。こういう不幸を生まないためには、20~30点程度の出来栄えで一度共有するクセをつけましょう。自身がなさすぎる場合は、逆に20点を上司に出してもらってもいいかもしれません。企画書でも提案書でもテキストでも「いったん骨組み作ってみました、どうですか?」と土台の段階で渡してみることです。
 
これが「叩きやすいたたき台」の正体です。

チェックする側から「何を見てほしいのか」「どこを伸ばしたいのか」が一目瞭然でわかるから、「方向性は間違っていない」「ここを厚めにしたほうがいい」「この記述は外そう」などのアドバイスができるわけです。
 
たたき台の段階で完成度を求めてしまう心理は、「怒られたくない」や「仕事ができると思われたい」などがあるかもしれません。しかし、それでは本当に良いものは作りにくく、ちゃぶ台返しにも遭いやすくなり、成果に繋がりにくくなります。こうした状態にある人は、適度に叩けるたたき台を作ってみることから始めてみてはいかがでしょうか。

「たたき台なんですが〜」と言いながら渡すと、叩かれることはあっても、怒られることはないでしょう。


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